アダージォ
指先の感覚が無い。
手袋の手をこすり合わせて、少しでも血を通わせようと手を叩く。
携帯電話は偉大だと、凍り付きそうな頭でぼんやり思い、真っ白い息を吐いた。持っていれば連絡のとりようもあるのに。
待ち人は現れる気配すらない。
携帯のサブディスプレイは真夜中を表示する。噛み締め過ぎた歯の根が痛み出して、目を閉じた。
みっともない顔だけはするまいと俯く。
しあわせそうに腕を組んだ男女が何人も通り過ぎて行く、その靴を目で追った。
家を出た時は細かい粒のようだった雪は、ぶわりと膨らんだ牡丹雪に変わっている。街灯からぱさりと、積もった雪が落ちた。
頬に触れた雪が、皮膚の上でごくゆっくり水滴に変わる。街のど真ん中で凍死か、と少し笑った。
すくめたままだった肩を動かすとぎしぎしと痛む。
来ないよな、とはわかって、けれど立ち去れない。足が氷柱になったようだ。
「───きみ、」
と、立ち止まった足音。
「なんて、…なんて」
焦茶の革手袋がぱさぱさと肩の雪を払った。
「………せんせい」
「なにを、しているんだ。演奏会は…」
「終わって、忘年会に、」
唇は顎から強張って、うまく動かない。
「先生がいらっしゃると、聞いたので」
「きみは来なかっただろう」
「酒は、飲みません」
「それがどうしてここに」
すぐ近くの道路ではとうとう除雪作業が始まった。重機の音で、唇の動きだけしかわからない。
「先生」
「こんなに雪が積もってるじゃないか」
「先生、本当は俺、言う事を考えていたのに」
「どうして僕を、…いつ来るかも分からない、この道を通るかも分からない僕を、待ったりするんだ、きみは」
「たくさん、あったはずなのに、何にも出てこない。
───先生、……先生」
細い身体を抱き締めてしまいたい、衝動を抑える。
降りしきる雪は、ただアダージォ。
聖夜は禁忌を許さない。
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