ヴィアジオ・ムジカ 南へ向かう。 長い長い道程。 ずっと、お前の声だけ聞いていた。 ヴィアジオ・ムジカ 旅行に行こう、全部俺が用意するから。 という藍沢の甘言に乗せられた訳じゃない。ただ上司から、いい加減有給を取れと言われたからだ。 電車は嫌いだ。 夏休みにぶつかったせいで、ガキはうるさいし混んでるし。 「やだー、あっち行くー!」 「やめなさい、ショウちゃん!」 俺を通路側にしなかったのは、賢いやり方だ。今頃通路を走るガキを車両から叩き出してる所だろう。 「大丈夫?」 ひやりと冷たいペットボトルを差し出して、藍沢が俺の顔を覗き込む。前の席の女子大生グループがちらちらと藍沢に視線を投げているのが気に食わない俺は、窓の方に顔を向けて 「ああ」 ぶっきらぼうに答え、紅茶のペットボトルを開けた。 子供特有の、公共心のかけらも見られない叫び声に眉を寄せる。 少なくともあと二時間はこの状況に耐えなければならない。 俺は苛々と目をつぶる。 と、藍沢が急に体を寄せてきた。 「…なんだよ」 その、近い体温に、俺は窓際に逃げる。 すると藍沢は事もあろうか腿の内側にそっと指を滑らせた。ぞくりと腰の辺りがざわめく。 「藍沢…」 わざと呆れた声で非難すると、薄めの唇が笑う。 そして、差し出すのは、MDプレイヤーのイヤホン。 「……なに」 「サルサのコンピ」 悪くない。 華やかな管楽器に、陽気な打楽器。それから、眩しいくらいのリズムとボーカル。 イヤホンを片方ずつ分けあって、藍沢は俺の肩に頭を乗せ、俺は少しだけ頭を傾ける。 藍沢は生意気にも歌詞を口ずさむ。大学じゃチェロ専攻のくせに、発音は完璧に近い。 囁く歌声は低いのに、辺りの騒音をかき消してゆく。 そして声は、激しい愛を歌う。 南へ。 南へ。 [≪][≫] [戻る] |