LOVESONG
06
 9年間、週3日必ず乗っていた電車も、着ている衣服が学生服というだけでまるで新しい環境にいるかのように思える。この9年間に何度か自分たちをみたことのある人物がいたら、今の自分をみせつけたいと春は誇らしげに座っていた。そして今まで出来なかった新しい友人の話を慶介にできるときがきたのだ。待ち望んでいたこの時間を春は満喫するかのように口を動かし続けた。
「それでさ、祐君がおかしくってさー」
「その話さっきも聞いたっつーの」
「あれ?そうだったっけ」
 初めは春の話を興味深く聞いていたが、時間が経つにつれて圭介の返答はふてくされたものへ変わって行った。いつも春の傍に居て手を引っ張ってきて、春の性格を自分のことのように知っている慶介は、彼の性格上自分の居ない世界をどう過ごすのかと不安だった。こうして友人の話を具体的に聞くことができて嬉しかったが、それも度が過ぎるとどうもいい気はしない。こんなにも嬉しそうに同性の友人の話する春を初めて目の当たりにする。これ以上春の話を聞いていると不機嫌な態度が表に出てしまうと、慶介は春に話そうとしていた話題を思い出したかのように口にした。
「そういやあ、お前部活何にしたか決めたか?」
「あ、そうだったね。まだ決めてないや」
「はやくしないと期限きちゃうぜ」
「うん。合唱部とかあるといいんだけど、ないんだもんね。美術部も良いなって思ったけど…でも運動部なんかいいかなあと思ってるんだ。俺運動苦手だし、これを気にがんばってみようかなと思って」
「お前が運動部!?」
慶介はオーバーリアクションに驚いた仕草をしてみせた。その仕草と釣り合うほどの慶介は衝撃を感じていた。必ず2競技参加しなくてはいけなかった運動会では、毎年かならず体力の使わない玉入れや綱引きなどを嫌々選んでいた。リレーはいつもビリで泣きべそをかいていた。そんな春が運動部を自ら選ぶとは、到底考えもよぎらなかったことだ。
「うん。悪い?でも運動部って何がいいかとかわからなくて。慶介は運動部でしょ?一緒の部活に入りたいんだ」
慶介は一瞬曇り掛った表情をした。
「俺はバスケ部に入るつもりだけど。部活ってのはお遊びじゃねえんだぞ」
慶介が飽きれていることはすぐに分かった。春の鼓動が少づつ速くなる。
「知ってるよ。でも、運動部がいいんだ。俺、バスケ部に入るから」
「ふうん。本気か?本気で運動部でいいの?」
「うん」
こくりと強い意志を持った瞳で春はうなずいた。これ以上言っても無駄だと思ったのか、出掛けた言葉をしまうように慶介はしばらくの沈黙を置いた。そっか、じゃあがんばれよ、と一言いったが、納得のいかないような、どこかはっきりしない声色だった。
 体育の時間、二人組みとペアを作り準備運動をしていた。初期の授業ということもあってか、体力テストや体操といった基礎的な授業が続いている。今回も1時間みっちり基礎の体操をあらゆる種類で行う予定だ。祐は春の体に自身の体重をかけながら声をかけた。
「春は部活何にするんだ?」
春の背中に体重をかけすぎたのか、質問の答えの変わりに呻くような声が返ってきた。
「いてっ!いててっ!痛いよ祐っ」
「あ、悪い悪い」
「もー。部活?バスケ部にするよ」
祐の力は一気に春の体にのしかかった。今度はうめき声ではなく叫び声が響いた。
「ええ?お前、こんなに体かたくて体力テストも散々な出来だったのに?」
祐は春の体から離れ、目を丸くして驚いていた。慶介と同じような反応は、自分は運動ができないと貶されているような気がして春はむっとする。
「なに、その慶介と同じような反応。決めたったら決めたの。俺変わるんだから」
「ふうん」
祐は何かを考えているようだった。
「なんだ。残念だな、美術部に誘おうとしたのに」
