この地上の楽園※2万企画おまけ
お初にお目にかかります、皆様。わたくし、ルーンド公爵様にお仕えする第一執事のボーモンと申します。
日頃こちらにいらしておられる皆様におかれましては、先日の───あの新大陸で行われた下賤な夜会での一件をご存じとか。…まったく、由緒あるヴァンパイアの血筋であるルーンドの者が、あのような会に行く事など許されないというのに、あまつさえ忍び込んだなどと!
それもこれもあの狼が!……と、言うのは早計かも知れませぬが、あの狼はいかんせん公爵様を甘やかし過ぎる感があるのでございます。
そもそも公爵様と狼の出会いは、フランスで開かれた大層豪華な夜会───その帰り道の事でした。
ちょうど、今日の月の様に美しい満月の夜の事でございます…───
「美しい月だな、ボーモン」
馬車の中、わたくしの後方から公爵様がそうおっしゃって、わたくしは黒々とした森の道から天空に目を移しました。
一点の曇りもない金色に輝く月は、まるで真昼の太陽を思わせました。けれど車輪が少し大きな石を踏んだので、わたくしはすぐに前方に意識を戻して、
「はい、美しゅうございます、旦那様」
と微笑ましい気持ちでお答えしました。公爵様は家督を継がれてもう随分経っておられましたが、夜の世界の中ではまだまだ殻の付いたヒヨコの様なもので、夜会でも大層遊ばれてしまったご様子でした。
公爵様は、ほう、と溜息を吐かれ、月を見上げていらっしゃいました。
黒々とした初夏の森に、月に照らされた道が白く、空にはただ金色の丸い月。それはまるで夢の中の様な景色でございます。
「ボーモン」
頬杖を付かれていらっしゃったのか、それはくぐもった声でしたがわたくしは
「はい、旦那様」
と返事を致しました。
すると旦那様はわずかに声を潜めて
「左の薮に何かいるな」
造作もなくおっしゃいました。
そちらを注意してみると、確かに、並足で進む馬車と同じ速度で何かがぴたりと着いて来ているのです。
馬を駆けさせようとしたわたくしに、公爵様はこのままで良いと少しばかり楽しげなご様子でおられました。
「…けもの、かな」
野犬か、狼か…と、公爵様はやはり楽しそうですが、わたくしは気が気ではありませんでした。公爵様は、その穏やかで優美な外見を裏切る様な変わった───いえその、…いわゆる好事家でいらっしゃるのです。
ですから、群れず、襲いかかりもせずにずっとこちらを付け狙うそのけものを、公爵様がまさに気に入ろうとなさっているのが、わたくしにははっきりわかりました。
わたくしは本当に、そのけものが早々に立ち去る事を心底祈っておりましたが、結局、その祈りは聞き届けられはしなかったのでございます。
森の向こうに城の灯が一瞬見え隠れした、その時でございました。
ざっと薮が揺れたかと思うと、大きな影が音もなく───まるで上品に、ふわりと公爵様とわたくしの間に降り立ったのです。
わたくしは振り向く事も出来ません。公爵様の発する空気、雰囲気がそれを許さないのでございます。
わたくしはヴァンパイアではございません。しかし一応ながらこの身に流れる半獣の血が、その影が何かを悟らせました。
「やっぱり狼か」
楽しそうな公爵様のお声でございます。
「美しい満月だからな」
わたくしは───何度も申し上げますが、気が気ではございません。その人獣は、満月の夜の狼男とは思えないほど静かで、上品でさえあるのです。
「…なんて綺麗な金の目だ」
ああ、とわたくしは予感が的中しかけている事をひっそりと嘆きました。
影がゆっくりと動くのがわかります。公爵様はその金の目をじっと見つめていらっしゃるのでしょう。
「なんて美しいけものだ」
わたくしの背に、くぐもった公爵様の声が響きました。それはあまりに官能的で、わたくしはとうとう振り向いてしまったのでございます。
公爵様は、ご自分の外套を広げて、そのけものを腕の中へ招き入れたところでいらっしゃいました。
わたくしはとりあえず一刻も早く城へ着く事だけを考えようと、馬にぴしりと鞭を当て、白く浮き上がる道を風の様な速さで通り過ぎたのでございました。
城に着いて、公爵様とそのけもの───狼が、公爵様のお部屋でどの様な話をなされたのか。それはわたくしの預り知らぬ所でございます。
翌日の真昼、鎧戸を閉切った公爵様のお部屋から、狼は白いシャツと黒いズボンという身軽な様子で現れ、わたくしを見るとにこりともせずに
「世話になったな」
と言いました。わたくしは引きつる様な笑みを向けてやり、一応の礼儀として名乗ってやりました。
「わたくし、第一執事のボーモンと申します」
「ああ、俺はサイガだ」
そうして狼…、サイガは公爵様の『友人』になったのでございました。
───たかが人狼が、ヴァンパイアである公爵様と同じ年月を過ごして来た事に不思議を感じられる方がいらっしゃるでしょう。
それはまた、長いお話でございます……
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