[携帯モード] [URL送信]
その坂は登り舞い戻るを赦さず -3

 二十日もすると重那は床を払ったものの、やはり桂丸は動けない。辛うじて腕を斬り落とす事は免れたが、傷が頭から太股までに及んでいては起き上がる事もままならなかった。篁夜連お抱えの医者団、薬師、六の君こと六代目「羅江」お瀧が寄越した神官ら総手でも立ち上がれるまで更に一月を要し、篁夜連に戻ったのは更に十日が過ぎた頃だった。
 その間に、伊集茂に出向いた瀞丸は神々に多大な貸しを作り恩を売って戻っていた。宗禎の命により厳重な箝口令を敷いた事で事件の露見を最小限に留め、伊集茂の威光を守ったのだ。
 その時の神たちの顔を想像した者は多かろう。卑しい鬼畜めらが、と地団駄でも踏んだろうか。
 桂丸は更に七日篁夜連で養生し郷に戻った。篁夜連にいる間に羅江によって汚れは完璧に落とされていた事も事件の露見を防ぐのに一役買った。



◇◆◇◆



 先程清綱が言ったのはこの頃の事だろう。当時を知る三人は、話の間中滝の如く汗が流れたせいでかなり困憊していた。
「山の麓で合流した時は奴の腕は駄目だと思った。何せ骨が見えておったからな。優秀な医師のお陰もあるが、何より桂丸の生命力の凄まじい事。儂も体には自信があったが、あれを見てしまうとそう言い続けるにはどうにも気後れするな。
―――大丈夫か、お前たち」
 全く大丈夫ではなかった。畳にめり込んでしまいそうだ。
 恐ろし気な話なら弱った心の臓を労って聞かずにおくと言って引っ込んだ猗左衛門に倣えば良かったと、三人ともが後悔していた。
 今の話を聞く限り、ある程度治っていたと言ってもあの傷は凄まじかった。当時は祝言を挙げて幾月も経っておらず、漸く郷に戻り久方ぶりに再会した新妻が夫の風体を見て卒倒したのも無理はない。このせいで一子目が産まれるのが十年遅れたと言われていた。
 その一子目も流石に表情が硬い。
 桐衛門は桂丸に酒を薦める。確に気付けが必要だ。
「今になってもあの時何故時津名唔があれ程あの地に執着したのかは分かっていない。だだ一様に、返せ返せと繰り言を言っては山を降りようとしていたようだな」
 桐衛門は苦笑する。この様では聞こえていないだろう。
 洋治郎らは「あれはそういう事だったのか!」と身悶えているようだったが、桂丸は違った。
 又聞きではいまいち迫力が伝わりずらく、父が負ったと言う傷も痕も残らず治っていたから想像しずらい。しかし話の内容に打ちひしがれている家臣らが、簡単にここまでの醜態を晒す者らでないのは良く知っていた。
 それに加え、父は更に「蛇やら犬神やら妖狐やら」に苦心させられたのだ。
 務まるだろうか、と思う。
「桂丸!」
 強く背中を叩かれ、勢い余って手にしたままだった杯を落としてしまった。零れた酒が畳に染みを作る。
 桐衛門は上気した顔を引き締め、桂丸の腕を取った。
「そなたには期待しておるのだ。この程度で憶すようでは務まらんぞ」
 ぎくりとした。顔に出してしまったのだろうか。桂丸は言葉をつむげずに目を瞬かせる。視界の端に映る臣らもはっとした様子だった。




[*前へ][次へ#]

13/25ページ

[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!