残光の国(OP-鷹鰐
何の不満があると言うのだ。
豊かな暮らし。
やり甲斐のある仕事。
後腐れの無い関係───
けれど、いつもどこかで求めているのがわかる。
何かを、求めているのがわかる。
残光の国
いつもの予約を入れる。一向に改善しない虚無感の為に、と薄く自嘲する。
メンタルクリニックに通うのは、その虚無感を埋めようとするのでは無い。
待合室でしか、私は一人になれないからだ。
携帯電話の電源を切る。
スケジュール帳を鞄の奥深くに沈める。
きつく撫で付けた髪を、指で掻き乱す。
ひたすらに眠っていたい、という私の話を、医者は頷いて聞き流してくれる。それがありがたい。
「私は、コミュニケーション不全かな? 先生」
年若い女医は、薄く笑んで
「コミュニケーション不全の方は、一時間もお喋りしていきませんわよ。鷹目さん」
お大事に、という声に送られて待合室へ戻る。
夕暮れの西日が、レースのカーテン越しにぼんやりとそこかしこを染めていた。
───待合室の壁の角に身を寄せて、彼は半分眠っているようだった。前にも一度、見た事がある顔。
私は彼の姿が見えるような位置に腰を下ろし、その端正な顔に残る傷跡の理由を想う。
痛々しいその痕は、けれど、彼の美貌に一層凄みを与えているように見えた。
透き通る夕陽が彼の柔らかそうな髪を蜜色に染めている。
神々しいような景色だった。
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