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梟の王
「お願いよ、パパ」
 私の小さな可愛い娘は、小さな小さな手で私のコートの裾をしっかり掴んで言った。
「お願い、パパ。あの子を殺したりしないで」
 妻が娘を私から引き離す。娘はぽろぽろと涙を零しながら私の背中に訴えた。
「パパ、パパ、お願い。お願いよ」


わたしのパンをあの子にあげて。
わたしはスープだけでいいから。
あの子に。
あの子はひとりなの?
ママは?パパは?
だれがあの子からパパとママを取り上げたの?
ねえパパ。
だれがあの子をここに連れてきたの?

梟の王


「お疲れのようですね、陛下」
「そう見えるか?」
「…ええ」
 私より二、三歳年下で長年私と共に歩んで来た彼は、運んで来たコーヒーをテーブルに置いて、私が差し出した書類を捲った。
「何か問題が?」
「…問題か」
 挽きたての豆の匂いを吸い込んで私は言った。
「一〇五七番の話をしただろう」
「一〇五七番…ああ、あの子ですか」
 多少薄目に淹れたコーヒーに、ほんの一つまみの砂糖とミルクを数滴。彼は私の好みを熟知している。
「政治犯収容所の」
「そうだ。あの恐ろしい、子供───」 私は椅子からコーヒーを持ったままゆっくり立ち上がる。
 後ろの壁には、剣と梟が月桂樹の葉で囲まれた国旗が掲げられている。
「シュヂ・ケィジと言いましたか」
「ああ」
 薄い青を背景に、くっきり浮かび上がる濃い青の線。
 壁から梟の眼が黒々と私を見ていた。
「彼に、何か問題が?もう間もなく処刑されるはずでしょう?」
「ああ、そうだ。───だから私は、」
 娘の顔と声が浮かぶ。

 だれがあの子からパパとママを取り上げたの?

「怖いんだ」
「…これは、…異なことを」
 王であるあなたが?と彼は驚いた顔をした。少し微笑んでいるようにも見えた。
「かの国を戦いの末その手中に収めた陛下が、あの小さな子供の、何を恐れるというのです」
 私が手にした場所に、王はいなかった。
 彼ら一人一人が王なのだと、あの子供は言った。
「───陛下」
 険しい顔をして、彼が私を呼んだ。
「一〇五七番の処刑を早めましょう」
 薄い唇から、彼は強い口調で言葉を紡いだ。
「……しかし…」
「早めましょう。今すぐにでも」

 あなたは王だ。
 あなたは恐れてはいけない。
 あなたは迷ってはいけない。

 あなたは王だ。

「───意味が無いと、言った」
 部屋から出て行きかけていた彼は、私の声にぴたりと足を止めた。
「…一〇五七番、ケィジが言ったんだ。意味が無い、と」

───王様。僕ら一人一人を殺しても意味が無いよ。
だって、僕らはひとつじゃない。
ひとつじゃないんだから。

 そう、聡い瞳に私を映して。
「私はあの場所に、…手を出してはならなかったのだ」
 戸口に立って私をじっと見ていた彼が、溜息を吐きながらこちらへ戻ってくる。
「今更何を。
…殺してしまうことです。あの子供も、あの大人も」
「……娘が、言うんだ」
 コーヒーは冷めてしまった。
「あの子を殺したりしないで、と、私に言うんだ」
「陛下───」
「梟は、夜の森で息を潜めていれば良かったのに。昼間に羽ばたこうとするから、こうなる」
 地に落ちた真昼の梟を、黒い鎧の蟻たちが覆い尽くすだろう。
 羽をばたつかせ、飛立とうともがく梟に、蟻たちは鋭い歯を食い込ませるだろう。
「陛下」
「私は娘に何と言えばいい?あの子供から、国を、暮らしを、両親を、尊厳を───すべてを奪ったのは、お前の父だと?」
 彼は黙ったまま私の目をみつめて、壊れた機械のように繰り返し言った。
「殺しましょう。一刻も早く。子供のことだ。すぐに忘れますよ」


羽をばたつかせ
地に落ちた梟を

蟻たちが覆う。

覆う。









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