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紅蓮格子、鏡水沈華
鎖された国










昼を過ぎた花街を一人歩く者はグラハムだけではなかった。昼夜に関わらず花街には人が集まる。反物屋や茶屋、小間物屋にも人が集まり、昨夜とは違う賑わいを見せていた。
そんな花街の、東街の一角にその店はあった。
あまり大きくはないものの、どことなく存在感のある店。小間物屋である。
グラハムは迷わず青い暖簾をくぐった。




「なぁに、真っ昼間から」

それが、出て来た女店主の第一声。
客に対して言うものだろうかと内心グラハムは眉をひそめるが、それは日常的なものらしい。

「駄目ですよまたそんなこと言ったら」

明るい声でそうたしなめたのは店員の女である。亜麻色の髪をひとくくりにまとめた垂れ目がちの女で、大きな目でぱちぱちとグラハムを見つめていた。

「お疲れ様、クリス」

店主が言う。
店主はそのクリスに呼ばれて出て来たのだが、寝てでもいたのか着物を着崩したままで、艶のある色気を醸し出していた。

「貴殿がスメラギ・李・ノリエガか」
「そうよ」

そう言って肩から垂れた髪をぱさりと後ろに流す。
何とも軽い感じの女性である。これが、と思わずグラハムは見つめてしまった。
カタギリの知人。
その固有名詞の持つイメージからなかなか予想外である。

「何の用かしら」
「これを、」

すっとグラハムが差し出した紙を気だるげにスメラギは受け取った。近付いた瞬間微かに酒のにおいがする。

「なるほどね」

さっと目を通しただけでそう言って、スメラギは不敵な笑みを浮かべた。グラハムに手招きをする。

「いらっしゃい、お茶でもあげるわ」

気だるさとはうってかわって、あっさりとスメラギは言った。それにグラハムより先に声を出したのはクリスだ。

「私も行っていいですか!」
「お茶とお酒持って来てくれたらね」
「はぁい」

と、何とも軽い感じに、グラハムは奥に通された。




* * *




「見るからに女遊びしません、って感じね」

正面に座ったスメラギは勝ち気な目でグラハムを見つめる。
片手にはしっかりと酒があった。

「花街は嫌い?」
「来たいとは思わなかった」
「やっぱり」

ふふ、と彼女は笑う。横ではクリスが自分の茶を手に、菓子をつまんでいた。
女性に囲まれているからというわけでもないが、室内はあまりグラハムが心地好いと思える空気ではない。

「それでも最近はましになった方よ。通りも落ち着いているし」
「以前は違ったのか」
「本当に何も知らないのね」

楽しそうな彼女である。

「いいわ、教えてあげる。この街のこと。ビリーの紹介だしね」
「街については、」
「知識は多い方が良いでしょ。それに、踏まえた方が話しやすいし」
「……では、」

素直に頷いたグラハムににっと笑って、スメラギは話し始めた。

「花街は、昔こそただの区切られた箱みたいだったけど、最近は一つの国みたいなものよ。今はユニオン直属の管理人がついているの」
「管理人、」
「警備が目立った主な仕事ね。門のところにも一人ずついるんだけれど」
「……気が付かなかった」
「国が選んだ優秀な人達だもの。複数人いるらしいけど、詳しいことは謎」
「誰も全体像を知らないんですよね」

クリスが口を挟む。

「そ。二人は私も知ってるんだけれどね」

そこでスメラギはひら、と一枚の紙を取り出した。
グラハムの前に置く。

「これが、管理人が決めた来訪者に対する法度。この街の基盤」

グラハムはすっと手にとった。
洗練された文字でしたためられたそれは、複製されて出回っているのだろう。箇条書きで、禁止事項が淡々と記されている。


『一、女を殺めてはならない
ニ、品性を欠いた行為を路上で行ってはならない
三、闘争を行ってはならない
四、店主の指示には従わねばならない
五、金銭はその場で払わねばならない
六、管理人に異議を唱えてはならない』


「……特異なものだな」
「そうでしょ」
「ここも権力者に仕切られているのか、」
「同じ権力を持つ人が複数いるから、今のこの国の状態とは違うわ」
「ですよね。出過ぎた真似はしませんし」
「しかし、」
「案外平等なのよ、これ。女にも男にも贔屓していないの。『路上で』なんてわざわざ書くくらい、管理人はこの街をよくわかってつくってる」
「……ものは考え様、か」
「人の社会だもの」

