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すてきなおもいで




 雨の日だったか。あの優しい人が俺を拾ってくれたのは。
 晴れの日だったか。俺が静かな部屋で目を覚ましたのは。
 もう、忘れてしまったけれど、それはとても


  すてきなおもいで


 脛のあたりに毛皮を感じて目を覚ました。メイクーンの血が混じっているらしい雑種猫が、布団からはみ出した足の上を乗り越えて行く。
 猫ドアからアメショー模様のタビィが顔を出して、んにゃあ、と鳴いた。
「タビィ」
 俺が呼ぶと、足音もなく近付いてきて、撫でろとばかりにすり寄った。
 俺が首やら胴やらを思う存分撫で回してやると、タビィはぬるりと俺の手から逃げ出す。名付け親は俺なのに、つれない奴だ。
「トラくーん」
 屋敷の主人が茶の間から俺を呼んでいるので、ごそごそと起き出してパジャマから着替える。
「トラくーん」
 間延びした二度目の声に
「はーい」
 と答えて、部屋を出た。
 味のある平屋の縁側から、涼しげな秋の空が見える。夏が苦手な俺にとっては、過ごしやすい季節だ。
「目玉焼き何個にする?」
「一個でいいよ」
「そう。あ、味噌汁」
「俺やる。こら、キィ」
 味噌椀を手に、テーブルの端に上ろうと狙っている黒猫を追い払う。
「お前らはこっち」
 味噌汁をよそう前に、餌皿に猫の食事を出してやる。わらわらと、どこからか猫が沸き出して来て、皿に群がる。
 屋敷の主人、舘木継隆さんがその光景にいつものように笑った。
「トラくん、目玉焼きの皿をとってくれるかな」
「はい」
 彼は少なくとも俺の頭半分くらいは小さい。
 警戒心のかけらもない。
 三十半ばに仕事中毒の奥さんに離婚届を突き付けられて、悲しみに暮れながら判を捺し、公園で黄昏ているのをリストラと間違われて女子高生と仲良くなる。そんな人だ。
 キィがまたテーブルに前手をかけたので、今度は舘木さんが追い払う。
 粒の立っている白いご飯、豆腐と若布の味噌汁、目玉焼き、焼き鮭。それから、ゆうべの残りの鶏と大根の煮物。
 だしが染みていい色になった大根を、舘木さんは嬉しそうに見て、
「さ、食べようか」
 そう言った。
 俺は彼の向かいに座って、足にすり寄る猫たちをたまに構いながら、純和風の朝ご飯を食べる。
 俺は、目玉焼きの白身を黄身と分けながら、いつかこの日の朝が思い出になる日を思う。
 それは、きっとずっと後の事になるのだろうけれど、そのときも、彼が隣りにいるといいと思う。
「今日もいい天気だねえ」
 ふと手を止めて、窓から見える薄青の空に彼が呟く。
「うん」

 十年後も、きっと二十年後も、俺達は同じ会話をするだろう。
 彼が拾って来てしまう猫たちを構いながら、こんな風に向かい合って。
「晩ご飯、秋刀魚にしようか」
「いいね」
 そんなふうに。








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