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じれったいのよ。


 低く押し殺した声が静かな部屋に響いた。
 黒岩が、わずかに雨池から離れる。
「俺が好きか」
 挑むような視線に、黒岩は目を細めた。薄暗い部屋の中にほんのわずかに差し込む光を、その瞳は受けている。元々淡い焦げ茶色の雨池の目は、光を受けて濃い琥珀色に輝くようだ。
「…どうして裏切るんだ」
 薄い唇がわななくのを、黒岩は見た。
「俺が好きなら、どうして、こんな…」
 全てを壊してしまった事を、黒岩はわかっていた。無表情に見つめる先で、雨池は俯いて、諸々の感情を込めた溜息を吐く。
「雨池さん」
 俯いていた雨池は、その声にのろのろと視線を上げた。ひどく冷たい光が、黒岩の目に浮かんでいる。
「俺の感情と、あなたの考える俺の感情には、だいぶ開きがあるようだ」
 黒岩が吐いた言葉に、雨池はただ呆然とその整った顔を見つめた。
 視線の先で、黒岩はぞっとするような笑みを浮かべて雨池を見下ろす。
「あなたが俺をどう思っているかなんて、俺には関係のない事だ。
信頼していた? 裏切りだって?」
 黒岩は笑った。
「いくら嫌われても、俺は、あなたが欲しい。そこに、信頼や、友情や、───そんなものを、求めるんですか?」
 俺はただあなたが好きで、あなたを支配したいだけですよ。
 そう続けた黒岩の声を、雨池は全く聞いていなかった。
 聞く余裕も、なかった。目の前がいやに暗い、とだけ感じる。
 ベッドに沈み込むような人の重みに、雨池はいやだ、やめろ、とわめいた。自分を覆おうとするそれを何度も何度も押し返しては失敗する。
 滅茶苦茶に暴れる雨池の手を、大きな手が一括りに捕まえて、爪を立てる程強く握る。
「優しくしてあげるって、言ってるでしょう」
 抵抗を吐き続ける唇を、薄く笑みを浮かべる黒岩の唇がふさぐ。顎を押さえられてしまっては、侵入してくる舌を噛む事さえ出来ない。
 ざらり、と上顎を舐められて、雨池はびくりと身体を震わせた。
 きつく吸われ、甘噛みされ、弄ぶように絡みつく。
 その、暴力に近い口付けは、一年間、肉体的な快楽を忘れていた身体に、麻薬のように染み込んでいった。与えられる熱と、身体の内側からわきあがる熱が意識を朦朧とさせる。呼吸さえままならない。
 一つにまとめられていた雨池の手から、徐々に力が抜けた。黒岩はゆっくりと手を離して、熱の凝る肌に指先を滑らせる。
 力無く投げ出された雨池の手は、それでも時折弱々しい抵抗を見せた。苦しい、と言うように、黒岩の服を掴んで引き離そうとする。
 お互い、呼吸はすっかり上がっている。微かな抵抗を見せていた手は、いつの間にか、まるですがりつくように黒岩の背中に回されていた。
 舌を引っ込めようとすると、無意識に追ってくるのに少し笑って、黒岩は長い長いキスを終わらせた。ほぼ酸欠状態の雨池は、喘ぐように息を吸い、吐く。
 雨池の薄く開いた目のふちに涙が滲んでいるのに、柔らかく唇で触れて、なだめるようにキスを降らせる。
 頬、喉、胸…と落ちていく口づけに、雨池は黒岩の背中に回した指先にわずかに力を込めた。
 唇だけが、いやだ、と最後の抵抗をみせる。
 ついさっきひどく冷たい目をしたくせに、その愛撫は不思議なほど優しい。
 膨れた胸の飾りを指先がやわやわと摘み、震える脇腹に、神聖なものに触れるような優しいキスを繰り返す。
「っ…」
 雨池は唇を噛んできつく目を閉じ、何度も何度も快感の波を耐える。
 黒岩の手が、ベルトを緩めて、ボタンを外す。
「や…、いやだ、……やめ」
 わずかに反応しかかっていた性器にまで、じれったいような口づけをして、黒岩は静かに笑った。
「ふるえてる」
「ばか、喋るな…っ」
 響く声が全身に染みる。ざわざわと、細かい波が立つように、自分ではどうしようもない感覚が広がる。
 あらがえない、とわかる。
 欲望の中心を生温い口腔に包まれて、雨池はあげかけた甘い声を手で覆って堪えた。
 黒岩の愛撫は一瞬のためらいも見せない。舐め上げ、吸い、甘噛む。
 震える内腿に痛いほどのキスをされて、唇をかみ締めた。
「雨池さん…」
 苦しそうな少し掠れた声で雨池を呼び、黒岩は体を起こした。ボタンを外すのももどかしそうに、上衣を脱ぐ。
 起き上がったせいでシーツの上に落ちた雨池の手を掴んで、自分の肩に引き寄せる。体温低そう、と雨池が思っていた男は、こんな時にも少しだけひんやりとしている。
 自分を見下ろす視線に、雨池は身体の内側から震えるような錯覚をおぼえた。その目は、いつも見ていた優しい穏やかな色をすっかり失って、刺すように冷たく、同時に焼け付くように熱い。
 は、と吐いた息が閉め切られた部屋に響く。
「…もう、抵抗しないの」
 笑っている声で黒岩が囁いた。雨池は荒れた呼吸の合間に、余裕を浮かべて笑い返してやる。
「ここまで、きてか?」
 開き直れば、黒岩が困ったように微笑む。深い黒の目に、後悔しているような色を見付けて、雨池は続ける。
「お前こそ、やめるなら、…今の内だ」
 まさか、と笑って唇だけで答え、黒岩は雨池の薄い胸に顔を寄せた。小さな尖りを舌先と歯でいじりながら、先走りに滑る熱を扱く。
 喉の奥で甘いうめきを上げた雨池は、黒岩の乱れた髪を逆撫でて更に乱すように指でまさぐる。
 まるで、心が一つになるような、錯覚。



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