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雲雀の別離【途中微裏/甘/シリアス夢】




私は迷っていました。
この五年間、悩んで悩んで
ずっとずっと真実から目を閉じていた

何も見たくなかった
何も聞きたくなかった
何も感じたくなかった

苦しむ人々から
虐げる貴族達から
私は全てから逃げてきました。

嘘を沢山ついて
嘘の笑顔を浮かべて
毎日を生きてきたのです。

でも私は貴方に会えて
自分の使命を見つけました。
貴方やベポ達やサク達が私の光だったように
今度は私が貴方達に恩返しをします


だから…さようなら

『雲雀の別離』
















「ただいま…戻りました。」
「遅かったな」

宿に帰ると自分との二人部屋ではローが二人掛けのソファーに長い足を組んで本を読んでいた。

フジは買ってもらった着物をテーブルに置くと、首に巻いていたストールを緩める

「ロー様…」
「なんだ」

ぱらりと本のページが捲られる
いつも思う
彼の手は本当に綺麗だ
骨張った長い指がページを捲るだけでもつい視線がそちらへ向いてしまう。

「ご…ご一緒に海でも見に行きませんかっ!!」

思わず言ってしまった
何故口からそれが出たのかは分からない
只…今喋らないと何も伝えられなさそうだった

ローは顔を赤くして俯くフジを見ると、読んでいた本を閉じて机の上に置いた。
壁に立て掛けていた太刀を手に取るとローは口を開いた

「お前…腹空いてねぇのか」
「えっ…あ、はい。大丈夫です」

不思議と空腹感を感じなかった
今までで一番自分が緊張しているからかもしれない

「海兵が彷徨いてる…俺から離れるな」
「…はいっ!!」

足早に部屋を出ていくローの後を追った。

この人は何だかんだで優しい
だからこそ…甘えてしまいそうになる
向けられた優しさにすがりついてしまいそうになる。












-------------------

夜の海は朝焼けとは違う美しさがあると思う。
黒に染まった海面は静かに揺れながら
波が打ち上げては引いていく
潮騒の穏やかな音を聞きながら街の喧騒を遠くに感じる


星が沢山光輝いた夜空は広く、高く…私の手は届かない

そんな中、浜辺を二人で並んで歩いていた
海兵に見つかることなく無事、浜辺に辿り着くことが出来たのでとりあえず宛もなく歩き続ける

愛刀『鬼哭』を肩に担ぎ、歩くローの隣を歩くフジはローを無理矢理付き合わせてしまって申し訳なくなってきた。

言わなければ、私が言ったのだから…っ
フジは思いきって口を開いた

「お付き合いしていただき…感謝します。」
「…で、こんな所まで来て話したいことはなんだ。」

夜の海を見ながらローはふと足を止めた
夜の静寂に波の音が二人の耳に響く。

フジも足を止めて、ローに向き合った
互いの目が絡み合う

「……私はこの数日間とても幸せでした。」
「…いきなり何を言うかと思えば」


海賊というのは
筋の曲がった悪人ばかりだと思っていました。
略奪や暴力で人々を苦しめ、平和を掻き乱す。

でも聞いていたのとは大違いで

自由気ままで仲間思いで
確かに法に触れた行為かもしれないけれど筋の通った事をしている貴殿方は本当に良い海賊達でした

「まるで遺言みたいな言い様だな」
「……ロー様はどうして私を拐ったのですか」

“ずっと気になっていたのです”

月明かりに照らされたフジは微笑んでいた
ローは刀を持ち直すとローもまた小さく笑う

「お前…あの男と会ってどうした。随分焦ってるな」
「…焦らない方が…………可笑しいでしょう」

ふとフジの声色が変わった
先程の笑みはない、緊迫した表情に周囲の空気が変わった気がした

ローはフジの異変に最初から気付いていた
宿に帰ってきてから変だとは思っていた
あの元奴隷の男と何を話したのか等とは部外者の自分が言えた義理ではない

只、黙ってこいつの話を聞くことはできる
ローはフジを真っ直ぐと見つめた

「…聖地へ帰らねばなりません」

フジは静かな声で喋りだした。


マリージョアには仲間がまだ残っています。
奴隷の烙印を押された無実の罪を背負った私の仲間が…
助けねばなりません。

「奴隷解放は大罪だ…やめておけ」
「なら甘んじて罰を承けます」

「それがお前の本音か?…嘘だろ」
「…本気です。」

こいつは変なところで頑なだ
無理して必死に立っているようにも見える
マリージョアにこいつの仲間がいるというのは本当だろう

大方、そいつらを人質に取られて逃げ出せずにいた。ところだろう

奴らのその執拗な執着心は分かりかねる
確かに見目は良いだろう
男にしても女にしても美形の類いの顔立ちをしているし、物の振舞い方にも品がある
穏やかな性格も他人に好かれやすいものだ

