TABU:1
孕めばいいと言って果てた。
あの子の、あの人に似た顔が浮かんだ。
月並みに、出会いは街角。
小さな女の子が泣いていた。
誰も彼もが無関心に通り過ぎる。
見逃せなかったのは、妹の娘と───可愛い姪と同じような年頃に見えたからだった。
「どうしたの」
しゃがんで、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をのぞきこむ。
しゃくり上げながら、彼女は気丈に
「パパ、いないの」
と言った。
「お名前は?」
街金のポケットティッシュを受け取っておいて良かった。
されるがままに鼻水と涙を拭き取られた彼女は、
「あきやま ゆい」
と答えて、住所が書かれた名札のようなものを黄色のひよこのポシェットから取り出した。頭の良いしっかりした子だ。
「ゆいちゃん、これ借りていいかな?」
姪と遊んでおいて良かった。そうでなければ小さな子供───特に女の子の扱いなんてわからない。
「うん、いいよ」
携帯電話を取り出して、書かれていた番号にかける。ほとんど鳴った瞬間に、相手が出た。
もしもし、と焦りが浮かんだ声。
「あきやまさんですか?」
そうです。娘の安否を心底心配している父親の声。
電話の向こうからも雑踏のざわめきが聞こえる。
「あの、私、夏目と言います」
今どちらですか。
彼が答えたのは、スクランブル交差点をはさんだ斜向かいのブロックだった。
「ちょうどその、…ああ、信号が変わったからそちらに行きますね」
ゆいちゃんにパパだよ、と電話を渡してやり、抱き上げて信号を渡る。
「パパいるかな」
きょろ、と見回して、
「パパ!」
彼女が叫ぶように呼んだ相手は、私より一回り年上であろう男性だった。
「ゆい…!」
しかし、年齢は微塵も感じさせない。
優しく低い声。
「パパ、もう、だめでしょ!メッ!」
抱き上げられた彼女は、迷子になったのはパパの方だと主張している。
「ごめんな」
彼は彼女に謝ると、私に、驚くほど深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
連続幼女殺人やら、誘拐やら。物騒な世の中になった。
小さな彼女がこの大きな街の中で親とはぐれて無事に戻って来た。この確率は思うより低いはずだ。
「いいえ。…私にも、ゆいちゃんと同じ位の姪がいますので」
彼が顔を上げた。
深い鳶色の瞳。
意思の強そうな口元。
「そうなんですか」
少し微笑んだ、目の色がひどく優しい。
「パパ、ケーキはぁ?」
彼女が言った。
ああ、ケーキな。と答えた彼が、私に言った。
「もしよろしかったら、一緒にお茶でもいかがですか。お礼に」
ああ、
あの時は
考えもしなかった。
思いもしなかった。
こんな日が来るなんて。
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