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濃霧の宵



 目を開けると、アイドルの如き爽やかな寝顔が間近にあった。
 しかし如何せんこちらも寝起きである。一瞬事態が呑み込めず、誰やったかな…、とぼんやり考えそれが森下だと認識するまで数秒を要した。
「!」
 背中にぶわりと汗が噴き出し、ろくに無い腹筋だけで上半身を起こした。いわゆる火事場の何とかである。
 驚愕のあまりバックンバックンと激しく鳴る鼓動が耳にまで届く。深呼吸を繰り返してようやく周囲に目が行った。
 薄暗い場内ではそこここで布団が延べられ、鼾による多重奏が演奏中だった。
 大阪府警の格技場である。
 例の如く捜査協力の打診を受けた友人の助手としてこの度の事件に参加した私が、何故地元民のくせに警察署で寝ていたかと云えば興味半分、火村が動かなかったの半分である。
 推理作家の私が捜査を見学していると言うと自作に実際の犯罪を投影していると思われがちだが、それは無いと断言する。私はオリジナリティを第一としているのだ。
 それでも取材は重要である。今回は懇意にして頂いている船曳警部の口効きで、布団業者に話を聞かせて頂いたのだ。
 そう。私の目的は警察ではなく、泊まり込みの際に出入りするという布団業者だったのである。
「流石大阪人、商魂逞しいな」と火村には呆れられてしまったが。
 首を巡らせてみると隣の布団が空になっている。僅かに人の形を残したそこに討ち入りした赤穂浪士のように手を入れてみたが、かの事件とは違い布団は冷えていた。トイレに立ったのでもなさそうだ。
 すっかり目が覚めてしまったのもあり、私は森下を起こさぬようにそっと布団から、そして眠る格技場から抜け出した。
 節電で薄暗い廊下を進み自販機の並ぶ休憩所を覗くと案の定、紫煙をくゆらせた友人が居る。何してると声をかけると火村は視線だけをこちらに寄越しぽわりと煙を吐き出した。
「……寝癖ついてるぞ」
 手櫛で髪を整えながら火村の斜め向に腰を降ろす。男は重そうな瞼をゆっくりと開閉させながらも煙を吸い、今度は吹くように吐いた。
「……推理小説ではしばしば職業探偵でない者が犯人を上げるな。家政婦とか」
 暫くして、ぽつりと火村が言う。私は苦笑してしまった。家政婦の他に例えの出ない彼の推理モノフォルダの乏しさ。
「お前もそうやないか。社会学部の准教授さん?」
 茶化すなと叱られた。
「その中で専門家と呼ばれる人物が事件を解くものがあるだろう」
 私の亡き友人の作品はそれだ。考古学者が考古学の絡む事件の謎を解く。
「そんな探偵達が全く別分野の事件にあたったら………」
「火村……」
 言わんとしているところは良く分かった。今回の事件は正にそんな臭いがするのだ。
 中途半端な遺体の破損。奇妙なダイイングメッセージ。ころころと変わる証言。密室。しかしそれだけではない何かが、時折見え隠れするような……。
「もう寝ろ。明日に響く」
 火村はちらと私を見、煙草を灰皿に押し潰して立ち上がる。問いに答えられない私は他に掛けられる言葉が無い。
 格技場に戻る背中は直ぐに見えなくなった。私は灰皿に目を転じ、吸い殻の量に火村の苦悩を見る。
 布団に戻ると火村は私に背を向けていた。私も同様に横になれば森下と三人同じ方向を向いて寝ている事になるが、勿論そんな事はしない。
 闇の天井を見上げながら鼾の合奏を聴く。
 推理作家は自分の探偵に見合った舞台を用意する。しかし現実はそう都合良くは行かない。いざとなったら専門外だと突っ跳ねられる身分には無く、臨床犯罪学者は明日もまた頭を悩ませるだろう。
「火村」
 そんな中で私に出来るのは。
「絶対解決させような」
 暫くして当然だ、と返事が返って来て、私は口許に笑みを浮かべながら瞼を閉じる。

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