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独往 -3
「そうか……、そなたあれを知らなかったのだな。まぁ仕方なかろう。最刈山の一件の頃は、そなたはまだ生まれておらなんだ」
 話してやろうと言われ、桂丸はぱっと顔を上げる。篁夜連は当主のみでの談合ずくが多々ある。そうなれば家臣らの知る所ではなく、かような話を聞く機会など滅多に無い。
「じき夕餉時だな。お招き頂けるか? 桂丸」
「勿論でございます。是非とも」
 桐衛門は目尻に皺を刻んで微笑んだ。
 一木へ戻る道すがら、桐衛門は侍女を一人捕まえて自分の分の膳を桂丸の離れに運ぶよう命じる。既に日は落ちていた。
「惟靖には気を付けよ」
 禿頭の老将がそう言ったのは、左手に離れへ渡る回廊が見えた頃だった。
「奴め、郷に十数人からの妾が居っての。子も男十三、女九とそなたの所では考えられん程居る。だと言うのにここの侍女らにも幾人か手を付けていて、女好きもここまで来るとようやりおると、呆れるばかりじゃ」
 惟靖は亡き父景実よりも十といくつか上なだけだろう。その歳で二十二人もの子供が居るとは、成程桂丸の郷では考えられない。
 父は母雪代を殊の外愛しており、結局生涯妾は一人も持たなかった。
 だからこそ、隆茉が次代として育てられていたのだ。
「桂丸であるそなたによもや手など出せまいが、万一と言う事もある。それに、触れるくらいなら幾らでもやりそうだ」
 桂丸は肝に命じた。


◇◆◇◆


 一木に戻るや否や、もの凄い形相の洋治郎が走り寄って来た。廊下のただ中で桂丸は立ち往生する。 
「聞きましたぞ姫様! 背中を見せたは筆頭方々の御前でだそうですな! 何という軽挙! この洋治郎、亡き先代に申し訳が立ちませぬ!!」 
 統矢が出ているという時点で嫌な予感はしていたが、やはりばれてしまったか。剣幕に桂丸はたじろいだ。
「洋治郎」
「しかもかような刻限まで何処においでか! 今しがた汕之輔と統矢を捜しにやった所です!」
 桂丸は何も言えず押し黙る。まさか惟靖に背中を触られた事まで知られているのだろうか。つい先程背筋をひやりとさせた身では何も言い返せない。
「叱るばかりでは人は育たぬぞ、込山」
 桂丸の背後から低い声が鳴った。
 桐衛門の事を失念していた。桂丸の頬に朱が差す。
 洋治郎は主の背後に立つ偉丈夫の姿にひゅっと咽を鳴らして硬直した。
「とっ…………」
 それだけ言って次の言葉が続かない。
「桂丸に夕餉に招かれたのだ。暫し邪魔をするぞ」
 我に返った洋治郎は、篁夜連下院三席を座敷に案内する。
 桂丸も慌ててそれに続いた。
「大変お見苦しい所をお目にかけまして……」
「はは、良い良い」
 桐衛門はからからと笑う。
 騒を聞き付けて離れのそこここに散っていた家臣らが顔を出す。しかしそこに下院三席の姿を見つけ慌てて引っ込めている。洋治郎のみらなず桂丸も顔から火が出る思いだ。
「なんと! 桐衛門様!」
 そんな中、飛び出して来る者もいた。
「! 猗左衛門!?」
 森口猗左衛門は、先々代の頃からの臣で、六代目の初登城と云う事で特別に付いて来た老爺だ。隠居していたのだが、桂丸が引っ張り出した。
 転び出るようにして桐衛門の前で叩頭した猗左衛門は、不沙汰を詫び、再会を喜ぶ。桐衛門も相好を崩しその老いた肩を抱いた。
「いやはや嬉しや。桂丸から退いたと聞いて残念に思うておったのだ。復職か?」
 老爺は苦笑して桐衛門の背後に立つ若い主を一瞥した。
「これからは若き者の時代。拙のような老いぼれは早々に身を退くのが肝要でしょう。――ところで桐衛門様、本日は如何様な?」
 猗左衛門の手を取って立ち上がった桐衛門は桂丸を振り返る。
「先代の話を聞かせてやろうと思うての。――猗左衛門、込山も、口出しするでないぞ?」
 




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