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By which prince's kiss do you wake up?










穏やかな光のカーテン。きらきらと揺れるそれとは対照的にほの暗い寝室は、部屋の主を閉じ込める柩のようだ。規則正しい呼吸を繰り返しているからして生きてはいるのだが、『死んだように』眠っているとしか言いようのない状態の政宗を見ていると、不謹慎ながらそう思うのも仕方がないと感じる。事実、白いベッドの上で昏睡し続けている彼は、注意深く観察しない限り、極めて状態の良い死体にしか見えない。生気のない青白い肌。閉じられた瞼。もう、二度と目覚めないのではないか──込み上げてくる不安を振り払い、幸村はシーツの上に投げ出された政宗の手を握る。じんわりと伝わる生きた温かさに、安堵が広がった。



「政宗殿、ご気分の方は如何ですか?」



返答はない。耳を澄ませば聞こえる微かな寝息が、其れの代わりだろうか。何時の間にか皺が出来る程きつく着ていたスーツの袖口を握り締めていた事に気付いて、幸村は慌てて手を緩めた。白と黒。その二色だけで彩られた着慣れないスーツは、死者を悼む為の衣装だ。
あと五時間程で、葬儀が始まる。参列者は恐らく、自分と信玄だけだろう。親族については、当然と言ってしまえば其れまでなのかも知れないが、連絡先すら掴めはしなかった。人好きされる人柄でありながら深く人と関わる事を避けてきた彼には、幸村や信玄が知る限り友人らしい友人もいなかった。当たり前のように隣に居るのに、何時の間にか忽然と姿を消す。それは例えるならば、影のような存在。思えば、彼自身そう望んでいた事なのかも知れない。記憶の中の彼は、何時だって感情の見えない曇り硝子のような眼で笑っていた。



「今日はあの馬鹿者の葬儀故、ご出席願いたく参上致しました。……これで、もう、本当に、会えなくなりますので」



絞り出した最後の言葉は、情けない程に掠れた。滲み溢れそうになる感情を必死に抑えながら、幸村は無理矢理に笑う。相変わらず、返答は、ない。



「政宗殿が来て下されば、きっと彼奴も喜びましょう。何しろ、貴方は、」



言葉が詰まる。胸が焼けそうだ。持て余した激情を息に混ぜ、吐き出す。気を抜いたら、細く白い此の手を、握り潰してしまいそうだった。目を覚ましてくれと、泣き喚きながら縋り付きたかった。眩い陽光に照らされた政宗は、酷く美しい蝋細工の人形のようで。



「政宗、どの、」



…違う。こんなものではないのだ。幸村が焦がれ止まないものは。
あの男が、全てを投げ打って守り抜こうとしたものは。

























今迄で一番大きな爆発だった。外に避難していた人々が、口々に悲鳴を上げる。凄まじい轟音を上げて、屋敷の半分が崩れ落ちる。巻き上がる粉塵。ぐらぐらと、大地が揺れ動く。誰もが少しでも遠くに逃げようと揉み合いになる中、幸村は必死に政宗と佐助の姿を捜していた。



「政宗殿!佐助!!」



嫌な汗が背中を伝う。爆発の直前まで死神に捕らえられていた政宗。其れに誰よりも近い位置に居た佐助。まさか、まだあの館の中に居ると謂うのか。何処にも見当たらない二人の名を呼びながら、幸村の中の不安はどんどん膨らんでいた。最早、豪奢だった面影は微塵もなく、あちこちから建材を剥き出しにした屋敷は、今にも簡単な衝撃で完全に崩壊しかねない。



「幸村様!!」



背後から橘の鋭い声が飛んだ時にはもう、幸村は走り出していた。考えが足りず体の方が先に動く自分の性質が、どれほど損な物であるかは、幸村自身が誰よりも分かっていた。事実、先程佐助が傷を負ったのも、迂闊過ぎる自分の行動のせいだ。だが、今はそんな事を気にしている余地はなかった。もし二人が中に居るのであれば、其処には間違いなく死神が関わっているだろう。其れは、屋敷の崩壊以上に危惧すべき事態だ。かつて目の前で感じた、あの死神の脅威。研ぎ澄まされた牙を剥くのに、一切の躊躇を見せない所か、楽しんでさえいるような表情。対峙する二人が一瞬で真っ赤に染められる映像が脳裏を過ぎり、幸村は振り払うように更に速度を上げた。所々崩れ落ちて塞がった通路を、時折もつれ転びそうになりながらも進む。恐ろしく変貌した屋敷の内部で、本能だけが幸村を導いていた。



