ゼロ距離(過去編)
ビニールハウスにあるベンチに横になったまま、宮部竜司は土いじりをする一年を見ていた。
スコップ片手に土を掘り、今日は何か植えるようで足元には苗が幾つもあった。ごそごそと作業をする一年は竜司に背中を向けている。
その距離は約1メートル。
距離が近くなったな、と竜司は思った。
竜司と一年がこのビニールハウスで初めて出会ってから約1ヶ月。
週に2・3回竜司が逃げ込めば黙々と作業をする一年がいた。最初は竜司が寝るベンチから遠い所で作業をしていたが、竜司が寝るだけだと分かると徐々に近いところでも作業をし始めた。
今日は約1メートル。手を伸ばせば届く距離に、懐かない動物が懐いたような気がして嬉しくなった。
「何植えてんだ?」
寝ころんだままそう声をかければ一年はピクっと肩を揺らした。逃げられるか、と思ったが一年は座り込んだままだ。
逃げない事にほっとして、竜司はベンチから降りると一年の隣へ同じように座り込んだ。
「これ食いもん?」
花壇に植えられたばかりの苗を指差せば、一年はパチパチとまばたきをしてから首を横に振った。
「違うのか。じゃあ花か?」
こくり、と頷く一年にふぅん、と返事をしながら竜司は一年の顔を覗き込んだ。
ふっくらとしたまろい頬、すっとした鼻筋に、くりっとした瞳。
幼さを残した顔は竜司を不思議そうに、けれども真っ直ぐ見つめて来る。
「なぁ、名前は?」
本人に聞かなくても竜司がその気になれば名前だけでなく、様々な個人情報を手に入れることができる。ただこの時、竜司は本人から名前を聞きたいと思った。
瞳だ。そう、真っ直ぐな瞳が気に入った。
どこか潤んだ瞳は媚びも憂いも嫌悪もなく、ただひたすら無垢だ。
一年は一瞬口を開いたが、すぐに閉じると地面に指で文字を書いた。
相馬立芳です、と。
「相馬、か。俺は宮部竜二だ。」
竜二が名を告げると立芳はぺこりと頭を下げた。
「なぁ、相馬は話すのが嫌いなのか?」
竜二は立芳と初めて出会った日のことを思い出した。あの時、立芳は確かに声を出していた。
立芳は少し寂しそうな表情でこくりと頷いた。
「ふぅん。相馬の声、綺麗なのに勿体ねぇな…」
あの時、思わず零れた立芳の声はその瞳と同じように無垢で澄んでいた。
少女のような、少年のような幼い声色。
竜二が耳にするのはもっぱら耳が痛くなるような黄色い声か、低い荒んだ声だ。だからもう一度聞きたいと思った。
立芳は竜二に言われた言葉に目を丸くして、次の瞬間ふにゃり、へにゃりと破顔した。
嬉しそうな、照れているような、誇らしそうな、そんな優しい微笑み方。
「ありがとう、ございます…」
頬を薄紅色に染めながらそう言った立芳を見て、竜司はカッと体が熱くなるのを自覚した。
「…っ!あぁ、」
竜司は自身の動揺を悟られないよう、幾分か乱暴に立芳の頭をくしゃりと撫でた。
「相馬さ、俺と初めて会ったときに俺の目を見て綺麗って言ってくれただろ?」
竜司は真っ直ぐ立芳を見た。
その瞳は南国の海を想わせる鮮やかなコバルトブルーだ。
「小さい頃はよくコレについて色々言われたんだ」
もちろん、そんな奴らは片っ端から完膚無きまでに叩き潰してきたが。
「だから、相馬に綺麗だって言われて嬉しかった」
もう一度、立芳の頭をくしゃりと撫でて竜司は微笑んだ。
「だから、俺もありがとな」
立芳はさっきと同じようにへにゃりと笑って、竜司の真似をし竜司の頭をくしゃりと撫でた。
(距離はゼロ)
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