LOVESONG
03
駅から徒歩5分ほどの場所にあるリンネまでの道を、二人はあまり言葉を交わさずに歩いた。黙って先を行く慶介に、1メートルほどの距離を置き静かに足を進める春。過去に何度か今と同じようにリンネへの道のりを気まずく歩いたことがある。それは決まって些細なことで喧嘩をした時だが、帰り道の彼らは、必ずしゃいだ笑顔でいるのだった。最近は慶介の様子がおかしい。行きはそうではなくとも、帰り道で無口になることが増えていた。春はその理由がわからず心配をしても、翌日はいつも通り笑顔で話し掛けてくるので、気にすることも忘れてしまいがちだった。慶介の不機嫌の根源を、今になって春は掴み始めていた。春は前を歩く慶介の背中に、心の中でごめんねと投げ掛けた。
レッスン中、慶介は春の横顔を眺めていた。いつも隣に居る春を、こうして離れた場所で目にすると不思議な感覚になる。小柄な体に大きな目、長い睫毛。髪を伸ばせば女子に間違えられそうだ。筋の通った鼻に、時折ひどく大人っぽく見える表情は、女子が嫌いな筈がないと慶介は肩を落とした。ふと視界に南の姿が移る。本能的に瞳が斜め下の地面に移動し、なにもない白い地を映した。話し声が少しの時間続いたあと、二人の歌声が慶介の耳に届いた。透き通るほど綺麗な訳でもない。ビブラートが美しい訳でもない。けど二人の声には不思議な魅力があった。二人の歌声は酷似していて、そのハーモニーは芸術のように美しかった。認めたくないが、二人の歌の相性はぴったりだと慶介は感じた。慶介は昼休みに二人が話していた内容を思い出す。何度も自分とした約束を、へらへらと南と簡単に交わしていた。煮えるような嫌悪を慶介は感じた。だが苛立ちの対照は次第に自分へと向けられてゆく。二人のことでこんなにも腹を立てる自分が一番理解できなかったからだ。深呼吸をし、もう一度二人の姿を眺める。曇りがかった自分の心に、何も腹を立てることはないのだと強く言
い聞きかせる。歌声を少し聞いたあと、慶介は強く拳に力を込めた。
「よしっ」
立ち上がり二人に背を向け、気合いを入れて歌の練習に戻っていった。

発表会まであと半月。日付が迫るにつれて練習の時間も増える。春も南も慶介も、徐々に緊張感が増し、集中し練習に取り組むようになる。春は南と一緒に居るときはなるべく慶介の眼を離れるようにし、話すときは気が緩まないように気を配った。だが慶介は二人の仲を気にすることも、以前のように機嫌を悪くなることもなくなった。春に対しての態度が少し素っ気なくなっていたが、それは自分の晴れの舞台の為に真剣に練習に取り組んでいることの現れだった。春と南、春と慶介の関係を気にかけるのは本人たちよりも、噂話や陰口をよくするクラスの女子たちだった。
「高野くんって佐野さんと慶介くんどっちが好きなの?」
廊下掃除の途中、隣の班の女子二人がホウキを手に持ちながらニコニコと春へ問いかけた。普段あまり関わりのない、クラスでも一番に目立つ彼女たちの突然の問い掛けに春はたじろぐ。プラスチックの蛍光色の派手な髪飾りがよく似合っていた。だが何も飾らない自然体の南の方が、春の目には何倍も華やかに見えた。からかうような彼女たちの無神経な質問に、春は一気に機嫌を損ねる。
「そ、そんなの…好きも何も、二人とも大事な友達だよ」
考えることより先に、妥当な答えが春の口から自然と出てくる。彼女たちはそれでも満足しないようで、更に言葉を続けた。
「最近佐野さんとすごく仲いいじゃない。友達なわけないじゃんねーっ」
「ねーっ」
わざとらしく顔を傾け合意をする。春は何もいえず黙っていると、彼女たちは対象にころころと口を動かし続ける。
「慶介くんとも今まですっごくベタベタだったけど、最近あんまり一緒にいないよね。もしかしてフラれたゃった?」
「でも寂しくないもん、南ちゃんがいるから」
春の口真似をし、きゃははと腹を抱えて彼女たちは笑った。春の怒りは頂点に達しそうだった。だが何も言い返すことが出来ず、涙を含み下を向くことが精一杯だった。
「やめろよ」
聞きなれた声にはっと春は顔を上げる。見たこともない怒りに満ちた慶介の表情に、彼女たちは一歩足を遠ざける。
「今春にいったこと、もういっぺん俺に言ってみろよ」
ふざけたことばかり口にする、いつもの慶介はそこにはいなかった。冷静で蠢くような低い口調に、今度は彼女たちが反論ができなくなる。
「な、なによ。本気になっちゃって。佐野さんに高野くんとられたのがそんなに悔しかった?」
ひきつったように口の端を上げ、片方の女子が慶介を挑発する。
「だれがっ…」
挑発乗ったら負けだと、慶介のプライドが出掛けた言葉をつまらせる。だが彼女たちの奥にいる、涙を堪え小さく縮こまる春の姿が視界に映ると、歯がゆさが慶介の歯止めを狂わせてしまう。
「春と俺はそんなに仲良くもないし、南と春のことなんかどうでもいいんだよ!」
慶介の口調はだんだんと大きくなった。すべての言葉を出しきったあと、我に帰ったように反射的に春の顔をみる。春は涙を溜めた悲しい瞳で慶介を一点に見ていた。
「春…」
春は慶介から背を向き、黙ってほうきを動かし始めた。行こう、と彼女は人事のように冷たく慶介と春を振り返り、廊下の角を曲がり姿を消していった。
「ごめん春…俺、むきんなって…」
感情的に口にした言葉を慶介は後悔した。何も言わない春の背中が小さく震えていることを、慶介は見逃さなかった。