「………ッ、」



突如として、瓦礫の天井は数多の光を湛える星の海へと帰来した。硬く無機質な感覚を伝えていた足裏は、今は柔らかな土と草を踏み締めている。其処は、名も知らぬ青い花に埋め尽くされた巨大な箱庭のようだった。草原は夜の風を受け、ざわざわと揺れる。
その中に、月の光を受けて倒れ伏す人影が在った。



「さ……す、け…?」



夜気に中てられたか、若しくは予感だったのか。酷く冷たいものが、躰を一つ大きく震わせた。ふらふらと、重力を失ったような足取りで、幸村は導かれる。






月光の庭で照らされる安らかな青い寝台は、胸に真紅の花を抱いた、もう目覚める事なき旧友の柩のようで。







「嘘だ、ろう?」



──全てが、悪い夢であったなら。
きっと目覚めた時には隣に佐助が笑っていて、寝ぼけた頭をわしわしと撫で回すのだろう。何時もと同じように。何時もと、同じように。






でなければ、何故そんなにも、幸福そうな顔で──























ごめんね、旦那。でも俺は、



























泥と血に汚れた頬は、既にひんやりと冷たい。問い掛けた言葉ごと奪い去っていく夜の風が、酷く恨めしかった。
それでも、不思議と涙は零れなかった。
佐助がこの事件の枢軸である事を知らされた時にはもう、予感していたからか。其れとも、初めて見る旧友のこんなにも穏やかな寝顔に、赦されていく気がしたからか。
澱み濁っていた心が、浄化されていく音がした。幸村は瞼を伏せ、深く、深く息を吐き出す。腹の底から、余分な感情全てを排出するように。そうして今度はゆっくりと空気を取り込むと、目覚めぬ旧友に、柔らかく、笑った。



「──…大丈夫だ、佐助、」



そう言い聞かせながら、彼は立ち上がる。約束を。例え一方的でも、誓い合った約束を違えぬ為に。幸村には、わかっていた。木々が入り組み、拒むように折り重なった場所。中庭の外れにある其処に、彼は踏み入る。奥に進む度に、突き出た小枝が小さな傷を作っていく。けれど、幸村は止まらなかった。やがて少しばかり開けた、その古井戸の前に辿り着く迄は。月の光を遮るように生い茂った緑の天蓋の下。蹲る人影に、幸村は小さく安堵する。



「──…政宗殿、」



呼び掛ければ、木々の影と化していた細い躰がぴくりと跳ね上がった。緩慢な動作で幸村の方を見上げた政宗の、その表情は翳り読み取れない。



「ご無事で何よりです、さあ、急ぎましょう、ここももう、長くはござらん」

「……い…」

「……政宗殿?」



「さすけが、いない」



まるで、小さな子供のようだと思った。言葉を失った幸村の方へと、政宗は縋り付いてくる。その表情が、僅かに洩れる月明かりに照らされた刹那、思わず息を呑んだ。漸く見えた琥珀色の瞳は、幸村を見上げながら、もっとずっと遠くを見つめていた。



「いないんだ」



その時初めて、幸村は政宗の胸元が赤黒く染まっている事に気付いた。そして其れが佐助の物であると思い至った瞬間、彼は眼前の頼りない躰を抱き締めずにはいられなかった。
嗚呼、きっと、政宗が見た物は。佐助が、最期に護った物は──



「──行きましょう、政宗殿。…羽ばたかねば、鳥は嵐に飲まれるだけだ」



其の言葉は果たして、届いていたのだろうか。自ら飛ぼうとしない鳥は、ただ、堕ちていくだけだと。
幸村には、彼を悲しみから遠ざける事以外にしてやれる事は、何一つなかった。その代わり、自分が此処で逃げてしまったら、誰も政宗を救い出せない事も、知っていた。






