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***






おばあさんを食べた狼は、戸をしめてベッドにもぐりこむと、赤頭巾ちゃんのやってくるのを、今か今かと待っておりました。
やがて、とん、とん、と戸をたたく音がしました。



「だれだい」

「赤頭巾です。お母さんのお言い付けで、ビスケットとバターの壷を届けにまいりましたの」



女の子がはいってくるのを見ると、ベッドの中の狼は、掛けぶとんの下に身をかくして、こう言いました。



「そこの茶箪笥の上に、ビスケットとバターの壷を置いといておくれ。それから、ここにきて、わたしと一緒に寝るがいいよ」



赤頭巾ちゃんは着物をぬいで、ベッドの中に入ろうとしましたが、ベッドの中のおばあさんの有りのままの姿を一目見ると、すっかり肝をつぶしてしまいました。



「まあ、おばあさん、なんて太い腕をしていらっしゃるの!」

「お前を力いっぱい抱いてやろうと思ってね」

「まあ、おばあさん、なんて大きな脚をしていらっしゃるの!」

「急いで走れるようにね」

「まあ、おばあさん、なんて長い耳をしていらっしゃるの!」

「なんでも聴いてやろうと思ってね」

「まあ、おばあさん、なんて大きな目をしていらっしゃるの!」

「なんでも見てやろうと思ってね」

「まあ、おばあさん、なんて大きな歯をしていらっしゃるの!」

「お前を食べてやろうと思ってね」



こう言うと、この悪賢い狼は、赤頭巾にとびかかって、むしゃむしゃ彼女を食べてしまいましたとさ。



おわり





***






「Shit…!あンの変態waster…!信じらんねぇ…!!」



未だ熱の引かない頬を手で覆い隠しながら、政宗は壁伝いにずるずるとその場に崩れ落ちた。
確かに、多少気分は紛れたが、だからと謂って他にも慰める方法は幾らでもあった筈である。
思い出した途端、再び体温が急上昇し始める。
その気もなかったのに結局は快楽に流され、よりにもよって見え透いた脅迫に臆した揚句、あんな…



「だぁあああ!!Goddomn!!思い出したくもねぇッ!」


言いようのない恥ずかしさを紛らわす為に、力任せに壁を殴る。



「お前…んな所で何やってんだ?」



と、そこへ、頭上から聞き慣れた声が聞こえた。
小さく呻きながら顔を上げると、丁度戻ってきたのか、困惑した様子の元親がこちらへ歩み寄ってくる最中だった。
流石に今は、八つ当たりする気にもなれない。
肩を落し深い溜め息をつく政宗の首筋に、先程迄なかった赤い痣を元親が見つけたのは、その時である。
よく見れば、耳もほんのりと桃色に染まっている。
こんな時ばかりは、普段働かない勘もよく働く。
何となく、自分がいない間に部屋の中で何が起きたのか察した彼は、眉を寄せながらも、敢えて不満をぶつけるような事はしなかった。
政宗のあの男への評価が下がっている今が、自分の優しさを売り込むチャンスだからである。
ここで株を上げておけば、後程美味しい所を頂けるかも知れない。
想像して緩みかけた頬を引き締めると、元親は出来る限り優しく、政宗の頭を撫でた。
ぴくりと、褐色の髪が震える。



「…何だよ、馬鹿チカ」

「別に。意味はねェよ」

「………元親…」



遂に陥落したか、と、鼻の下をだらしなく延ばした元親だったが、どうやら、そう謂う訳でもないようだ。
明らかに不機嫌そうに光る独眼。
逆効果である事に気付いていないのは、政宗の表情を伺えない元親ばかりのものである。



「テメェ…部屋の方はどうだったんだよ」

「ん?捜したんだけどよォ、オーナー見つかんねぇから帰ってきちまった」

「何だと…?」



政宗の怒りゲージの針が振り切れたのは、この時だった。
そもそも、誰かが部屋に居れば小十郎は手を出してこなかった筈である。
彼に部屋について尋ねるよう頼んだのは自分であるだとか、そのような事は今一切関係なかった。
こちらが大変な目にあっていたと謂うのに、何の功績も残せず帰ってくるとは。
そこで、政宗の脳内では、元親さえ居れば、が、元親のせい、に変換されたのである。
恥ずかしさと怒りが、脳の伝達回路の誤作動を招いたのだ。



「こ…っの役立たずがぁ!!!」



彼の渾身のアッパーが元親の顎に非常に美しい形で決められる。
まるで映画のワンシーンのようなそれは、ある著名な画家によって後に名作と言われる絵画にされたとか、しないとか。








悪友を一発K.O.した政宗は、自ら従業員の居住スペースへと出向いていた。
そもそも、それ程客室も多くないペンションだが、その内の二部屋の主が消えた今、建物の中はまるで時が止まったように静まり返っている。
自分達の他にあと一組、部屋数からすれば誰かが宿泊しているらしいが、政宗は未だその部屋の主とは顔を合わせた事はなかった。
まさか既に事切れていると謂う訳ではないだろうが、念の為後で確認しておいた方が良さそうだ。
部屋数と謂えば、先程から一つ引っ掛かっている事がある。
何故、彼女達は此処へ来たのだろうか。
個々の性格や事情迄は把握出来ていないが、少なくとも、もし政宗が同じ立場だったら、此処には来なかった筈である。
どう考えても、それが不自然な事のように思えて仕方がない。
もし理由があるとすれば、それは恐らく…



