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紅蓮格子、鏡水沈華
舌の味










昼と夜、どちらが好きかと客に聞かれたことがある。当然客は見世のことを言っているので、それはその時に応じて適当に答えた。昼の客にはあんたの顔が見えるから昼が良いと言ったし、夜の客には昼は恥ずかしいから夜が良いと言った。どっちにせよ男は喜ぶ。
もし。もしも、客でない人間に、見世の関係ない場所でそう聞かれたら、自分はどう答えるのか。
それは、わからない。

「姫さん」

胸元からしゃがれた男の声がする。

「なに、」

唇の端を上げて、ライルは胸に顔をうずめる男を見た。
昼見世の終わる時間が近い。
昼見世が開くなりライルを買ったのは裕福そうな初老に近い男だ。ぺたりと膝を折って布団の上に座ったライルの、曝されたままの豊かな胸に男は裸のまま顔を埋めていた。
一度抱かれた後でぼんやりしていたのだが、男の声で引き戻される。

「あったけぇな」

日差しの差し込む部屋を言ったのかライルを言ったのか、定かではない。

「そりゃ良かった」

ライルは笑みを浮かべる。男は視線を上げ、ライルを見ていた。

「綺麗だなぁ、姫さんは」

夢でも見ているかの様な声に、思わずライルは笑ってしまう。夢を見せてやっているのだから、当然かもしれないと考えて。

「ずっと姫さん抱きたかったんだよ」

ライルはそれには答えない。誰だって言うのだ。微笑をたたえて視線だけを送る。
あとどれくらいで見世が終わるだろう。
しつこくぎりぎりまで抱かれるのも面倒だが、こうしてゆったりとした会話に付き合うのも面倒だ。眠くもなってきて、事実、欠伸を噛み殺してライルは相手をしていた。

(煙管吸いてぇ)

こう抱き付かれていては動けない。

「姫さん、」
「……ん?」

男は顔を擦り寄せるように腕の力を強めた。子供のようだ。そう思うにはあまりに場違いかもしれないが。

「女は良いな」
「あれ、」

ライルは細い腕を持ち上げ、男の頭をそっと撫でる。

「お前だけは良いな、とは言ってくれねぇのか」
「……あぁ、」

くつくつと男は笑った。

「いい女だなぁ、姫さん」
「本当に?」
「あぁ。街一番だ」
「嘘くさ」
「本当だよ。俺は姉様も抱いたんだ」
「……へぇ」

ちら、と男が見たのを感じる。

「聞きたいかい?」
「……まぁね」
「全然おとなしいんだなあ、姉様」
「そうかい」
「俺は威勢の良い女が好きでな。妹様の方が良い」

おもむろに、男は節くれだった手を下から這わし、胸を持ち上げるように掴んだ。

「ああ、でも、床ではよくなく」
「っ、」
「妹様と同じだよ」

柔らかく男は胸を揉み込み、反応を伺うようにライルを見つめる。びく、と跳ねたライルはただ視線をずらすことなく男を見ていた。

「姉様は床が下手だね。中々くわえてくれない」
「……そういうときは、どうするんだ、」
「頭を掴んで突っ込むよ。まぁ、吐かれた奴もいるらしいが」

くつくつ、くつくつ。蛙か何かの鳴き声のような笑い声が不快になってくる。

「妹様の方が上手いよ」
「、旦那さん、」

ひた、と熱い舌の感触が胸の先端から伝わる。元々感じ易い体ではあるが一度交わっただけあってますます敏感になっていた。
顔には出さないものの内心舌打ちをする。
いつの間にか男の左手はぴたりと膝を合わせた足の間に忍び寄っていた。

「もう少しで、見世も終わって、」
「すぐ終わる。……くわえてくれるんだろう?」
「っ、」

唇を噛む。面倒くさいことになった。

「ほら、妹様」

ずい、と身を乗り出す男。
諦めてライルは垂れ下がった横の髪を耳に掛けると紅の取れかけた口を男の足の間に近付けた。
男の視線から隠れたところでライルは顔をしかめる。
(汚ねぇ、)