どこか達観したスメラギの口調に、グラハムは目の前の彼女を見つめる。

「来訪者は最低限絶対、これを守る。それが花街のルール」

スメラギは目を伏せた。
長い睫毛が影を作る。

「まぁ、後は、賭場は開かないとか、一般住居は構えない、とかそんな感じね。花街には店しかないの」

くい、とスメラギは酒を口にする。昼間から飲んでいる彼女は、始めからだが、潤んだ瞳が物憂げだった。

「だから、私も見ての通り小間物屋をやってるの。ついでに情報も売るわ。お金かお酒と引き換えにね」

ぱちりとスメラギはその瞳でウインクを寄越した。クリスが横から身を乗り出す。

「できればお金の方が良いですけどね」
「ちょっとクリス、」
「私だってお給料もっと欲しいですよぉ」
「今の給料でも満足してるじゃない」
「だって、新しい簪欲しいですし」

妙齢の女性らしい会話だ。まるで花街にいるとは思わせない。しかし、この街にいる限り彼女らも何か理由のある女である。

「失礼だが、話は以上か、」
「ま、こんな感じね」
「では、」
「今日はあなたの聞きたいこと、一つだけ答えてあげる。ビリーに免じて特別にタダよ」

グラハムは居ずまいを正し、スメラギに向き合った。

「菖蒲屋にいる姫君について聞きたい」
「……あぁ、」
「なぜ一国の姫がこんなところにいるのか」
「その辺の人に聞ける話じゃないものね」

スメラギは目を伏し目がちに、微笑を浮かべたまま杯の縁を指先でくるくるなぞった。

「教えてくれるか」
「どうして、知りたいの?」
「彼女のことが気になる」
「抱いて気に入ったの?」
「いや、私は抱いていない」
「それで興味を持つなんて、あなた変わってるわね」
「彼女は、」
「うん?」
「彼女は、泣いていた」

ぴたりとスメラギが動きを止めた。隣のクリスも同じである。

「私はその泣いている理由が知りたい」
「……面白いのね、あなた」

ビリーの紹介なだけあるわ、と呟く。

「気になったら止まらない性質なのだ」
「好きよ、そういう人」

ふふ、と笑った。ことりと酒を置いて、スメラギも居ずまいを正す。

「菖蒲屋のお姫様、でいいのね?」
「ああ、」
「戦のことは聞いた?」
「ああ。納得できないものだったが」
「そうね」
「なぜ、姫君だけ生かした」
「……国王よ」
「国王、」
「見たんでしょ?お姫様」
「ああ」
「あの通り、すごく綺麗な子だから国王の前に引き出されて、気に入られちゃったのよ」

しっとりとした、嘆息がちな声でスメラギが言う。

「どういう神経してるのか、妾にされたの」

祖国を滅ぼした男の妾に。

「圧倒的に勝った戦だから、お姫様は抵抗できないはずだってね。生かしてやっているんだから、って」
「それで、」
「始めこそお姫様も黙っていたわ。でも、いつまでも黙っていられると思う?」
「……それで」
「お姫様は復讐しようとしたの。けれど、結局国王は軽傷で済んでしまった。そしたら国王、どうしたと思う?普通なら処刑とか、墓穴とはいえ権力振りまいて言うところじゃない。なのに」

幾分早口になったスメラギの言葉は止まらない。

「笑ったらしいわ、あの国王は」

きゅっと着物を握ったのにグラハムは気付いていた。

「殺すどころか、見せしめに売りに出したのよ。お姫様には程遠い、遊女として」
「…………」
「殺された方が、どんなに楽だったのかしらね。自害しようものなら、ますます国王に面白がられる。嘲笑されて、祖国をけなされるのをお姫様は恐れた」
「………」
「死ねないの、お姫様。まして、殺されもしない。法度は管理人だって女を殺せない様に出来ているから」

『一、女を殺めてはならない』それが枷になる。

「殺してくれる人だっていないじゃない。みんな面白がって抱きにいくわ」

姫様、姫さん、と群がる男達は昨日見たばかりだ。

「知らない男に抱かれて生き続けるしかないのよ」

ゆっくりと、おもむろに、スメラギは顔を窓の方に向けた。窓辺には、椿が一本活けられている。
それを眺めて、スメラギは紡ぐ。

「ここは、生き地獄」

そう呟いたスメラギの赤い唇の動きを、グラハムは忘れられない。












あきゅろす。
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