それだけでは女の格好をさせ、女を演じさせ
天竜人の正室にこいつを縛り付ける必要性はないだろう。

「ロー様は仰いましたね…自由になってみろと」
「あぁ」

「私はマリージョアに連れてこられたあの日からずっと自由になりたかった」

殴られ脅され強要され犯され蹂躙され
苦しくて悲しくて痛くて気持ち悪くて
逃げたかった
自由になりたかった

「最初は逃げようと行動もしました…けれども結局は捕まり……そのたびに仲間達が一人、また一人と減っていきました」

フジの体は震えていた

「30人……いた仲間も今は5人です。サクを抜いて4人の仲間がまだマリージョアに捕らわれています。」

目の前で仲間を親を殺される
自分は何もできないと知らしめられる
泣くことしかできない
叫ぶことしかできない
手を伸ばしても届かない
こんな屈辱的なことはない

「残された仲間を思うと自害することも出来ない、私はあの人達に媚びることしかできなかった」

この体は肉の記憶を覚えている

時には仲間の前で
時には他の世界貴族の前で
身の毛のよだつような行為を強いられてきた毎日

まるで玩具のように他の貴族の男達に貸し出されたこともあった
魔女の饗宴の如く夜会で見世物のように犯されたこともあった。

着飾って
化粧で彩って
どろどろに汚すのが彼らの遊びの決まり
それが彼らのご機嫌とりになる
仲間が一日でも長く生きられるのなら堪え忍ぼうと決めた

「いつかあの人達が私に飽きて捨ててくれればそれでいいんです。」

仲間がいるから堪えてこれた
フジはそう言いながら微笑んだ

「私はそうやってこの五年間を生きてきました」

周りの愛人達が天竜人に飽きられ、マリージョアから出ていく姿を窓越しにいつも見ていた

彼女達は自由になれたのだ
故郷に帰ることも
愛すべき人達に会うこともできる
しようと思えばなんだってできるじゃないか

首輪も従属もない世界
目にうつるもの全てが違って見える

羨ましかった。
綺麗な服も宝石も
美味しいし食べ物もお酒も
花や絵も本もいらない

只、首輪も鎖もない自由が欲しかった
だから飽きて捨ててくれればそれでよかった
死んでも構わない
その時ようやく私は解放される

「あの場所にタイヨウはありません。」

豪華絢爛に飾り立てた檻
その影には奈落の底のような暗い闇が狂喜の叫びを上げている

「誰かが声を上げなければならないのです。」
「過去にマリージョアを襲撃したフィッシャー・タイガーという英雄がいた…沢山の奴隷を種族差別なく解放したが、結果死んだ」

名を残せなくとも挑んで死んだ人間は沢山いるだろう
ローはフジを見た
フジは笑っている

それはとても悲しげに見えた
こいつはいつも笑っている
困ったように悲しげに笑う

心の底から笑わないのはまだ心が囚われているからだ

「私は貴方に会って変わりました。」

夜の海を眺めるフジ
月の光に照らされた海の遥か遠くを見つめて、深呼吸をした

「貴方に浚われなければ私はきっとマリージョアで静かに死を待っていたでしょう」

マリージョアでの一人の時間
与えられた部屋の窓辺に腰かけ、鍵のかかった窓越しに外の景色を見つめていた

夜中にこっそり仲間達に会いに行っては泣いて
泣いてはまた作り笑いを浮かべて
嫌いな男の傍にいて
嘘を吐き続けていただろう

いつ自分に飽きるのか
いつ仲間達を解放してくれるのか
そればかりを考えながら
逃げ出せずにいた

「私は貴方に会って、皆さんに会ってやらなければならないことか見つかりました。私にしか出来ぬ事…私に与えられた使命がやっと分かったのですよ」
「…………」

イイ目をしてる
まっすぐと芯のある目でこちらを見つめてくる
こいつは人を惹き付ける力がある
覇気…とも違うようななにか
絶望の中で決して堕ちない、その目に宿った力は目を惹く

