沼
目の前に子供が二人立っていた。
こちらに背を向けているので定かではないが、隆茉はこの二人を知ってるような気がしていた。
何処で見たのだろう。こんな子供、郷に居ただろうか。
「よく来たな、お前たち」
その声にはっとした。
顔を上げて子供らの先に目を凝らすと、赤いものがはためいている。
「―――」
一歩踏み出そうとした隆茉は己れの変化に息を飲んだ。
そんな事など意に介さず、子供らは人影に向かって駆けていく。男はやって来た少年二人の頭を乱暴に掻き回した。
「暫く会わんうちに、二人とも立派になったな」
赤毛の男がそう言い終わる頃には子供の姿は消え失せて、代わりにそこに立っていたのは。
見覚えがある筈だ。あの子供らはあいつらの幼い頃の姿ったのだ。
二人は依然こちらに背を向けたまま死んだ筈の父と話をしている。
足が動かないのだ。
足どころか体中が、声すら出ない。「隆茉」と云う存在如地面に縫いつけられてしまったように、ただ見ていることしか出来ないのだ。
おかしな光景だった。
そもそも隆茉は、この友人二人が並んでいるところなど片手で足る程しか見たことがない。家の事や職務で時間が取れなくなってきたのがその原因の一つだが、いずれもが子供の頃の話だ。
大人になった二人。それも病の欠片も見えない父と並んでなど。
その時だった。突如辺りが暗くなったのだ。更に彼らの周囲にだけ濃く大きな影が落ちている。
動かない体。それでも隆茉は瞠目した。
宙に何かがいた。
大きい。明るい。暗い。透き通った。歪んだ。……――何だ、あれは…。
「―――!」
叫んだ。声が出ないが構わず叫んだ。あれは、危険だ!
父も気付いた様子で空のそいつを見上げた。しかし彼はさして驚く事もなく、無造作に腰に差していた刀で斬りつける。
常識で考えて届かない筈の斬撃が、しかし届いた。大きく、明るく、暗く、透き通り、歪んだそいつは、自身に比べれば針のような刀によって真二つに両断されてしまったのだ。
地響きをたてて切断された塊が地に落ちる。
父の偉業に友人二人は彼を賞讚するが、父は僅かに照れた様子で「大したことじゃあないさ」などと言っているようだ。
十分大した事である。隆茉には同じ事など、とても出来はしない。
彼らの周囲に散らばった肉片が、砂のようにさらさらと崩れ出す。あっと言う間に崩壊し、最早跡形も無い。
友人らは相変わらず父を持ち上げていたが、そのうち一人が初めてこちらを振り返った。
目が合う。
すっと伸ばされれた指先は確かにこちらを差していた。
「気をつけろ」
その声は、今までになくはっきりと隆茉の耳に届く。
突然背中に悪感が走った。
「後ろだ」
一瞬にして、周囲が暗くなる、影が濃くなる。
ぞぞぞぞぞぞぞ…という低音と共に背後のそれが膨張していくのを感じていた。
体が動かない。声が出ない。
大きく、明るく、暗く、透き通り、そして歪んでいるそいつは、遂に隆茉の背丈を遥かに越え覆い被さろうと垂れ下がってきた。
そこで初めて気付く。
この、大きく明るく暗く透き通り歪んでいるコレは。その正体は……
『とある人里の東の国に、時津名唔と云う神が棲みついたのが事の発端だ』
そうだ。
こいつが――
隆茉は何一つ対応出来ぬまま、その顎腮に呑まれた。
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