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「裏切り者」


 窓辺から聞こえる歌に、冨山はゆっくり立ち止まった。
 ひんやりとした木陰が綺麗に整えられた芝生に広がっている。ややロマンチックな様式の鉄柵は、真夏の陽に焼かれてじっとりと熱い。
 足下から立ち上ぼってくる熱気に、冨山は顔をしかめた。
 歌声は、やわらかく涼やかなテノール。目を閉じる。
「───…あの」
 額から汗が落ちた。
「大丈夫ですか…」
 陽炎のように揺らめく世界が、ひやりと凍り付いたようだった。


  翡翠の氷


「それで、二時間もこの炎天下を?」
「すみません。…おかまいなく」
 良く冷えた紅茶を三杯飲み干して、四杯目を注いでくれた女中に冨山は会釈する。
 レースのカーテンから零れる南天の太陽が、切子硝子の底でゆらゆらと揺れた。
 聞こえていた歌声は館の主のものだった。暑さに顔色を失っていた冨山に声を掛けたのも、この、まだ年若い青年だ。
 秋畑と名乗った青年は、いかにも育ちの良い、品のある顔に微笑を浮かべて、びろうどのような声を冨山に降り零す。
「どうぞゆっくりなさって行って下さい」
「申し訳ない……」
 冨山は目を伏せる。若く、どこをどう取っても上流階級的な秋畑は、平々凡々な三十路男の冨山には少々眩しすぎた。
「この辺りの地図を持ってこさせましょう。お探しの家もすぐ見付かりますよ。
ああ、ねえや、この間いただいた菓子と地図を持ってきてくれないか」
 菓子、の言葉に冨山は慌てる。洋菓子にしろ和菓子にしろ、甘いものは貴重だ。
「あ、いや、…そんな」
「いいんですよ。…私一人では食べ切れない量をいただいたので」
 切れ長の目は良く見ると両目で色が違う。
(異種眼…)
 おもわず見入ってしまった冨山の視線に、秋畑はその目を細くして微笑する。
「あ……失礼を」
 ふふ、と秋畑は笑い、紅茶のグラスを傾けて、女中が運んで来た焼き菓子を一口、さくりと噛んだ。
「義母もそうでした」
 地図を広げ、秋畑はそっと呟く。
「え…」
「あなたのように、じっと見詰めては、悪いものを見たように目を伏せた」
「…はあ」
「誘われているのと勘違いしてしまう」
 菓子屑が気管に入りかけて冨山は噎せた。秋畑は紅茶のグラスを差し出す。
「大丈夫ですか」
「は、はあ。申し訳、ない」
 ごくりと紅茶と咳を飲み下した冨山に、秋畑はまた静かな微笑を浮かべる。
「それで、その、ご両親は」
 口にしてから冨山は後悔した。この屋敷に、秋畑と女中以外に人の気配が無いのは、わかり切った事だったのに。
「亡くなりました」
 しかし秋畑は何の事は無いようにそう答えた。表情一つ変えないその様子に、冨山は不意に寒気を覚える。
「父は」
 今更ながら、洋風のこの部屋の、陽の当たらない隅の薄暗さが気になった。
「死ぬまで私を嫌っていました」
 優しい調子で言った内容が、冨山をずしりと重くする。そよかぜに薄いカーテンがふわりと膨らんだ。
「父は、私が義母と関係を持った事を知っていて、」
 秋畑の目は、広げた地図の上を無意味にたどっている。
「随分私を責めました」
 遠くで蝉が鳴いているのを、冨山は必死に聴いた。
 秋畑の声は、優しく柔らかいのに、冨山は冷たい空気で取り囲まれるように重く感じる。
「私ほど、父を愛していた者はいなかったのに」
 じっ…、と鳴き残して、蝉の声が消えた。
 息をするのさえはばかられるような沈黙に、冨山はじっとりと冷たい汗を背中に感じる。
 秋畑はややあって、薄く、変わらない微笑を浮かべた。冨山はその二色の視線から目をそらして、ひたすら地図を見た。
「───途中までお送りしましょうか」
 冨山はその申し出を丁重に断り、屋敷を後にした。
 太陽が、真っ青な空でぎらぎらと照り付けている。逃げ水が遠くで揺れて、冨山は目を細めた。
 陽炎の中に、涼しげなテノールが聞こえる。
 薄緑の木の葉が、風になびく夏の庭。
 二色の、美しい瞳。
 冨山はふらふらと、熱気の中を歩き出した。
 すべてがゆっくりと遠ざかって行く。
 声がよみがえっては、耳の奥に響いた。

───私ほど、父を愛していた者はいなかったのに。







新尾林月様へ捧ぐ。
12000打キリ踏ありがとうございました。

「裏切り者」
………ぐあ。
いつもいつも。
なんだかなぁ。
裏切り者を探して下さい。
(ウォーリーを探せ)

冨山(トヤマ) と 秋畑(アキハタ) でした。

しかし長いですね。
お粗末でした。

2005.08.07


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