「貴方には感謝して「もういい」

思わず抱き締めてしまった。
小柄なフジはすっぽりとローの懐に収まる。

「え……っあの…」

自分好みに着飾らせたフジ
気にくわないのは爆弾つきの首輪だけ
一体何がどうなった…とばかりに狼狽えているフジが口を開いた

「ロー…様」
「他人にどうしてそこまでしようとするのか俺には理解しかねる」
強く抱き締めれば自分とは違う匂いが鼻腔を掠める

整髪剤とこいつの匂い
優しい匂い
不快でない甘い香り

温かい他人の体温
気持ち悪いとは思わない
こいつだからか

随分と自分もほだされてしまったようだ


「好きだ」

こんな言葉が口から出てしまう程に
でもこの一言で分かってしまった

俺はこいつが好きなのだ
きっと一目見たそのときから惹かれていたのだ

話をするたび
側で生活するたびに違う顔を見せるこいつの新しい一面を見るたびに心のどこかで嬉しくて

こいつが他の奴等と話をするたびに何故だか苛立っていた

「…男同士ですよ?」
「知ってる」

今、分かった

「女の格好をした…男なんですよ?」
「知ってる」

自分の気持ちが分かった

「気持ち悪くないんですか…」
「お前なら別に構わない」


次第にフジの声が小さくなる
背中におずおずと手が回された
その手はかすかに震えている

「…汚い男なんですよ」
「俺も別に善人じゃねぇ」

「嘘もつくし…すぐ泣くし…女々しいし」
「承知の上だ」

「私なんか…誰かに愛される人間じゃないんですよ……っ?」

少し身を屈めて、顔を見てやった
そこには鼻を啜りながら泣いている只のガキがいた

黙っていればただの女だ
だが、本当はなんのそこらのガキと変わらない
大人びた仮面を剥ぎ取ってやりたくなる

「うっ…っなんで貴方はそんなに…優しくするんですか」
「柄でもねぇ…俺にもよく分からない」

けれど、離したくない自分がいるのだ
泣きじゃくっているこの男が…女の格好をしたこいつがどうしようもなくいとおしく思える

もっと甘えればいい
もっと泣けばいい
俺にすがって俺だけを見ればいい


「泣くな…」
「だって…っつ…うぅ」

とっくに自分はこいつに狂わされていた

「生きろ」
「っ…!!」

ならこいつも俺に狂わされればいい

「死に急ぐな」


一言一言がずしりとフジに伝わる
彼はペラペラと喋るような男じゃない
だが、いつも冷静沈着に物事を考えて発言をする

だからこそ、彼の言葉には深みがある
飾らない言葉が
真っ直ぐに伝わるのだ
不安など一切感じさせないような
沢山の仲間が集まり、彼を慕うのも分かる

トラファルガー・ローという男は世間では残忍な海賊として恐れられているが
彼は世間の噂とは違う、真っ直ぐで仲間思いの男なのだとフジは感じていた

「お前がマリージョアに行くというなら…俺も行く」

誰よりも優しい人だ
だからこそ…邪魔をしてはいけない

「…っうあぁああぁあー!!」

甘えてはいけないのに
この人の優しさに甘えてしまう
思った時には泣き叫んでいた
回した腕でしっかりと彼に抱きつきながら泣くしか出来なかった。

彼は静かにただ、抱き締めてくれた
頭を抱き、背中に回された手はゆっくりとずっと撫でてくれていた

あぁ、自分はこの人が…好きなんだ
いつの間にか自分はどうしようもないほど
この人に惹かれていたんだ

潮騒の音が静かにさざめくのを聞きながらひたすら泣くことしか出来なかった

残虐非道とは思えないほど優しいその手の温もりにすがりつくことしか出来なかった











------------------


他人の温もり
他人の吐息
他人の体液

嫌いになっていた
苦手になっていた
男でも女でもどちらでも関係ない

自分とは違う、誰かとの間に見えない壁を作って一定の領域に踏み込まないようにしていた。

他人に関わりたくない
他人を巻き込みたくない
他人の人生を狂わせたくない

自分の中で理由を勝手に作って
近付いてくる人たちから離れた

なのに、どうしてこの人からは離れたくないんだろう

清潔なシーツの敷かれた大きな寝台でその人の腕枕に頭を乗せて、自分は離れれずにいた

もう明け方だろう
窓のカーテンの隙間からうすらと見える景色は少し薄暗い朝の光が感じられる

『あ…僕、着てない…っ』
露になった肌が少し冷たい外気に晒されると昨夜の出来事を思い出した

床に散らばった着物、サイドテーブルに置かれた簪が嫌でも現実だと物語っている

フジは自分の体が生まれたままの姿をしていること、ローが同じく裸なのに対して羞恥がふつふつと湧き出てくるのを感じた

『夢じゃ……ないんだ』

まるで恋人同士の情事のようだった
激しく互いを求めあい、吐息すらも奪い合うように口づけを交わし
絡めた指の感触すらも色鮮やかに思い出せるような甘い、甘いものだった

