じれったいのよ。
苛々するんだ、いつも。
いつも。
「遅い」
俺が腕組みして睨み付けると、黒岩は温和な顔にすまなさそうな笑みを浮かべて、
「うん、ごめん」
と謝る。言い訳も、遅れた説明もない。
「ごめん。寒かったろ」
言いながら、春コートのポケットから小さいカイロを取り出す。待たせた自覚はあるらしい。
今年の春はいやに遅い。四月も過ぎたのに隣りの家の桜は花開く様子も無い。風は冷たく、天気もぱっとしないまま、五月を迎えた。
「行こうか」
ミニカイロで冷えた指先を温めていた俺の鞄をごく自然に持つ。今時、女にだってそんなことする男いないのに。
「鞄くらい自分で持つ」
「いいから」
自分でこうと決めたら強引。一歩も引きやしない。
少しだけ伸ばした黒い前髪が、冷たい風に形の良い額でさらさら揺れている。銀縁の細いフレームを、指先でちょいと押し上げる。
声は聞きやすいくらいに低くて、やや薄めの唇は色気がある。
多少無口な上、百八十を越える長身な為に近寄り難い雰囲気はするが、優しい目元と冷静さを失わない口調で、男からも女からも好かれている。
「嫌味な奴だよな、お前」
五月になったのに吐く息が白い。花冷えどころじゃない寒さにありえねぇ、と思いながら言った俺の声に黒岩は困ったように苦笑する。
「雨池?」
「仕事は出来るわ顔は良いわ。英語もペラペラでプレゼンじゃ負け無し。嫌味な奴」
「雨池」
黒岩を置いて焼き鳥屋の暖簾をくぐる。肉の焼ける匂いと、酒の匂いが渦巻く温かい空気が、俺に溜息を吐かせた。
「生ふたつ」
はーい、生2丁ね、と恰幅の良いお女将さんが叫ぶ。
「機嫌悪い?」
「別に」
「怒った顔してる」
飛び石連休の合間の平日、月曜の焼き鳥屋は小さいせいで混んでいる。
でも、酔っ払いの大声が飛び交う中でもすっきりと聞こえてくる声。
「今日は、営業と打ち合わせで」
蕗の煮物をつつきながら俺は適当な相槌を返す。
「それが長引いて。遅れてごめん」
俯いていた顔を上げると、目が合う。優しいけれど、底の知れない瞳。
「雨池」
そっとひそめた声に耳を澄ます。
「好きだよ」
伸ばした指先で、そっと俺の手の甲を撫でて、まるで睦言を。
「………営業の高崎みたいな事言うなよ」
長い指をぱし、と振り払って、ビールを一気にあおる。
「恥ずかしい奴」
顔が赤いのが分かる。
黒岩はおとなしく手を引っ込めて、小さく笑った。
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