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赤色よりもずっと濃い色のネクタイを締め、紺色のブレザーに手を通すと学校指定の鞄を持ち、離れを出た。井口の家はソレらしく広い敷地を有し外界との接触を拒むかのような高い塀で囲まれている。出入り口は正面と裏に一つずつ。正面の玄関を啓人が通ることはほとんどなく、離れに近い裏口を潜って学校に向かう。

「坊ちゃん!今日から学校っすか?」

「あ、阿坂さん…」

裏口に待機している組員の1人、阿坂に声をかけられ啓人は足を止めた。ひょろりとした体に、まるで野球児のように短く刈られた頭にはラインが2本交差するように入れられている。ニコニコと人懐っこい笑みを浮かべる阿坂は、井口の中でも珍しく啓人に声をかけてくる人物であった。まるで大きな犬のようだと啓人は大変失礼なことを思ったが、そんなことを阿坂に直接伝えるつもりはない。

「夏休みの宿題は大丈夫っすか?て、坊ちゃんは俺と違って頭良いから問題ないっすよね。ところで荷物重くないすか?俺、車回してきましょうか?」

「い、いえ、大丈夫、ですから…。あ、の、遅れるから、もう、行きます…」

「あぁ!すいません!坊ちゃん、気をつけていってらっしゃい!」

とんでもないことを言い出した阿坂から逃げるように啓人は学校に向かった。後ろから聞こえる阿坂の威勢のいい声。何故、彼がこんなにも自分に関わってくるのか。鷹野と同じぐらい不思議な存在だった。



窓際の、前から1列目。そこが啓人の席だ。意外に教師の死角になる席は密かに啓人のお気に入りだ。朝のSHRが始まるよりもずいぶん早く学校に来て、自分の席から朝練に励む運動部や登校する生徒を見る。誰もいない教室でグランドを、校庭を眺める。この時間だけ啓人も何かの仲間に入ったような気がする。
頬杖をついた啓人の目に幾分長くなった黒い髪の毛が掛かる。ふわり、と朝の風がそれを揺らした。夏休み前に比べると風が冷たくなっている。秋が始まる。

久しぶりの学校は啓人に僅かな疲労を味合わせながらも、井口の中にいる重苦しさから開放された気分になり心が軽くなった。新学期初日だというのに、再び進路調査書なるものを配布された。夏休みの間に希望が変わる生徒が多くいるせいだろう。
啓人は鞄の中に仕舞い込んだプリントのことを思い出し、それと同時に鷹野に早く返事を返さなくてはと思った。だが、なんと言って返事をすべきなのか。断るにしても、なんと言えば良いのか。どうしよう、と啓人がぼやきながらも机の上に広げたのは参考書で。無意識のうちに勉強をしなくてはならないとシャーペンを走らせた。


分からない英単語を辞書で引いていると、ガチャリと扉の開く音がして、啓人はピタリと動きを止めた。この扉の開け方は、あの人しかいない。嫌に心臓が早く動き出した。鷹野は丁寧にノックをして扉を開け、兄、洋祐はノックもなしに荒々しく扉を開ける。こんな風にノックもなく静かに開けるのはただ1人。啓人の異母兄弟、明音だ。

今日もまた始まるのか。あの、時間が。月に数度訪れる悪夢。

ぎし、と床が軋んで、背後に人の気配を感じた。啓人はそれでも気づかない振りをして辞書を捲った。

「あんた、まだ生きてるの?」

明音の声が部屋に響いた。柔らかく、鈴のように可愛らしい声。啓人は傍目から分かるほどに肩を震わせた。

「あんたなんか、生きてる価値がないのよ。分かってるでしょう?」

静かに語られる声。ぐっと肩を掴まれて、啓人は体の方向を反転させられた。目の前にはにこやかに微笑む姉。確か、啓人の4つ上の21歳だったはず。

「あんたの母親は、薄汚いメス豚よ。誰にでも股を開いて。ねぇ、そうでしょう?あんたなんか生まれてこなければ良かったのにね。誰もあんたなんか必要としてないのよ。知ってるわよね?」

「は、い…」

啓人は明音の目から逃げるように、できるだけ体を小さくして息を詰めた。それでも返事を返したのは、返さなければ何をされるか知っているからだ。

「分かってるならいいのよ。」

ふふ、と珍しく上機嫌に笑う明音に啓人は驚きを隠せない。いつも訥々と語られる言葉はこんなものではないのだから。思わず啓人は顔を上げて明音を見たことをすぐに後悔した。
口元は確かに笑みを模っているが目が笑っていなかった。あからさまな嫌悪と侮蔑。ぞぅと背中に寒気が走る。

「あんた、洋祐だけじゃなくて一成さんまで銜え込んだの?本当に汚らわしいわっ!気持ち悪い!」

唐突に訪れた左頬への衝撃。啓人はそのまま床に崩れ落ちた。

「気持ち悪い、気持ち悪い!その顔!その顔よ!何?それで一成さんまで誑かしたの?母親とやることが一緒ね!男と見れば媚びて!気色悪いのよっ!」

「っぅ!!」

頬の次に襲ったのは無防備な脇腹に背中。次々と降り注がれる暴力に啓人は無抵抗だ。だって、それは仕方がないことだと思っているから。
痛みから逃れるように体をできるだけ小さくして、目を固く瞑った。

「はぁ、はぁ…、あんた、どうせ男なら誰でも良いんでしょう?」

啓人は先ほどから言われるその言葉の意味が全く分からなかった。男、がどうかしたのだろうか。啓人はただ、ぼんやりとそれを思うだけだ。
明音はニタリ、と厭らしく口の両端を吊り上げると後ろを振り向き、最初からいたのであろう男達を顎でしゃくった。
へい、お嬢さん、と粗野な声を出した男3人。ニヤニヤと下卑た笑いをその顔に貼り付け、啓人を舐めるように見た。

「へぇ、こいつはいい。」

床に膝をついた男の1人が啓人の顎を掴み、持ち上げた。

「好きにしてよ。どうせ慣れてるんだから。」

明音の吐き捨てるような言葉に男たちはどっと笑った。よかったなぁ、3人も相手に出来てよ、と聞こえたのと同時に啓人の両手は床に縫いとめられた。

「ぇ…、」

異様な、嫌悪の募る空間に啓人は恐怖を覚えた。今から何が起きるのか。相変わらずニタニタと笑った男たちは急に啓人の体をその汚らしい手で撫で回し始めた。

「ひっ…!な、な、に…!」

「何って、分かってんだろ?おびえたフリすんなよ。それともそーいうプレイかよ?」

「逆に燃えるだけだっつーの、」

クツクツと笑う男の手が啓人の服を引き裂いた。ひんやりとした空気が啓人の肌を撫で、そこで漸く啓人はこれから何が起こるのか分かった。

「い、嫌だ…!やめ、」

「じゃあね、存分に楽しませてもらいなさい。」

ふん、と汚らわしいものを見るかのように啓人を一瞥した明音は部屋を出て行った。バタン、と閉められた扉はまるで地獄への誘いのようだった。



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