LOVESONG
07
 5月も後半に入り、中間テストが二週間後に迫っていた。テスト期間ということもあって部活動も今日より休止となる。春は肩の荷が下りたかのように開放的な気持ちになったが、初めてのテストを前に気を抜ける訳にはいかない。祐と春は放課後一緒に図書室で勉強をすることにした。彼らと同じ考えを巡らせた生徒は他にもいたようで、いつもは静かな図書室もざわめきが聞えるほど席は生徒たちで埋まっていた。春と祐は並んで座り、数学の教科書とプリントを机に広げた。
「春、大丈夫そうか?まず最初に全部問題やってそれから間違ってるところを復習するか」
「うん。わかった」
春が数学が苦手なことを祐は知っている。いつもぼんやりしているせいあってか、よく教師に目をつけられ答えを求められるが、春はいつも決まって口をもごもごと動かし「わかりません」と答えるだけだった。そんな春に自分の解る範囲で数学を教えてあげようと、勉強が得意な祐は好意を寄せた。祐のシャープペンはすらすらと動くが、春は両手で頭をかかえ悩ましく呻るばかりだった。そんな春が気に掛かり、祐はペンを置いて春のプリントを覗き込んだ。
「なんだよ、もうわかんないのか?…って1問も解けてないじゃんか!」
春は顔を赤くして恥ずかしそうに肩を縮めた。
「だって。難しいじゃん。これ…」
「難しい?こんな簡単な問題小学生でも解けんだろー!」
祐の大声に図書委員はすかさず鋭い目を向けた。祐は肩をすくめ、小声で言葉を続ける。
「ったく、アホウだなお前って。どこが解らないんだ?教えてやるよ」
アホという言葉に春は少しむっとしたが、優しい祐の口調が神の救いのように思えた。春はしどろもどろに祐に解らない点を説明すると、基礎的な部分から段階的に説明をしてくれた。一度聞き逃すとどんどんとついていけない教師の授業とは違い、ゆっくりと進む祐の教え方はとても親切だった。祐から教わった部分の問題を5問解いてみると不思議なほどすらすら答えが出て、一気に解答欄を鉛筆の芯の色で埋めることができた。
「やった!解けた」
春が弾んだ声を出すと、祐は嬉しそうに答案に目を通した。
「すごいじゃないか。全部正解だよ」
その言葉に春は晴れ晴れとした表情を見せる。ひたすら祐にお礼の言葉を投げかける。
「すごいや!祐ってやっぱ勉強得意なんだね」
ふと春はある人物の面影を感じた。それは祐が春に公式を教えてくれているときから薄らと感じていたことが、今この瞬間その曖昧な記憶ははっきりと輪郭を重ねた。
「どうしたんだ。急にぼうっとして」
「あ、いや。なんだか懐かしいこと思い出してた。昔、祐みたいに数学が得意で丁寧に教えてくれる子が居たなあって」
「俺はそんなに数学っ子じゃないけどな。で、どんな子だったんだ?」
祐は少し興味ありげに身を乗り出した。
「すごく勉強が出来て大人っぽい女の子だったんだけど。アメリカに引っ越しちゃって、初めの頃は手紙も何回か交換してたけどもうそれっきりだよ」
「へえ。で、その子が春の初恋の子ってことか」
春は顔を真っ赤にして首をぶんぶんと横に振る。
「そ、そんなんじゃないよ…。多分…」
春の声はだんだんと小さくなる。そして記憶をめぐらせる。春の脳内は、4年前の南と過ごした日々の記憶まで遡っていた。優しい声、綺麗な歌声、笑ったときにできる頬の笑窪。アメリカへの旅立つことを告げられ涙を流した日。どれも鮮明で、胸がきゅんと締め付けられるように懐かしかった。南のことは好きだったが、それが恋愛対象であったかと聞かれると首をはっきりと縦に振ることはできない。幼い心で南に抱いていた感情が恋心だと自覚をできなかっただけかもしれない。恋とは違い、友人として南のことが好きだっただけなのかもしれない。当時の記憶はすっかり思い出すことのできない過去のものとなっていた。ふと慶介の悲しい表情、自分との友情を否定する言葉が脳裏を過ぎり、生々しい感覚に春は思わずぎゅっと目を瞑った。
