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沼 -3

 それは三日前のことだった。
 城内散策を理由に一人で出歩こうとする桂丸を叱りつけた洋治郎は、統矢、汕之輔、更に清綱を目付け及び護衛として侍らせていた。どうやら桐衛門が後から何か言ったようで、洋治郎には珍しく厳命だった。しかし桂丸としては鬱陶しいことこの上ない。
 そんな折、廊下で大丞一行と鉢合わせた。
 序列下位の桂丸は当然道を開ける。頭を下げて通過するのを待っていたが彼はいつまで経っても桂丸の前から動こうとしない。不振に思い顔を上げたところに痛烈な一言が降ってきた。
「……貴様は実に醜い」
 桂丸方、大丞方、それぞれの家臣らは揃って絶句した。桂丸もきょとんとする。
「己れが跡目を継ぐ為に邪魔な総領を排斥しながらも、これを生かすことで人道を装う。さすれば会合で指摘されても言い逃れ出来るからだ。――本当は殺したくて堪らないくせに、権威に瑕が付くのを防ぐ為だと? 片腹痛いわ」
 大丞方家臣らは既に顔面蒼白である。幾ら何でも言い過ぎだ。
「……ただあの人の血を引いているだけのお前如きが“桂丸”を名乗るなど、不敬にも程がある。身の程を知れ」
 未だ唖然としたままの桂丸を捨て置き、大丞はその背後の桂丸方家臣らに向き直ると驚くべき事に頭を下げた。
「……身勝手な事を言った。お詫び申し上げる」
 更に
「嶋津」
「はい」
 汕之輔の声は柔らかい。
「……すまない……」
 逆に大丞の声は悲痛ささえ帯び、気にするなとでも言うように首を振る汕之輔の姿に苦しげに眉を寄せる。
 吐息と同時に感情も吐き出したのか直ぐに無表情を繕うと、大丞は三人に会釈をしてさっさと踵を返して行ってしまった。桂丸には目もくれなかった。
 慌てたのが大丞方の臣達だ。安達と名乗った中年の男は土下座も辞さない勢いで平謝りし、「先代桂丸様には当方大変にお世話になりまして、特に大丞は実の父以上に慕い頼りにしておりました由、」と聞きもしない言い訳を並べたてた。是非に及ばず、と清綱が大丞方家臣らを追い払うまで、桂丸は茫然と突っ立ったままだった。
 そんな事があってから、桂丸の疲労の色は一層濃くなっていた。先程うたた寝していたのを見つけたときもうなされている様子だったのだ。
 期間一杯残ると言うのなら相応の残り方と云うものがある。こんなにしゃちほこばっていては身が持たない。
「いいからお前は少し休め。横になるだけでも違うぞ」
 いつにない統矢の優しげな言葉に、桂丸は気色の悪いもを見るような目を向けてくる。侍女までもが何とも微妙な表情で待機していた。
「――兎に角、夕餉までくらいここで大人しくしていろ」
 統矢は袴を捕まえたままの手を振り払い、ぴしゃりと襖を閉めて出て行ってしまった。
「……………」
「……御屋形様、如何致しますか? 確かにまだ日も高うございますが、渡殿の仰るように横になってゆったりされるのも必要にございますよ?」
 さぁ、と促され、桂丸は渋々侍女に身を任せる。
 帯を解いてさっさと主人の着替えを済ませると、侍女は布団に入った桂丸の枕元に鈴を置く。
「お呼び下されば直ぐに参ります」
 頭を下げて立ち上がりかけたところでちりん…と涼やかな音が鳴った。
「馨子…、父は偉大だったか」
 ちりん
「馨子、父は強かったか」
 ちりん
「馨子、父は何故、私を認めてはくれなかったのだろうか」
「……姫さま……」
 ちりん
「馨子、父は何故、私を郷に残しておいたのだろう」
 ちりん
「馨子……父は何故…」
「姫さま!」
 桂丸は伏臥したまま厳しい表情で取り上げた鈴を握りしめている侍女を見上げた。
 

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