「行きましょう。俺が、貴方の翼になろう、」






幽かに、政宗が小さく微笑んだのを、幸村は見た気がした。

























其れきり、深い眠りに堕ちた政宗は、目覚める事なく。彼に何処までも忠実に尽くす男曰く、過度の精神的衝撃による冬眠状態と言う事だ。雪解けが何時訪れるのか、其の定義は酷く不明瞭であったが。
戸を叩く音に現実に引き戻され、幸村はそっと政宗の手を離す。掌に残った温もりが、何故か今は痛かった。遠慮がちに扉を開いたのは、幸村に政宗の状態を教えてくれた片倉小十郎その人だった。何時もきっちりと整えられている髪は、珍しく下ろされたままになっている。一種の貫禄のようなものを兼ね備えた精悍な顔立ち。それも今は、主が倒れたとあって流石に僅かな憔悴の色を滲ませていた。ふ、と口元を歪ませて笑う小十郎は、幸村にはない完成された男の魅力を漂わせている。左頬に走った疵痕の理由を知る幸村にとって、彼は追い付きたくとも届かない存在だ。



「…満足したか?」



低い艶のある声で問われ、静かに頷く。本当は目覚めを待ち続けたかったが、この男の前で其れを口にする事は赦されない。元はと言えば、幸村が政宗を誘った事から始まった事件だ。例え其れさえも死神の計算の内だったとしても、そんな事は小十郎には些細な問題だろう。政宗に仇なす者は総じて敵と見なす彼には、今の幸村は限りなく曖昧な立場に在る筈だ。これで政宗を助け出したのが自分でなかったらと思うと、ぞっとする。



「我が儘を聞いて頂いて、感謝致します。片倉殿」

「──ああ」

「……政宗殿を、宜しく、お願い致します」



深々と頭を下げた幸村は、小十郎が眉間に深い皺を刻んだ事に気付かなかった。彼は疎らに散った前髪を始末が悪そうに掻き上げる。



「……真田。アンタには悪いが、俺はアンタを赦してやれねぇかも知れねぇ」

「…承知致しております。然し、其れは当然の事…俺は…」

「──だがな。滑稽だと思うかも知れねぇが…アンタには…感謝もしてるんだ」



男の言う意味が解せず、幸村はただ驚愕の視線を向けた。漆黒の闇を閉じ込めた双眸は、柔らかで鋭い、奇妙な光に揺れている。其の色を、幸村は知っていた。彼が言葉もなく、ただ政宗を見詰めている時の目。きっと其れは今も変わらず、幸村の中な眠る主の微かな残滓を見透かしているのだろう。彼は、幸村であって幸村でない者を見ていた。



「……政宗様。恐らく貴方は今、御自身の中に巣くう闇と戦っておられるのでしょう?切っ掛けが何であれ、貴方は過去と向き合われる事となった。遠からずその時が訪れる事、この小十郎は予期しておりました。貴方が囚われている死神の影を打ち消す為には、己が自身を見据えて頂くしかない。
……然し、俺には、其れを促す事が出来なかった」

「片倉殿…」

「…俺は…ご自分を知った貴方が、何を選び取るのか……貴方があの男をお選びになる事が…怖かった」



誰よりも政宗の傍らに居たからこそ、誰よりも政宗を思っていたからこそ。…何時だって彼が死神を見詰めている事に、気付いていた。其の感情が何であるのか、政宗自身は未だ理解していなかったけれど。



「──…俺を、お赦し下さいますな、政宗様」



まるで、唯一つの神に懺悔を捧げるかのように。深く、深く。政宗が失われたままならば、きっとこの男は世界の全てを赦さないのだろう。幸村は静かに、胸を軋ませる激情を飲み下した。


























ブラインドから差し込む僅かな光を受け、重厚なマホガニーが飴色の艶を放つ。埃一つなく整頓された机の上で両肘を付き、手を組み合わせた男は、冷たい美貌を揺るがせもせず、部下からの報告を受けていた。