混じり合う互いの体液すらいとおしいと思える程に

慣れた手つきの自然なリード
ゆっくり解され溶かされ、喉が渇れるまであの人の名前を呼んでしまった

“誰にも渡したくない”
“離れたくない”
“貴方が好き”
“誰よりも貴方が好き”

まるで本の中の男女の恋話のようだった
そう思い出すと、顔に熱が戻ってくる
思わず顔を隠そうと布団を深く被ろうとした時、声をかけられる

「…何をこんな朝から百面相してる」
「っ…ロー様」

垂れ目がちな、琥珀色の目がこちらを見ていた

ぐいっと腰に回されていた手で引き寄せられて、距離がより一層近づく

「な…っ、ち、近いです!」
「何を今更、夜中に擦り寄ってきて俺の腕を占領したのはどこの誰だ」

額を空いていた左手の指で弾かれた

「あた…っ」
「黙って寝てろ」

フジはローの成すがままだった
腰に回された手が離してはくれなかった

ローはフジに向き合う状態のままにまた目を閉じる

「ロー様」
「…なんだ」

「今日、出発ですか?」
「長居する必要もない」

ローは目を瞑ったまま、フジは喋り続けた。

「これからどうするおつもりで?」
「まずは…お前の首輪を外す。」

目障りだと言うとローはフジの首輪をなぞる
目を瞑ったままその感触を確かめるように指を滑らせるとその指は徐々に上に上がってきた

首筋から顎を伝い、頬を撫でる大きな手
刺青の入った細い、けれども角張った手が頬をなぞるたびに泣きそうになる

あまりにも優しすぎて
幸せすぎて

「また泣くのか」
「…泣きません。大和男子は泣いちゃいけないんです」

ふと目が合う
余裕綽々な笑みが浮かんだ顔で頬を撫でながら親指で唇をなぞられる

「…強がり」
「し…強かと言ってください!」

「分かった分かった」

大人しく寝ろ…
頭を抱き込まれて懐にすっぽりと納まってしまったフジ

「……ロー様」
「…なんだ」

「僕は幸せです。本当に…幸せです。」
「…そうか」

抱かれた胸の温もりは自然と落ち着いた
胸の高鳴りは変わらず早いし
顔の赤みもひかないが
何かに満ち溢れていた

少しでも長くこの時間が続けばいい
こんな幸せな時間が醒めなければいいのに
















「立てるか?」
「立てるには立てますが…」

着物を着付けながら、姿見に映る自分の姿越しに寝台に座るローと目があったフジ

二人が起きたのはもう日は高く昇った頃だった。
随分長く寝てしまっていたようだ
ベポが起こしに飛び込んできた時には驚いたが彼は如何せん『シロクマ』
別に恥ずかしくなる訳でもなく、しかし何かを悟ったように部屋から出ていった。

「やはりまだ腰が痛みます。」
「…」

慣れた手つきで帯を結び、衿を整え終えた フジは鏡台の前に座り、備え付けの櫛で長い髪をときながら苦笑いを浮かべた。

器用にハーフアップに結い上げる様を見ながらローはうすらと笑う

「あんだけよがってたらそうなるだろうよ」
「なっ…だって…あれは…っ!!」

結い終わった直後に率直なローの言葉にフジはあたふたと動揺を隠せなかった。

顔に集まってくる熱に羞恥が込み上げて、鏡越しににやりと笑ったローから視線を外す

「ふ…不可抗力じゃないですか!!」
「ほぉ…」

「だって…っあんな…あんな」


まるで色恋沙汰も知らない純粋な少女のような反応だった。
色白の肌が耳までうすらと赤く染まって俯く姿すらいとおしく感じてしまうのは…相当重症だろう。

「…女泣かせな方ですよね!貴方って…本当に今までどれだけの女性を泣かせて来たんでしょうね…っ!」
「お前…」

鏡台の中の自分を見つめた。
長い真っ直ぐとした黒髪は自慢だった
髢(かもじ)をつけなくても充分に髪を結える程の長さになっている。

真っ直ぐとした、艶やかな黒髪は美人の条件だと父が言っていた。
薄れた記憶にある母の顔は思い出せないが私の顔立ちは母親にそっくりだと一座の仲間達は言っていた。

鏡の中の自分は『女』の顔をしている
彼と褥を共にした時の自分も『女』のそれで彼に抱かれていた

でもいつまで?
いつまで『女』の真似が出来るのだろう
女形は一生、女形だ
舞台の上で女は演じられる
でも、愛する人の前ではどうだろうか
本物の女性に敵わない一瞬がいつか訪れるだろう