ろくにライルを満足させなかったそれ。
苦い味がする。

「素直で可愛いなぁ、妹様は」

機嫌良く男はライルの頭に手を差し込み、くるくると髪を弄ぶ。
素直なものか、と軽く歯をあてた。





やがて性急に頭を離されて貫かれても、快楽どころか不快感は増すばかりである。愛嬌で声をあげるライルは泣かない。つまらない女だと言ったいつかの男は、姉の所でお前の方がいいと同じことを言っているのだろうか。なんとなく、それが気になった。
食らい付くように合わされた唇を自分から開けて、舌を絡める。
早く達してしまえ。
いらいらと腰を揺らすと覆い被さる男は喜んだ。




好きだよ、妹様。
……また来てくれるか?
もちろん。
いつでも、待ってるから。


男を送り出してから、ライルは煙管をくわえる。
くわえて、苦い味がするのは同じかと思わず苦笑した。それとも、苦いのは唇なのだろうか。
ふぅ、と長く煙を吐き出し、ぼんやり敷きっぱなしの乱れた布団を見る。
汗とどちらのものともしれない体液はまだ乾いていない。そこだけでなく足の間にもどろどろと残る男の名残を、心底忌々しいと思った。
姉の中にも注ぎ込まれたそれ。それこそ別の意味で自分達は繋がっている。男の体と言う媒体を通して。
それは別に今に始まったことではなく、大抵の男はどちらも抱きたがるから慣れたと言えば慣れたのだが。

(素直なもんかよ)

男の声がいちいち頭に残る。
ライルだってくわえるのが嫌であれば見も知らない男に抱かれるのは嫌だ。ただ反抗しないだけで。
反抗すればますます酷く抱かれるのをライルは知っていた。
だから大抵のことに従えばおだてたりもする。誘うことだってする。男の機嫌を取りにいき。男に自分の機嫌を取らせる。それが一番簡単に身を守る方法だ。我慢さえすれば男は機嫌良く抱いてくれるし、あまり強引には扱わない。
だから、ライルは自分のために男に抱かれる。
だから、ライルは客の前だけで笑う。
昼と夜、どっちがいいかと聞かれたら、やはり自分はわからないのは。嘘をつかない自分がどこにいるのかわからないほど、男の前でこの唇は嘘を紡ぐからだ。
おかげで店の女には好かれず、ひとりで部屋に閉じ籠ろうとライルは構わなかった。
利口に生きた方が良い。
境遇を受け入れてどう打開していくか、それに意識を向けた方がよっぽど有意義だ。
だから、姉の生き方は不器用で不快だった。
泣き喚いて力ずくで国王に犯される姉の姿はまだライルの記憶に残っていた。破瓜の血を流した時の姉の悲鳴はまだ耳に残っていた。
抵抗するから男を面白がらせるのだと、あの時ライルは理解した。

(まだあのままなのか、あの人は)

いい加減、学べば良いのに。こうなった以上、諦めて足を開いて口を開けて男のものを受け入れて生きていくしかないのだと。
変化など自分が起こすしかないのだと。
何をしたって周りは変わらないのだ。ただぎらぎらとした目で見て、触れて、犯して、どっちがどうだと比べるだけ。
低能な連中。
嘘に浸って笑う醜い顔。
動物レベルの触れ合い、馴れ合い。
何を期待すれば良い。

(おれは違う、)

違う。

「おれは、違う、」

姉に向けたものか、先程の客に向けたものか、男達に向けたものか、女達に向けたものか、はたまた自分に向けたものか。
口に出した音は煙管の煙より先に空気に溶けて消えていった。







昼見世は好きじゃない。もちろん、夜見世であろうが好きではないのだけれど。まざまざと見せつけられる現実が嫌でますます涙が頬を伝う。

「は、ぅ、ぁ、あ」

ぎゅっと両手で布団を掴んで、隠すように顔を布団に押し付ける。
干された布団は場違いにもお日様の匂いがした。
うつ伏せに寝かされ、腰を高く突き出した状態で後ろから突き上げられたニールは、ただ荒く息をして揺すられている。閉じきれない唇から涎と飲み込みきれなかった白濁が伝う。

(熱い、)

男が突き上げる度に、腹の中にある男の白濁までも熱をもっていくような気がした。すがるように布団に顔を埋めていると、男が髪を引く。

「っ、あ、」
「顔見せてくれよ、姫さま」

顔を上げられたせいで息苦しさが増す。

「高い金払ってんだからさ、」
「っ、ふっ、く、」

(熱い、)