「いやあああああッ!!!」

「ッ!?」



思考を切り裂くように、甲高い女の悲鳴が響き渡る。
この声は、確か受付で自分達の対応をしていた従業員の物だ。
未だ何かから逃れようと短い悲鳴を上げ続ける女の元へ、政宗は走る。
奥の居住スペースでは、女が頭を抱え込みながら床に座り込んでいた。
大分錯乱しているのか、がたがたと震えながら嫌々をするように体を左右に揺すっている。
近付くと、彼女は頭を抱えたまま窓の方を指差した。
政宗は、その様子を横目で見遣りながらも、正面の窓に少しずつ歩み寄る。
彼女が開けたのだろうか、白いカーテンは、誘うように大きく体を揺らしていた。
慎重に、それを横へ引く。
ざら、と、カーテンレールが滑る音が鳴る。
開け放たれた窓は、その両手を招き入れるようにして室内に突き出していた。
四角い枠の中一杯に満たされた、黒。
その枠の上の方で、ゆらりゆらりと、白い物が左右に揺れる。
政宗は窓から身を乗り出し、上を見上げた。






赤が、揺れる。






そこには、血のように赤い布で首を括り、悲しそうにこちらを見下ろすオーナーの姿が在った。
体重がかかって首の関節が外れたせいで、頭部が支えをなくしたようにだらりと下に傾いている。
ぎいぎいと、風が吹く度に、彼を吊した枝が軋んだ音を起てた。
見開かれた双眸には最早光は無く、虚ろな硝子玉のように政宗を映している。
何故、こんな事に。
呆然とそれを見つめていると、力無くぶら下がったその手に、何かが握られている事に気付く。
左右を見回し人の気配がない事を確認すると、政宗は窓を攀じ登り庭へと飛び降りた。
夏の夜の生暖かい空気が、湿気を孕んで肌へと纏わり付く。
遺体は、到底手の届かない高さにある。
これは一度、地面に降ろさなくてはならないだろう。
現場保存、と言っても、それより優先させるべきは生命の安全だ。
責任ならあの役立たずに取らせればいい。
踏み台にしたのだろうか、近くに倒れていた脚立を立て直すと、政宗はそれに登り枝に結び付けられていた赤い布を解く。
落下して破損しないように、枝を軸にして、体重をかけながらゆっくりと下に降ろす。
途中、窓越しに遺体を見てしまったのか、女の悲鳴が、室内から聞こえた。
漸く地面に到達したのか、腕にかかる重みが消え、政宗は脚立から下りる。
男の手中に握られていたのは、携帯電話だった。
ポケットからハンカチを取り出し、それを手に巻いて固く閉ざされた指を一本一本広げていく。
少し型の古い開閉式のそれを開くと、ディスプレイは新規メール作成画面のまま止まっていた。









もう、限界だ
闇に紛れて狩人が来る
私に制裁を与えようと、裁きの銃口を向けながら
狩人の嘲笑いが、耳から離れない
私は、この恐怖に耐える事等出来ない
私は、自らの手で沈黙する
全ての罪と、謎を抱きながら

黒き狼










「コイツが…今回の事件の犯人だったってのか…?」



脳裏に、常に何かに怯えていたような男の姿が過ぎる。
恐らく、ここに在る狩人とは、あの男の事なのだろう。
赤頭巾の話の通りであれば、確かに、最後狼は狩人と彼に救い出された赤頭巾と老婆の手によって制裁を与えられる。
もしも男がそれに気付いていたとしたならば、恐怖に駆られ自ら命を絶つ事も考えられなくはない。
だが、何かが腑に落ちないのだ。
死神の謳に綴られていた、三つの掲示。
一つ目は、赤きワイン。
それに見立てられた第一の殺人は、血を満たしたバスルームの中で行われた。
二つ目は、愚者の道。
己から死に急いだあの女の道筋を、示しているのだろう。
そして三つ目は、嘆きの詩。
それがこの遺書を指しているのだろうが、それだけがどうも不可解である気がするのだ。
もしも男がこの謳から赤頭巾の狼の末路に気付いたのだとしたら、何故、既に三つ目に己の死が予期されている事に気付かなかったのだろうか。
何かが、根本的に違っている気がする。
真実は目の前に迫っていると謂うのに、まだ、それを覆う靄が晴れない。
その時、小さく唸った政宗の視界に、男を吊していた赤い布が映った。



「赤…頭巾…?」



瞬間、かちりと、パズルのピースが嵌まる音がした。



「ッ!そうか…!」



政宗は慌てて身を翻すと、再び窓に攀じ登り、室内に飛び降りる。
やはりこれは、謳の通りに行われた殺人だった。
もっと早くこの謳の意味に気付いていればと、彼は舌打ちする。
兎に角、今は後悔よりも先にすべき事がある。
既に走り出した足は、真っ直ぐにそこを目指していた。












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あきゅろす。
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