「私…少し、外に出てきます。出発までまだ時間はありますか?」
「あぁ」

ストールを首に巻き付けて、手には昨日買った着物の包み紙
ベッドに腰かけるローを見つめるフジは屈んでローの唇に口づけた

それは触れるだけの口づけだった
静かに出ていったフジを見送るとベッドに身体を埋める

自分の薄い唇を指でなぞった
自分とは違う柔らかい感触がまだ甘く、脳内に響いている気がする

あいつの内に秘めたものは簡単に触れられない
蟠りは簡単には無くならないのだ
時間をかけ…そして厄介事をさっさと解決しなくてはならない

きっと全てを片付けなければ心の底から笑える日は来ないのだろう

「…」

新世界の海はこれからもっと変わっていく
何が起こるか分からない、だが大きく変わろうとしている

「さて…鬼がでるか蛇がでるか」







----------------

夕暮れは寂しくなる
一日が終わり、夜がやってくる
赤、橙とも言えぬ色に染まった光が影を黒く映し出す様は美しい
けれども同時に悲しくなってしまう

自分は長い事眠っていたようだ
朝あんなに早くに起きたのにもうこんな時間になるのか

出発まであと二時間くらいだろうか
この街を離れてこれからどうするのか

こんな時に自分の性格が嫌になる
あの人は私を助けてくれると言った
こんな私を好きだと言ってくれたのに
どこかで諦めているのだ。
無理だと、出来ないと

それでいて、まだ一つの『希望』にすがりついて離れないのだ。

『本当に…嫌になる』

自分ですら信じられない。
本当に自分が嫌になる


街を歩いていると、ふと目が入ったのは遠くの集団だった。
真っ白な制服に、『正義』の文字が入ったコートを身に纏った男達。
その中でも自分にとって嫌な縁がある海兵が若い海兵達に指示を出していた