「耳まで真っ赤にしてんじゃねえぞ」
その様子を見た祐はわざとらしく春の肩を叩いた。
「そんなんじゃないって」
「わかったわかった。にしても、元気だといいな。その子」
「…うん」
春ちゃん、大きくなったら慶介くんと有名な歌手になって。
俺と慶介は最強のコンビだかんな。なれない筈がねえよ
南と慶介の声が、春の脳内で響いていた。春はぶるぶると首を振り、意識をプリントへと集中させた。
 日没が近く、図書室に入り込む日差しは赤みを帯びてきた。生徒たちも大半は帰宅し、図書室はお互い呼吸の音が聞えるほど静まり返っていた。春も脳をフル回転させたせいか疲れがたまり、瞼を細めこくこくと首を落としていた。
「おし!もう終わりにしようか」
祐は体を伸ばし声を響かせる。春も一息つき教科書を閉じた。
「今日はありがとう。祐すっごく教えるの上手いからはかどっちゃった」
春の素直な言葉に祐は照れくさそうに頭部を爪で掻いた。こんなに喜んでもらえるなら、これから2週間毎日図書室で勉強を教えてやってもいいなと思った。それはそれで春が嫌がるか、と祐はひとりで苦笑いを浮かべた。
「そういえばバスケ部はどうなんだ?相変わらず準備運動とボール拾いばっかり?」
「うん。中々みんなみたいに試合に参加はできないんだよね。やっぱり俺、運動苦手なんだなあって思ったよ」
口元は笑っていても、下がった眉がどこか彼の表情を悲しげに見せた。春がバスケ部を心から楽しんでいないということは一目瞭然だった。祐はため息混じりに口を開く。
「無理して続けるこたあないんだぜ?そりゃあ苦手なものを克服しようっていうのもいいけどさ、眠った才能だったり、ものすごく伸びる能力があるとして、そいつに気づいたり伸ばすことは今の時期だから出来ることだとも思うけどな」
春は頭にハテナマークをつけるように祐の顔を見上げた。
「バスケ部に入って良かったって思う瞬間ってあるか?」
春は祐に言われたとおり、自分がバスケ部に入って良かった瞬間を思い返してみた。すぐに口を開きたい気持ちだが、どうしてもその出来事は春の頭に浮かんでは来ない。良かったと思う気持ちより、泣きたくなった気持ちの方が遙に多かった。けれどそれを口にすると、硬く決意を結んだ自分を否定することになる。そうして春は曖昧に言葉を続ける。
「そりゃ…少しぐらいはあるよ」
「嘘だ。じゃあもっと前みて言えよ。このままバスケ部で同じ思いを続けてくのか、好きなことをしてその能力を磨いてくのか、どっちがいいんだ?」
「それは・・・」
言葉が詰まる。バスケ部に入る前は祐の言葉に心が揺らいだ。今も同じような境遇にいるが、はっきりしているのは後者を自分が望んでいるこをわかるということだ。慶介と一緒に居れるなら。その選択肢が正しかったのかと、入部後春は何度も疑問に思った。眉間に力を入れる春に、祐はぽんと肩を叩き穏やかな口調で言った。
「まあいいさ。俺は春の意見をどうこうしようって気はねえよ。けど選択肢は一つじゃないんだからな。辛くなったらいつでも美術部こいよ。歓迎するから」
優しい祐の口調に、春は純粋に心強さと嬉しさを感じた。
「ありがとう、祐」
「でも今はそれより、試験勉強だけどな。部活より遊ぶことよりとにかく勉強勉強!だからな」
「うっ。いきなり嫌なこと言うなよな!」
ぽかぽかと春は祐の頭を叩いた。祐は仕返しをするように春の首を腕でくみ、ゆさゆさと揺すった。春が美術部に来れば毎日こうやって楽しいのにな。祐は春と肩を並べて絵を描く楽しい毎日を脳内にイメージし、彼が美術部に入部することをまた願った。

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あきゅろす。
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