 わざと皮肉っぽく口にした。春はしゅんとして眉を下げる。
「祐は美術部にしたんだ」
「おー。俺絵描くのも昔から好きだから」
「へえ。本もいっぱい読んでて絵も描けるってほんと文系なんだね」
「まあなー。残念だけどバスケ部がいやになったらすぐ美術部こいよ。待ってる」
一変し、祐は晴れ晴れと祐に頼もしい笑みを向けた。その好意に春は機嫌をよくする。もうひとつの場所を用意してくれたことが、春の荷を降ろしてくれた。
「うん!ありがとう」
「がんばれよ」
 春は祐の言葉に感謝をしたあと、少しの後悔が胸に過ぎっていた。運動が苦手だということは、祐よりも慶介よりも、誰よりも自分が理解している。小学校の頃は図画工作が好きだった。絵も描くことが好きで、春が描いたらくがきや漫画はノート何冊分に及ぶかもわからない。大好きな慶介と一緒に苦手で苦しい練習に励むのか、気の合う大事な友人の祐と好きな絵を描き感性を磨くのか、春の心の中で二つの選択肢が揺らぐ。どちらがいいかは決められなかった。春は自分に鞭を打つ。慶介の前に強い意志を魅せたのだから、何より自分が決めたことなのだからと、祐の言葉をそっと心の奥へしまった。運動が苦手な自分を変えたいという理由は、半分事実で半分言い訳だった。本当は部活など何でもよかった。慶介と一緒の部活に入れるのなら。リンネに入るときも、幼稚園のときも、小学校のクラブ活動もそうだった。慶介も同じように春と一緒がいいと口を揃えた。今回もそのつもりで、慶介の元を離れることなど春には考えも過ぎらなかったことだ。けれど最近生まれた慶介との距離感は、当然ともいえた選択肢に疑問を問いかける。自分が慶介と同じバスケ部に入ると口にしたとき、春の悪い予感は当たり慶介は曇った反応をみせた。その事実が更に春の心を惑わせていた。
 一年生の練習内容は、ボール拾いとマラソン、ドリブルやパスの練習など雑用や基礎練習がひたすら続いていた。春にとって準備運動として毎日必ず走る1キロの距離も、苦痛だという考えしか過ぎらなかった。初めの頃は慶介は春の息に合わせて走っていたが、顧問の怒号により一緒に走ることはもうなくなった。一緒に走ってくれるのは嬉しかったが、むしろ今はこうして走る方がずっと気が楽な気がした。運動神経の良い慶介が自分のせいで怒鳴られるのも、運動ができない奴だと他の部員に勘違いをされるのも気が気じゃなかった。慶介はいつも先頭を走り、対象に春はいつも最後尾を前の生徒から大きな差をつけられながら走っていた。視界が揺らぎ、脇腹が痛くなりながら春はようやく1000メートルを走りきった。
「ったく、おめーはいつまでたっても遅いなあ」
 顧問の目を見計らい、ぜえぜえと息を切らし体を地面に倒す春に慶介は声をかけた。顧問が口にすると鼻にかかる皮肉の言葉も、慶介が口にするとひどく安心する。慶介は自分のタオルを春に手渡した。
「ありがと。も、慶介が速すぎるんだって」
 呼吸が乱れ声を出すのもやっとだった。少しの休憩を置いたとしても、1キロをあんなに速いスピードで走った後にけろりと平常でいられる慶介を春は不思議に思う。
「今日は試合の練習色々やんだからな。気合いれろよ」
「そう…なんだ。やだなあ」
「やだってお前!前のガッツはどうしたんだよ!」
「慶介、熱い…」
 慶介の声が暑苦しく春の耳に響く。これからまた準備運動に、それからドリブルやパスの練習、実際の試合もシュミレーションするという。春は考えただけで眩暈がしてきた。確かに部活に入る前に慶介に強い意志をみせ、自分が運動部に入ると決めた時点できつい練習が待っていることは覚悟していたつもりだ。一方そんなことは慶介と一緒なら楽しいことに変わる筈だと甘い考えも持っていたことも確かだ。実際部活が始まり、毎日息を切らし、時に部員のお荷物になり、鬼顧問に怒鳴られながら好きでもないバスケの練習をしてみてその生半端な考えがいかに甘いものだったのかと春は実感した。ふと慶介を呼ぶ大きな声が聞こえ、二人の肩がびくりと跳ねる。声の方を向くと、顧問ではなく1年の部員たちが数人固まり慶介に手招きをしていた。
