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憂いの痕



 八朗はすっかり様変わりしてしまった友を見つめた。黒髪は紅く、瞳の色すら琥珀になっている。
「………美しくなったな、隆茉」
 四十年前はまだあった子供っぽさがすっかり無くなっていた。最早少女ではない。女だ。
 思った事を言っただけなのだが、隆茉は益々怪訝そうに眉を寄せる。ふと何かに気付いたのか手を叩いて侍女を呼び、新しい菓子を持って来るよう言いつけた。
 これには八朗も苦笑した。
「? 何だ、違うのか?」
「本心だ。大体儂らは世辞を言い合うような仲でもなかろう」
 と言いつつ新たに出された干菓子に伸びる手を見れば、下心故の台詞に聞こえてしまう。
 隆茉は手ずから茶を淹れ八朗に差し出した。
「すまんな。───しかしこうなると一周忌が明けてからは忙しくなるだろうな。相応の地位に加えて美しい妻ともなればお前の婿にと名乗り出る者も俄然増えるだろう。家臣団の中では鎬把が有力なのか?」
 一柳家は代々桂丸の管領の家柄だが、浅桐本家との姻戚は暗黙の内に憚っている。諸侯の顰蹙を買うからだ。
 それに鎬把は一人っ子だ。家を継がねばならない。
「互いに好ましからず思っているしな」
 赤子の頃からの仲ではあるものの、隆茉と鎬把はどうにも噛み合わない。仕事となればそうでもないのだが、私事になると対立する事が多かった。
 その際たるものが隆茉の実弟、幼い尉濂の事だった。
 八朗もこの数日の間に鎬把からこれでもかと言う程聞かされた。余程腹に据えかねているらしい。
 年のせいもあろうが、確かに尉濂は酷くか弱そうだった。事ある毎に怯えた様子を見せていた。まぁ溯相手では仕方ないだろうが。
「あぁそうそう、麻久羅家から文を預かっていたんだった」
「お前っ、お世辞よりも先にそっちを出せ!」
「世辞ではないと言っているだろうが。───綺麗だよ、隆茉」
 ふわりと笑って言われると流石に照れた。そのまま視線を受けとめられず、隆茉は顔を反らす。頬が熱くなるのが分かった。
「………お多江姉様の方が美しいのだろう…?」
 即答が返ってきた。
「無論だ。あの方の前では天女など何程の事もない」
 では自分はより劣ると云う事ではないか。照れたのが馬鹿らしくなる。
 天狗は三通の文を差し出した。麻久羅家当主直生と総領溯、そして何と御台所の琅天矩条からだった。
 一瞬呼吸が止まる。琅天の方から接触してくるなど父の頃には有り得なかったのだ。
 隆茉は先ず直生からの文を開く。丁寧な弔辞と隆茉を気遣う言葉、尉濂は責任を持って育てるので安心するようにと書かれていた。
 次いで緊張しながら琅天の文を手に取った。
『隆茉殿におかれては、この度の襲名、目出度く思う』
 簡単な挨拶の後このように書き出された文は若者を祝い労っており、激励で締め括られるまで終始景実の存在など元から無かったような有り様だった。尉濂の事すら書かれていない。
 隆茉自身何度も三呂伏を訪う事はあっても矩条には両手で足りる程しか会った事がなかった。その内数回は父に伴われていた為、碌に顔も見ず叩き出されている。浅桐の娘、くらいの認識しかされていないだろうと思っていた。祝い言葉を贈ってくれるなんて意外だ。
 もしや直生が矩条の名を使って如何にも彼女が言いそうな文言を並べただけかもしれなかった。
「馬鹿言うな。琅天の君は儂の目の前でそれを認められたんだ。紛う事なき本物だ」
 隆茉は改めてその文に目を走らせる。やや右方上がりの字は躊躇った跡なく綴られていた。
「……有難い事だ」
 前任の死を引き替えにした襲名では、中々祝いの言葉を聞くことは無い。弔辞と共に言われても、正直どう返せば良いか分からない。
 その中にあって、この文は潔く、清々しかった。



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あきゅろす。
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