「で、あるからして、現在勢力を上げ捜索中で──」

「もう良い」



報告を続けようとする部下の言葉を、男は無機質な声でぴしゃりと遮る。黄土色の瞳が、不機嫌そうに細められた。



「…長々と口上を並べたが、要は、『シンジ』の行方は未だ掴めておらぬ。そう言う事であろう」



それきり返答しない部下の沈黙こそが、何よりも雄弁な回答だ。男は手を解き革張りの椅子に深く腰掛け直すと、態とらしく溜め息を吐いた。



「…使えぬ駒よ。やはり貴様の指揮ではたかが知れておると言う事か、長曾我部」

「………」



見下すような物言いに、報告の為に呼び出されていた元親は何かを言い掛け、口を噤む。このやたらと人の神経を逆撫でする腐れ縁の幼なじみは、昔から元親より優位な立場に居ては、最早宿命のように彼を罵倒し続けてきた。其れは警官になってからも変わらず、元親が配属された先の上官の椅子に彼が座っているのを見た時には、最早前世からの因果か何かだろうかと運命を呪ったものだ。



「…すみません、毛利警視正」



何時もならば、警視正──毛利元就に食いかかる元親と、それをあしらい更に追い詰める元就と言う構図がここで出来上がるのだが。今ばかりはそんな気分にもなれず素直に頭を下げる元親に、元就は微かに顔を顰める。不遜な態度ばかり取る元親がこれだけ素直になる時と言えば、彼の事に付いて思い悩んでいる時以外有り得ない。



「………そんなにも、伊達の事が気掛かりか」



案の定、その名を口にした途端、大柄な肩が面白いぐらいに強張る。相変わらず分かり易い男だと、元就は思う。



「お前には、関係ねェだろ…」



押し殺すように低く呻く元親の、左右色の違う瞳が、揺れる。其れは悲嘆か、苦悩か。何れにしろ、明らかに介入を拒もうとしている事に間違いはない。彼は敢えてその呻きを無視する。



「あれには彌堂グループ関連の事件で聞かねばならぬ事が山のようにあるからな、何時までも寝ていて貰っては困る」

「元就ッ、テメェ…ッ!」

「──其れに、」



弾かれたように顔を上げ、憤怒の表情で胸倉へと掴み掛かってきた元親に顔色一つ変えず、元就は淡々と続ける。



「伊達は、今も変わらず我の部下だ。あれが勝手な行動を起こしただけで、我は認めておらぬのだからな。一刻も早急に復帰させねば…貴様のような馬鹿ばかりでは適わぬ」



最後にたっぷりと皮肉を込めて鼻で笑うと、元親は実に複雑な顔をした。



「…おま、それは……ぐぬぬ…珍しく心配してる事に関心すべきなのかさり気なく馬鹿にされた事に怒るべきなのかわかんねェ…」

「戯れ言は良い、さっさと汚らわしい手を離せ。単細胞が感染つる」



ぱちん、と無骨な手を叩き落とし、掴まれた襟首を入念に払う。皺になった上質なダークグレーのスーツを眺める元就の脳内では、既に元親にクリーニング代を請求すべきという答えが導き出されていた。そんな事とは露知らず、不遇なる銀髪刑事は、一瞬でも関心した自分が馬鹿だったとぎゃんぎゃん吼え立てている。矢張り、こんな部下ばかりでは彼が望む完全なる統率等遠く叶いはしなさそうだ。元就は再び溜め息を吐きながら、あの事件を境に自分の許を離れた有能な元部下を思う。黄金色の双眸が印象的な、猫のように掴み所がない男。その男に不似合いにも執着等している自分に、思わず笑みが浮かぶ。其れは断じて、不快な感覚ではなかった。



「…うぉ…も、元就が……笑って、うぐはっ!!!」



直後、異常なまでに怯える元親の顔面に中身がたっぷり注がれたインク壺が命中したのは言うまでもない。
































「───やっと、見つけた。探したよ……神サマ、








ねー、アンタのアリスに手を出したのは、確かに悪かったよ。だけどさー、もう、しないから、さ?








…俺はね、材料さえくれれば、それでいいんだよ、アンタの駒でも、ね」




















「──ならば、手伝って頂きましょうか。…丁度、人手が欲しかったのですよ」








闇が曖昧にする二つの輪郭。
死神と呼ばれる男は、その神の仔を名乗る男に、ゆっくりと、振り返る。宵を思わせる暗い双眸が、所々赤黒く汚れた金色を捉えた。



「……勿論、幾らでも。アンタの為ならね」



歓喜を滲ませて、餓えた獣が、笑う。
二つの狂気が、静かに空を冒した。





















──…月蝕の日は、近い。























To the next story...


あきゅろす。
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