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ブラザー、シスター。


 乾いた銃声が響くと皆が地に伏せ、物陰に急ぐ。日本でこんな風景を見る事になるなんて、誰が予測しただろう。
 何発かの軽い破裂音のあと、静寂が訪れて、人々はそろそろと動き出す。
 そして街はまた何事もなかったかの様に動き出す。俺はポケットで震えていた携帯電話を取り出した。
「もしもし」
 遅い! と姉が怒鳴った。女にしては声が低いから凄味がある。
「へえへえ。かりかりすんなよな」
 どこにいるの、と聞かれたのに答えると、さっさと来い、と言って通話が切れた。
 姉は俺が高校の時に家を出て、海の向こうの遠い街にいる。せいぜい年に一度会う程度だが、共通の趣味があるせいか仲は良い。
「ちょっと、遅刻したんだからコーヒーくらい奢んなよ」
 煙草をばかばか吸っていた姉は、読んでいた本を閉じて笑いながら言う。
「貧乏人にたかるなよ」
「だから研究室なんて入るなって言ったのに」
 俺は自動車販売メーカーの営業を一年やって、胃に穴を開ける寸前で辞職した。今は大学の物理学の研究室にいる。
「貧乏な割には車屋にいた時より血色いいんじゃない」
 久し振り、とも元気?とも言わない、一年半振りの再会だった。
 俺は姉のそういう所が面白いと思う。聞けば、友達との再会もこんな感じなんだそうだ。
「まあね」
 答えて、辞職する一か月前、姉と電話で話したのを思い出す。

「あんた愛家ひろとの『最後の晩餐』買う?」
 仕事が終わって家に帰ると、申し訳程度に晩飯を食っては吐いていた頃だった。何も考えられない脳に、姉の台詞がすとんと落ちた。
 愛家ひろと。昔から俺と姉のお気に入りの漫画家。
 最後の晩餐。愛家の新作の漫画。
 ぐっ、と喉に熱い塊がせり上がった。薄く、目尻に涙が浮かぶ。
「…わかんない」
 連載しているのは知っていたが、雑誌を立ち読みする余裕はなかった。
「んー。あたし買うから」
 気に入る作家や作品がよくかぶる俺と姉は、よくこうして連絡をとりあった。
「仕事どう?」
 ぎぃ、と電話の向こうで姉が愛用しているイスが軋んだ。
「……どうかした?」
 姉は、幼い頃からの夢だった小説書きになった。なのに俺は、
「もしもし?」
 俺は、働いては苦しんで、吐いて吐いて吐いて。
「姉ちゃ、…俺、…」
 言葉が続かなかった。
 姉はしばらく黙って、投げ出す様に言った。
「辞職する時の書類の書き方教えてあげるから、早く出しなよ」

 俺がぼーっと回想してる間に、姉は隣りに座ったおばちゃん二人の会話をこっそり聞いてノートに書き留めている。
「…よくやるよな」
 半ばあきれた様に言うと、にっと笑う。
「何しに帰ってきたの」
「用事がないとだめなわけ?」
「そうでもないけどさ」
「明日の昼に帰るから、飲みに行かないかと思ってさあ」
「…今から?」
「今から」
 友達の松ちゃんが焼鳥屋はじめたらしいんだ、と言う。
 俺は実験中の装置の事を思った。
 それから、あの遠い過去の日の事を。
「…いいよ。飲むかぁ!」
「よーし。飲むぞ!」
 俺と姉はそう笑った。隣りのおばちゃん達が咎めるような目で見るが気にしない。
 外に出ると地平線に落ちかけた陽が、真っ赤な雲を夕暮れの空に浮かべている。
「さっき何かあったの?」
「ああ、何か撃ち合いあったみたいだよ」
「ふぅん」
 物騒だね、と言った姉の銀のピアスが夕日にちかりと光った。
 黒いコートのポケットに手を突っ込んで、姉が俺に、不意に言った。
「調子はどうだい、ブラザー」
 俺は向かって来たくたびれたサラリーマンを避けて、答えた。
「まあまあだよ、シスター」





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あきゅろす。
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