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ぱらいそ


 みんなが私に話をしたがる。
 みんなが私の話を聞きたがる。
 けれど、
心まで開いてはくれないんだ。


 ぱらいそ


 砂っぽい風が吹いて、舌の上で細かな石がざらつく。硬いパンも酸っぱいワインももうたくさんだ。
 ふかふかの白いパンに、甘く芳醇な赤ワインに、血の滴るような肉。
 がくり、と首が傾いで、眠りかけていたのに気付く。
「寝てんなよ、ジュス」
 ヨブが俺の脇腹を肘で小突く。
「寝てねぇよ」
 夢は見てたけど、と笑う。
「食い物の夢ばかり見るよな、ジュスは」
「そういうお前は故郷に残してきた家族の夢ばっかりだろ」
「…ああ」
 聖地巡礼の人の列は、砂と岩の大地に果てしなく続いている。
 かみさまは苦難がお好きだ。
「みんなそんなにかみさまが好きか?」
 聖地には、それはもう立派な塔が立ち、今もそこにはかみさまがいるんだそうだ。
「ジュス」
 ヨブが咎めるような声を出す。ヨブは信心深い。見た事もないかみさまを信じてる。
 俺は、そうはいかない。
 見た事もないものがあるのはわかるけれど、見た事もない奴を簡単に、誰かが信じているからといって信じるわけにはいかない。
 俺は、なんと言うか───用心深いんだ。

 陽が昇って、落ちて。
 月が昇って、落ちて。
 辿り着いたのは、想像していたよりひょろりと小さな塔だった。
 ヨブが聖なる塔に何度も口付けて涙まで流していた頃、俺は人気のない荒れ果てた裏庭にいた。
 夏の名残の小さな花が、伸び放題の雑草の中に咲いていた。
 庭の片隅には申し訳程度に泉が湧いている。
「───聖なるかな、」
 突然の声に、俺は驚いて息を止めた。
「地に、…平安は…拡がり、罪人らは…許され…」
 つっかえつっかえ聖句を口にする声は、若い男の声だ。
「春の…園に、」
「春の園に蜜の池は輝き、苦する者の鎖は解かれ、光の中に祝福を受ける」
 小さな泉のほとりに座っていた男が、ざっと立ち上がって振り向いた。
 枯草色の大きな目が、長い髪の隙間から覗いている。色のない薄い唇が優しい調子で言葉を紡いだ。
「巡礼の方ですか?」
 小綺麗な長衣に、透き通るような肌の色。
「そうだけど、…あんた、神官か?」
「…はい」
 その男からは、花と水のいい匂いがした。
「その割には下手だな、聖句」
 男は曖昧に微笑する。
「神官なら、かみさまに会った事があるのか?」
「かみさまは、ここにはいない」
「いない?」
「かみさまは、」
 口を開いたまま、男はしばらく黙った。
「どこにも、いない」
 枯草色の瞳が泉の光を映して揺れる。
「どこにもいない。
なのにみんな、ここへ来る。───あなたも」
「俺はジュスだ。あなたなんて呼ばれる身分じゃない」
「ジュス」
 男は俺の名前を楽しむように口にした。
「ジュスは、信じている?」
「かみさまを?」
 神官のくせに頭が足りないのか、と俺は思う。泉を映していた目が、今度は真っ直ぐに俺を映している。
「…信じるために来たんだ。見た事もない奴を、簡単には信じられないから。かみさまに、会うために」
「でも、かみさまはいない」
 なら、信じないのか。
 男が訊くから俺は溜息を吐いた。厄介な奴に関わってしまった。
「そうだな。…皆のようには、信じない」
 聖句を唱え、祈り、信じる。
 俺には、そうまでする理由がない。
「あんたは、───ええと、」
「私は、ユダ」
「ユダ。ここにも、どこにも、かみさまはいないのに、信じているのか?」
「……私、は」
「ユダ!」
 突然の声に、びくり、と俺達は震えた。立派な身なりの男が、荒々しく歩み寄ってくる。
「マタイだ。───行かなければ」
 ユダが悲しそうな顔で俺を見る。
「私は、私の言葉を忘れてしまうんだ、ジュス」
 小さくゆっくりと離れていきながら、ユダが囁いた。
「忘れてしまうんだ」

 だからジュス、
あなただけは忘れてしまわないで。

 信じなくていい。
 祈らなくていい。

 ただ、
閉じられたぱらいその
私を覚えていて。








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