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崩壊する心(三)
 龍鬼が昔の感覚に一人思いを馳せて歩いていると、龍鬼とは反対の方向から此方に向かって誰かが歩いて来るのが見えた。
 反対の方向にいる人間は龍鬼より随分離れた位置にいる為、龍鬼の位置からはどんな顔立ちなのか、更には男か女かさえも分からない。
 唯一分かる事と言えば、一般の男よりも一回り程体格が小さいという事くらいだ。
 遠くにいる人間は龍鬼がいる方向に向かって黙々と歩いて来ていて、龍鬼は遠くにいる人間がいる方向へと向かって黙々と歩いて行く。
 そうして二人は歩いていると反対側から歩いて来る人間が女だという事が、龍鬼の今いる位置からでも分かる程の距離にまで詰まった。
 龍鬼とは反対の方向から歩いて来る女は龍鬼の姿を見た途端、落ち着いた雰囲気を保っていた顔は恐怖に怯える表情へと様変わりした。
 女は何とか龍鬼から目を逸らそうとしても逸らす事が出来ないようで、体をびくびくと震わせながらその場に立ち尽くしてしまった。

 女が恐怖に怯えるのもその筈、龍鬼の今の格好は昨日食い漁った男の子の返り血を大量に浴びていて、せっかくの綺麗な着物に一面べったりと血が付着しているのだ。

 そんな殺人鬼のような格好をした男に道端で出会せば、足が震えて動け無くなるのは当然の事であろう。
 しかし龍鬼はびくびくと怯えながら震えている女の様子を意に介した風も無く、完全に女を無視しながら黙々と歩き続けていた。
 そして龍鬼が女とすれ違うと女はようやく龍鬼から視線を逸らせたようで、それによってびくびくと震えていた足も何とか動かせるようになったようだ。
 女は龍鬼とすれ違った途端に、龍鬼が向かっている方向とは反対の方向へと逃げるように走り出す。
 龍鬼は突如に走り出した女を意に介した風も無く、全く振り返る事無く黙々と歩き続けた。

 当然道端で偶然出会った二人は、このまますれ違うだけで何にも起こる事無く終わる筈であった。
 だがしかし、先程まで全く興味が無かった女の方へと龍鬼は突如振り返っていた。
 龍鬼が振り返った先にいる女は、足を懸命に動かしてこの場から逃げるように走って行く。
 龍鬼の前から走り去ろうとする女は余程必死ならしく、真っ直ぐに安定して走れずに左右にぶれていて、時たま何かにつまずいて倒れそうになりながらも何とか走っていた。
 そんな無理な態勢で走っている為か、着物の裾から女の素足が見え隠れする。
 女の足は遠目から見る分には痣や黒子が一つも無く、遠目から見ても分かる程に女性特有の白い素肌を兼ね備えていた。
 それに何より龍鬼は自身の目に移った女の素足を、とても柔らかそうで上質な肉質をした足だなと思っていた。
 龍鬼はそんな事を考え始めると、先程まで興味が無かった女への興味が急に沸々と湧き始め、先程まで落ち着いていた呼吸は段々と荒々しいものになり、そして急激な喉の渇きと空腹感を感じるようになっていた。
 しかし龍鬼は喉の渇きと空腹感に苛まされながらも、普通の水や酒を飲みたい訳でも、ましてや普通の食料が食べたい訳でも無かった。

 ソウ、龍鬼ガ今食イタイ物トハ…

 それを考えるだけで龍鬼の呼吸は先程よりも荒々しくなり、双眼は段々と真っ赤になり始め、頭は冷静な思考能力を失う。
 しかしそんな人間としての感覚を無くしていく中でも、龍鬼の双眼は走る女の背中を凝視し続けていた。
 そうして龍鬼が必死に走る女の背中を凝視していると、龍鬼の口から自身の気持ちが自然と漏れ出していた。

「腹…、減ってきたな…。‥‥‥旨そうだな、‥‥‥あいつ」

 そうして龍鬼の顔は血に飢えた野獣の如く醜く歪み始め、今まで自身が向かおうとしていた道とは反対の方向に、走り去ろうとする女のいる方向へと向かって歩を進めた。

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あきゅろす。
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