「疲れてんだろ、顧問もいないみたいだし、少し休めよ」
ぽん、と春の肩を叩き軽快なステップで部員たちの元へ慶介は駆け寄って行った。その姿を春はぼんやりとした瞳で見る。他の部員たちに春はどうも馴染めないでいた。背が高く眉を弄り、低めの声はいつも楽しげで賑やかだ。春はそういうタイプの人物が苦手で、逆に彼らにとって春のようなタイプは付き合いにくい存在なのだろう。小学校の頃はさほど気にならなかったことでも、近頃苦手意識は一層と強まっていた。慶介もどちらかといえば彼らと同じ部類に入る。慶介と同じタイプの人間が苦手で、逆に慶介のことは嫌悪も感じず憧れを抱く自分が春は不思議だった。春は慶介に触れられた肩をそっと手の平で触った。
「高野くん、大丈夫?」
 隣のクラスで部員の高橋が春に心配そうに声をかける。春はぱっと肩に添えた手を離し笑顔を向けた。
「うん。ちょっと疲れとれたかも」
「今日の練習はハードみたいだよ。頑張ろうね」
「うん」
高橋は春の次に運動ができず、春と一緒によく怒られ時に呆れられたりしていた。なよなよとした雰囲気もあってか、春よりも運動が出来る筈の彼は春以上に先輩や顧問の怒号を浴びていた。高橋が慶介の方に視線を移したので、春もつられて視線を移す。
「そういやあ気になってたんだけど、近藤くんとよく喋ってるけど仲いいの?」
高橋が不思議そうに訪ねると、春は表情を濁らせ短く答えた。
「うん。幼馴染なんだ」
「へえ。何だか意外だな。彼と君って共通点ないから不思議に思ってたんだけど。そういうことだったか」
高橋はこくこくと首を縦に振り納得する。
「共通点なくて悪かったなー。やっぱり、俺たちって傍から見ると不釣合い?」
「うん。すっごく。見た目も中身も」
さらりと毒を吐かれて春は苦笑いをした。運動神経も見た目も良い慶介と不釣合いということは、自分がだめ人間だと忠告されたと同じことだ。確かに自分は漫画のような眼鏡をかけ、運動をしているにも関わらず太り気味だ。自分に優れたものをいくつも持っている慶介と肩を並べると不思議に思われるのかと春は堕落した。以前は慶介が居れば横に必ず春がいて、春の横にも必ず慶介の姿があることは当たり前で、それは自分たちよりも周りが抱いていたイメージでもあった筈なのに。
「おい、何してるんだ、はやく立て!お前ら!」
突然後ろから怒鳴り声を浴び、春と高橋はびくりと肩を跳ねさせた。ふたりは恐る恐る振り返ると、鬼のような面で見下ろす顧問の姿があった。
「す、すみません」
高橋は急いで腰を上げ体を強張らせた。春も慌てて立ち上がり頭を下げる。
「そういうふざけた態度ばかり取ってる奴はグランド10周だからな!」
顧問の眉間の皺はこれでもかというばかりに深く刻まれている。顧問の次の言葉が出ることを避けるように、高橋は他の生徒が練習をするコートの方向へ走り出した。春はおろおろと視線を行き来させ、冷や汗をかきながらも高橋の後を続こうとする。
「おい、お前ら!どこに行こうとしてるんだ!」
再び降りかかった大声に、高橋と春の足がとまる。
「お前ら二人はこっちでボール広いだ!お前らの実力でボールに触れると思ったら大間違いだからな!」
顧問の理不尽な言葉に、二人は肩を下げるでもなく、ぽかりと口を開け呆然とするしかなかった。


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