遠目でも分かる、黄色をベースにしたストライプのスーツに長身の初老を過ぎた男

鳶色の色が入ったサングラス越しの優しげな垂れた眼差しがこちらと目があった気がして路地の物影に隠れた

『海軍本部大将…黄猿…っ』

やはり出会ってしまった。
可笑しいことではない、必ず海軍は追ってくると思っていた。
海賊を追うのが海軍
道理ではあるが…嗅ぎ付けるのが早すぎる

あの日から数週間、あの時我々より大きな騒ぎを起こし、一味崩壊の危機を迎えた『麦わら海賊団』の海賊達を追うのに手を焼いていると思っていたのだが…

新聞はやはり見ておきたかった
あの船で一時の幸せに浸っている場合ではなかったのだ。

「フジ」
「…っ!?」

そうこう思考を巡らせていたときだった。
突然背後から肩を叩かれたのだ

後ろを振り返り、その人物を見た瞬間何故だが息を止めてしまった

「サク…!」
「海軍が来たか」

そこにいたのはいつもと変わらぬ幼馴染みの姿だった
その笑みは昨日と変わらない筈なのに…何故か、違和感が拭えずいた

「お前を連れ戻しに来たのだろう」
「サク…どうしてそんなに平然としているの…っ!?海軍は私達を連れ戻しに来たかもしれないのに」

違和感と胸のざわめきに不安が募ってくる
サクの言葉が核心を突いてきただけではないと分かってしまったからだ

「俺が通報した。」

薄紫色の目が大きく見開かれ、そしてそれは絶望に微かに震えた

「…嘘」
「海軍はお前を引き渡す代わりに俺の逃亡を見逃してくれるそうだ」

眈々と平然と、つらつらと唇で紡ぐサクにフジの内は引き裂かれ抉られているようだった。

「何故…違う…嘘だ…嘘でしょう?」

サクがそんなことをするはずがない
冷静で、いつも辛いと時に傍にいた彼が
残りの仲間と必ず自由になると誓った仲間が…裏切る筈がない

「サク…っ」
「裏切られた…と思っているのか?フジ」

「…っ」
「お前はいつもそうだった。いつもそうやって…同情を買うのが得意だったな」

一体これは誰だ?
この男は…本当にあのサクなのか
たった一人の幼馴染み、いつも優しく、気配りの出来る…優しい人だったじゃないか

「自分は悲劇の姫君気取りか?綺麗な着物に旨い飯に…何不自由ない暮らしにほだされて、俺達を何処かで下に見ていた」
「違う…っ」

「あぁ、お前は天才だ。稀代の女形だった…!どこにいってもお前への喝采で溢れてた。いつもいつも…その才能のおかげで俺達は今の今まで生かされてた!!」

罵声
それは罵りの、呪いのような言葉だった
闇色のどろどろとした念の塊がぶつけられてくる

「俺達があそこで…どんな事をされてきたか知ってるか?」

地べたを這いずって、床を掃除して
肉体労働に体の生気を奪われて
暴力に生傷が絶えない日々を残飯や生ゴミを必死に掠め取り食い漁り、鞭打ちされた軋む体の痛みに堪えながら、冷たい牢屋で眠る

男達は暴力の捌け口
女達は欲望の捌け口
壊れれば棄てればいい
代わりは幾らでも金で買える
ずたぼろの布切れみたいにあっさり棄てられる

「お前は…俺達とは違った。いつも涼しい顔であいつらの後ろを飼い犬みたいに従順に寄り添って贅沢三昧だ。女みたいに着飾って、女のフリをして世間を騙して、俺達に希望の言葉を振りかざす」

「おまけに俺達を見捨てて、海賊共についていった。それでなんだ、幸せそうに笑いやがって……ほらな結局は偽善だ…お前がしていること全ては。最低だな、お前」

“悪女の名が相応しい醜さだ”

サクは笑っていた
サクの笑い声が高らかに路地に響く
痛いくらいにサクの感情が伝わってくる
吐き気、立ちくらみがしそうだ
込み上げてくる何かにフジは口を手で覆った

「おい、お前っ!!一体何を騒いで…!?」
「あれは…間違いない!!『寵姫』だ!!寵姫がいたぞ!!」

フジに考える暇も浸る時間もなく、焦らせるように顔を覗かせた若い海兵達
港にいた海兵達が呼び掛けに集まってくる

フジは走った
首に巻いていた白いストールがするりと落ちた
露になった首輪が…ぎしりと重くのし掛かった気がした

今は走るしかない、逃げるしかないと頭の中で何かが弾けた

『もう…っ分からない』

フジは着物の裾を持ち、狭い路地を走る
夕闇は刻々と迫ってきている
もうすぐ、夜が訪れる。
















----------------



女は走る
正確には女の姿をした若い男
長い黒髪を振り乱しながら細い路地を走り抜ける
手には美しい着物 包み紙の隙間から覗いていた。

助けて!! 誰か…っ

息が切れる
胸が苦しい
でも走らなければならない
走らねばならないのだ。
それだけが彼を駆り立てた

薄暗い路地を抜け、彼は後ろを振り返る
振り返ってはいけなかったのだ
だが、彼はふと自分の背後を見てしまった

よかった、もう追って来てはいない そこには恐ろしい形相の鬼などいない ただ…

「手間取らせてくれたねぇ〜…お姫様」

前を向けば眼前に正義を掲げた鬼が飄々と笑っていた。
彼の薄紫色の目に恐れが見える
後悔しても遅いのだ

彼の細腕は女のように細い
それがもがきながら空を掴む姿を鬼は
美しいと思った

「あっ…あぁ……っロー様」

崩れ落ちる彼を鬼が抱き止める

『捕まえた』

「大将…っ!!」
「あぁ〜…君、本部に連絡。
天竜人チャルロス聖正室、『寵姫』確保、命に別状なし…これより聖地マリージョアへ送還」

大将黄猿、ボルサリーノは横抱きに抱えたフジの顔を見下ろした

天竜人から預かった首輪の操作リモコン
逃げるフジに咄嗟にスイッチを押したが、気を失っただけで命に別状は無さそうである

後から到着した若い海兵に伝達を伝えると路地を歩き出す

惨めに落ちた紙の包み紙から覗くものにふと視線を向けた
濃い青色に薄紫色の花の柄が土埃にくすんでいる

「…哀れなもんだねぇ」

その言葉すら夕闇の空へと消えていく
哀れな少年を抱き抱え直しながら、黄猿は路地を歩く

(鳥籠への帰還)

『無常とは何と意味するのか』

.

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あきゅろす。
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