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じれったいのよ。


 仕事は大抵定時の六時で終了する。
 一年前、コールセンターの開設に伴って異動になった雨池だが、事務の能を買われてそのまま事務課に配属なった。
 もともとの仕事であるコールセンターの仕事を手伝ったり、人材管理を手伝ったりと決して暇ではないが、東京から北海道というのは体のいい左遷かとも思う。
 高層ビルがひしめき合うわけでもなく、人通りもまったく殺人的ではない。雨池の中では、札幌は「都会」というよりはのどかな「街」だ。
 まだほのかに青空を残す夕焼け空を見上げる。会社を出てすぐの小さい公園で十分程ぼんやりするのは、雨池の習慣だった。
 公園の角では、新緑の木々が時折吹く風にさわさわと揺れ、白い春の花がぽつぽつと咲き残っている。
 こんな夕方にはいつも泣きたいような気分になった。
 かといって、優しくしてくれる恋人を作る機会には、この一年、ただの一度も出会っていない。
「くそ。むなしい…」
 ぽつりと口に出してみると、いよいよ情けなくなった。
 あと二年で三十になるというのに、未だに二十四、五に見られることが多い。いわゆる童顔で、女性には弟扱いされてしまう。
 黒岩くらい…とまではいかなくても、せめて百七十五センチの身長が欲しい、と雨池は具体的かつ真剣に思う。人に聞かれると百七十センチちょうど、と答えているが、実際には百六十九センチしかない。ヒールのある靴を履く女性に横に並ばれると、身長差などほとんどない。
 盛大に溜息を吐いた時だった。
「……雨池さん?」
 どうしたんです、と続けた声には、嫌という程聞き覚えがあった。
 今一番会いたくない相手。
「…なにしてんだ、お前」
 ゆっくり、睨むように見上げる。
 夕闇に白っぽく浮き上がるベージュのコート。
 黒岩だった。
「帰る途中です。雨池さんこそ…、地下鉄でしたよね」
 公園は、地下鉄の入り口とは反対方向に位置している。郷愁に浸っていた、などとは口が裂けても言えないので、雨池は適当に誤魔化す事にした。
「…ちょっと、北海道の自然を感じてた」
「こんな小さな公園で感じないで下さいよ」
 黒岩は、ごく自然に雨池の隣に腰を下ろす。ふわりと空気が揺れて、微かに香水の香り。
「今度ドライブに行きませんか」
「は?」
 優しい声に被さるように、非難じみた声。眉間にきつくしわを寄せて、聞き返す。
「ドライブって言ったか? 今」
「言いました」
「俺と、お前で?」
「はい」
 変わらない黒岩の微笑みに、雨池は刺さるような視線を向ける。
「馬鹿じゃねえの」
「ひどいなあ」
 傷ついたような表情を作りながらも声は優しいままで、雨池はますます顔をしかめた。
「それこそ、北海道の自然、を見に。十勝の方とかどうです?」
「お断りだ」
 何が悲しくて野郎と二人っきりで、とぶちぶち言いながら、座っていたベンチから立ち上がる。
 続いてゆっくり立ち上がった黒岩は、去って行こうとする後姿に
「雨池さん」
 と、静かに、だがはっきりとした、その場に縫い止めるような声で呼び止めた。雨池はまだ睨むように険しい顔をして振り返る。
「再来週、木村さんの誕生会をするんです。もしよろしければ、一緒にどうですか」
 スーツのポケットに手を突っ込んで、雨池は黒岩をじっと見る。何かを計ろうとしているように。
 さわ、と木の葉が鳴る。残光が、まだ空の端に引っかかっている、優しい春の気配がする時間帯。
「ほら、丸ウサギ同盟ということで」
 穏やかな笑みを浮かべる黒岩を、雨池は苦々しいような表情を浮かべて睨み付けた。
 しばらくして、ふてくされた子供にも似た態度で答える。
「多分、予定はない、けど」
「じゃあ、ぜひ」
 満面の笑みを浮かべた黒岩に、雨池は今度こそ背を向けた。

  *

「かんぱーい!」
「木村さん、三十一歳おめでとうございまーす!」
「加藤〜、年は余計よ」
「わー、すんませーん」
 金曜の夜。
 駅前の居酒屋の円卓を囲んで、ビールを飲みながら、雨池は少々毒気を抜かれていた。幹事が黒岩だと聞いていたので、もっと洒落た、けれど気軽な洋食屋でやるのかと思っていたのだ。
「どしたんスか、雨池さん」
 斜向かいに座っている加藤が、毒々しい赤の安カクテルを手に、呆然とする雨池に声をかけた。雨池ははっと視線を上げて、
「いや、……びっくり、して」
 と、つい本音を口にした。
「ええ? なにが?」
 雨池の真正面にいる木村は、既にジョッキを飲み干そうとしている。
「幹事が黒岩だって聞いてたんで」
 雨池の台詞にああ、と全員がうなずいて笑った。
「もっとオっシャレー、な飲み会想像してた?」
「はあ、まあ」
「加藤なんかすっぱり聞いたよな。『黒岩さん、なんでそんなハイソな顔して安居酒屋で飲み会なんスか?』つって」
「顔は関係ないだろって」
「だって、ツッコみますって、そこは!」
 ねえ、雨池さん、と振られて、
「いや、顔は関係ねえだろ」
 素で返すと加藤は
「そんなぁ〜」
 と、大袈裟にテーブルに突っ伏した。木村は加藤の隣で笑いながら、二杯目のジョッキを傾けている。



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