ずくりと男が打ち込む度にぐっと腹の中が沸騰したように蠢く。
身を焼かれているようだ。外からも内からも。
限界が近いのか男の動きが性急になり、肌のぶつかる音が部屋に響く。いつもなら気が遠くなって何も考えられなくなる頃なのに、今は熱さでやけに思考が鮮明になっていた。男の一挙一動がはっきりわかる。
汗ばむ体に、湿った男の腰を掴む手。

「出すぞ、姫さま」
「ん、あ、ぁ、ぅ、」

(駄目、)

ずくりと一際強く男が打ち付けた時。
ぐっと込み上げる嘔吐感。
「――――っ、」

熱い奔流が体の中を駆け巡るのと呼応するように、腹の中のものが逆流する。
口の中に再び沸き起こった苦い味に咄嗟に口を押さえ、胎内で脈打つものから逃げるように身じろいだ。

「っ、う、ぐ、」

まるで意思のある生き物のように、腹の中にあったものはニールの口から伝う。

「う、ごほ、っは、」

喉まで焼ける様に熱くなり、体を震わせて嘔吐する。酸の混じった液体だけのそれは布団に染みを作った。胃の収縮に荒く息をつくニールは男のことを忘れていた。

「っ!」

後ろにいた男はぐい、といきなり髪を引くとニールの上体を起こさせた。左手がニールの首に触れる。強く引かれた髪が悲鳴をあげ痛みが刺すが、ニールは顔を青くさせた。

「駄目だな、姫さま」

低い声。しかし、愉悦が含まれているのは明白な声。男の左手が細い首をさする。

「吐き出したら意味ねぇだろ」
「っ、すみません、」
「庶民のものは要らねぇってか」
「ちがいます、」

すると男はがっと肩を引きニールと向き合うとにやりと笑った。

「……駄目だな」

ぱん、と乾いた音を響かせ、ニールの左頬を叩く。
男の力は強い。

「っ、」
「ちゃんと飲めよ」

男は反動で横を向いたニールの頬を両手で包むと、押さえつけるように自らの股関に導いた。

交わったすぐ後のため、自分の膣を潤した液体までも絡み付くそれを口いっぱいに含まされる。
男はニールの頭を掴み、ニールに構わず荒々しく頭を上下に動かす。
不規則に動かされるせいで、喉の奥を何度も突かれる度ニールは咳き込んだ。

「っ、ほら、」

最後に深く突かれて脈動を口内で感じたとき、膣に放たれた時と同じように気を失えたら良いと思った。
腹に再び火が灯るのを感じる。



吐き出せないようにと今度は仰向けに抱かれ、満足した男が帰った後ニールは再び吐き出した。




つくづく人間の体というものは不都合にできている。苦い白濁の味には慣れても込み上げる嘔吐感には慣れないし、その後の不快感だって慣れてはくれない。
ぐったりとニールは店の二階廻しが替えた布団に横たわり目を閉じていた。
行為にも相当の体力がいるのに、吐き出すのに使った体力は惜しかった。夜見世まであまり時間がない。着物をまとう時間まで考えると尚更気だるくなりずっとこうしていたくなる。
そっと、ニールは左頬に手を当てた。じんじんと痛むそこは触れればわかるくらいに腫れている。まるで行為の最中のように熱を帯びている。それが男の執念のようで忌々しい。

(気付かれるかな、)

頬を腫らして客の相手をするのは今に始まったことではない。気付かれなかった時もあれば、気付かれて嫌な笑みを浮かべて撫でられたこともある。
プライドも何ももう無いが、気付かないで欲しいと思う。
男の笑みは嫌いだ。






「客だよ」

まるでついでに来たかのように女将がそう声をかけ、すぐにすたんと襖を閉じる。自分の座敷にいたニールは居ずまいを正した。
菖蒲屋では初会の客は遊女自身の座敷には通さず、別室で客が遊女が来るのを待ちそこで一夜を終える。そして今日ニールを連れ出さないということは初会の客ではないということで、ニールは酷い客でないことを祈った。
襖の向こうで客に話しかける女将の甲高い声が聞こえる。
足音が近付くのを目を閉じて聞き、襖の向こうに気配を感じるとゆっくりとニールは目を開けた。

「こちらです」

女将の声と共に開く襖。
ニールは伏し目にその音を聞く。

「―――失礼する」

踏み入れた男の足から徐々に視線を上に向けていき。

「……ぁ、」

思わず目を見張った。
目に飛び込むのは鮮やかな金髪。
そこに立っていたのは軍人。
グラハム・エーカーだった。














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