店内の一角がやたらと賑やかだ。
店員に案内されてやってきたハンナはそれを微笑ましい光景だと思った。
「おお!遅かったでねの、ハンナ!」
ハンナの登場にいち早く気付いたのはデンマークだった。
「なかなか片付けが終わらなくて。これでも途中で切り上げてきたんだよ」
「そうかぁ、大変だなあ。ノルんちに移る準備だべ?」
「そ。ウチ意外と物が多いみたいでさあ……」
やれやれとため息を吐くハンナに、デンマークは一枚の書類を差し出した。
「何これ」と訝しがるハンナを「まあ読んでみれ、びっくりすっから」と抑え、デンマークはウインクする。
二人の向こうでは、他の面子が何やら楽しそうに騒いでいた。ハンナは気を取られながらも、デンマークから渡された紙を読んだ。
「うそっ!
アイスがノルウェーと兄弟?!」
ハンナは思いの外大きな声を出してしまい、はっとして口を手で覆った。デンマークがけらけら笑いながら、紙を一緒に覗いてくる。
「な、驚いたべ?俺はてーっきりアイスと兄弟なのはおめえだと………ん?」
「何、デンマーク?」
「気付かねかった。おめも見てみれ、このちっせえ字」
デンマークが指をさした場所には、小さくハンナの名前があった。
それは、ハンナもアイスランドと姉弟関係があると言えるという内容だった。
どうやら最古の生活跡はノルウェー人によるものだが、ほぼ同時期にハンナの国の人が残したものも僅かながら発見されたらしいのだ。
「ハンナ!助けて!ノーレがっ」
「あ。アイス〜!やっと私のところに来てくれた!」
「むぐっ……ちょっ、今ぎゅーってするのは止め」
「ハンナ、浮気け」
「うわああああ違うけどごめんなさいいい」
「……ほらね」
(ハンナちゃん、スーさんの威圧感は平気なのにな……?)
ハンナの登場によって騒ぎは一旦治まり、ようやく彼女にも話の内容が伝えられた。
アイスランドがなかなか「お兄ちゃん」と言わずわいわいしていたのだと知り、ハンナは頭の後ろで腕を組みつつ「なるほどね」と笑った。
「アイス君は恥ずかしがり屋さんだからね〜」
「まあ、それが可愛いんだけど。ねえアイスー」
「ハンナはいちいちくっつかないで」
「……そうだぞ」
「わわわっノルウェー!離れるから離れるから!」
「おめえらそれ楽しいけ?」
相変わらずスウェーデンだけが沈黙を守っている。ハンナも巻き込んで騒がしくなり、店内には彼らの声がよく響いた。
「アイス、棒読みでもいいから呼んであげたら? "お兄ちゃん(はぁと)"って」
「……ハンナなら味方になってくれると思ってたのに」
「そんなに恥ずかしがらなくても大丈夫だって。私だって言えるよ?ノルウェーだってデンマークのこと"あんこ"って言うでしょう?」
最後の砦は無いのだとアイスランドはがっくりと肩を落とした。対してハンナは、そんな落胆の様など目に入ってはいないようである。
「見ててね、アイス?」
「は?」
アイスランドは全く意味が分からなかったが、彼女が言うとおりに注目する。ハンナは自分の席からスウェーデンの後ろへ移動した。
「スヴェーリエお兄ちゃん!」
「……おう」
「ハンナちゃん、僕も僕も!」
「フィンおにーいちゃん!」
「ふふ、はーあいっ」
ハンナは誰の妹でもなく、また兄貴分だの妹分だのという上下の観念は無いが、時にこうしてじゃれるのが好きなのだ。
今ハンナのようにすることが望まれるアイスランドには、全く以て理解不能なことだった。
「ほら恥ずかしくない!ねっ?」
「それはハンナだからでしょ、僕はいやなの」
「ハンナハンナ、俺んこともお兄ちゃんって呼んでみ?」
「お兄ちゃ」
「黙れあんこ」
「ぐえぇっ!!」
また始まったノルウェーの制裁タイムをぽかんと傍観していたアイスランドは、はたと閃いた。
もしかして、ハンナは自分が「お兄ちゃん」とみんなを呼び話をずらすことで助けようとしているのではないか、と。
「……アイス。ハンナの手本通りに"お兄ちゃん"、言ってみ」
しかしそう巧く事は運ばない。アイスランドの頭の中が分かっているかのように、タイミングよくノルウェーが話を振ってきたのだ。
そのせいで全員の照準がアイスランドに戻ってきて、再び居心地の悪い空間が出来上がってしまった。
「あー、くっそ!」
「ほれアイス、"お兄ちゃん"は?」
忘れられたとでも思ったか?とでも言いたげな、ノルウェーの勝ち誇った眼差しや唇の弧がアイスランドには腹立たしかった。
「ねえノルウェー、アイスをあまり虐めないであげて」
「……おめえは"お姉ちゃん"呼ばれたくねえの?」
「うん、昔から私"ハンナ"だったしいいんだ」
「ハンナ……」
「だども俺は呼んでもらうっつう約束だ。つーわけでアイス、早く言えこの」
やはりノルウェーは退かない。
「お兄ちゃん」
「やだ」
「お兄ちゃん」
「やめて」
「お兄ちゃん」
「言わない」
「お兄ちゃん」
「知らない」
「お兄ちゃん」
「言わない」
「お兄ちゃん」
「知らない」
「お兄ちゃん」
「言わない」
アイスランドは背後から吹き付けるノルウェーの威圧感オーラにじっと耐え、嵐が過ぎるのを待っていた。
「うーし!アイスが兄ちゃんつうまでアイスのおごりな!」
「意味わかんない!変なこと言わないで」
ノルウェーの連打を断ち切ったのはデンマークだったが、言い方が好ましくなかった。デンマークのセリフでついに我慢の限界を超えたアイスランドは、椅子の背もたれに掛けていた上着を剥がし、それをばさりと羽織った。
「もういい」と、デンマークの冗談だという声もハンナの呼び止める声も聞かず、上着に袖を通して遠ざかっていく。
飼い鳥のパフィンが慌ててアイスランドを追っていくのを、兄達は黙って見ていた。
「アイス君行っちゃった……」
「スヴェーリエ、」
「追っかけるんでねえど」
「うん……」
ハンナが寂しそうにうなだれながら席についた、そのときだった。
アイスランドが去っていった向こうの曲がり角から、こちらをのぞき込んでいた。一瞬で隠れてしまったが、今度は背を向けて現れ小さな声で「お兄ちゃん」と言ったのだ。
「アイス……!」
「ハンナ、座ってれ。行くんでね」
「う、うん。ごめんスヴェーリエ」
照れ隠しか本気かは定かでないが、アイスランドは手だけをこちらに覗かせ、親指を立てた拳を下に向けた。
普通なら憎たらしくなるその仕草も、アイスランドがやれば可愛らしく感じてしまう兄達である。
「まったくアイスは素直じゃねえなあー!可愛いやつめ!うんうん」
今度こそアイスランドは帰ってしまったが、皆一様に頬を緩ませ微笑んでいた。
「そういえばおめ、いつんなったらウチ住むんだ」
「うーん、あともう少しかな」
「手伝う?」
「いやぁすんごい秘密の書類とかもあるし駄目だよ」
「俺達もうひとつだべ?」
「スーさん。ハンナちゃんとノル君、聞いていたより仲良さそうでよかったですね!」
「………」
「スー、さん?」
「んだなぃ」
心の中ではいつでも呼ばれてる、声の聞こえない私達が気が付けずにいるだけで
「店員さーん!もういっぺえ!!」
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