発表会まであと2週間。休み明けの月曜日、南の様子がどうもおかしかった。一見いつもの南と何らか変わりはなかったが、積極的にクラスメイトと接する様子は、彼女をよく知る人物にとって不自然なものだった。
「なんかあいつ、変じゃねえ?」
「うん。僕もなんとなく思った」
「何となくかよ」
昼休み、春と慶介は教室でバトル鉛筆で遊びながら、そんな南の様子を端で観察する。いつもなら席で一人で読者をしているか、誰かに勉強を教えているかのどちらかだが、今日は自席を離れ女子たちの輪に入り笑顔を見せていた。ふと南が慶介と春の方へ視線を向ける。春と目が合うと、小走りで彼の元へ駆け寄ってきた。
「春ちゃん、今日学校終わってから、第2公園で遊ばない?」
「うん!遊ぼうっ」
春は笑顔の傍らちらりと慶介の表情を確認するが、慶介は興味もなさそうに窓の外を眺めていた。
「今日も歌の練習?」
春が聞くと、南は少し深刻そうな顔をしてそっと口を開いた。
「ううん。今日は春ちゃんとゆっくり話したくって。大事な話があるんだ」
「大事な話?」
頭にはてなマークを浮かせるように、春は不思議そうに首をかしげた。するとそれを側で聞いていた男子たちが声をあげた。
「なんだー?告白かー!?」
「ヒューヒューっ」
慶介はいつもは誰よりも率先し人をからかい喜ぶが、春に関わることは誰よりも先に庇う立場に回るのだった。今回もいつものように口を開こうとすると、ちがうわよ、という南の高い声に遮られた。べー、と舌を出し、あどけなく反論をする小学生らしい南の姿が、春と慶介にはとても新鮮なものに見えた。

放課後、南と春は一緒に公園までの道のりを歩いた。"大事な話"に期待と不安と興味を感じ、春は心はどうも落ち着かなかった。春の小さな脳ではそれがどういうものか、想像も出来なかった。南が昨日起こった楽しい話をしても、春の耳には右から左へするすると抜けて通ってしまうのだった。
公園に到着するとランドセルを置き、ブランコでしばらく遊んだ。疲れはじめたころベンチへ移動し、空を眺めてゆっくりとした時間を過ごした。
「春ちゃんって、慶介くんとすごく仲がいいのね」
曇の流れを追いながら南は言った。春は笑顔で返答をする。
「うん!慶介とは赤ちゃんの頃からずっと一緒なんだ」
それから春は慶介の話を無邪気に笑いながら続けた。慶介の話をする春はいつも幸せそうだった。南は笑顔の傍ら、そんな二人の関係を羨ましいと感じた。話の途中で、春の脳に友達の関係を否定する慶介の言葉が巡った。重い石が心臓が落ちるように、キリキリと胸が痛む。あの後慶介と仲直りをしたが、ナイフのような言葉は春を時折苦しめるのだった。
「でも、最近は喧嘩をよくするんだ。慶介、僕のこと嫌いなのかも」
「そんなことないよ。だって慶介くん、春ちゃんにべったりじゃない。いつも春ちゃんを守ってくれて。それに喧嘩をするって、それだけ仲がいいってことなんだよ」
「そう…なの?」
「うん。いいなあ。ほんとに二人って、一心同体って感じよね」
「いっしん…?」
「仲がとってもいいってこと。私はそういうお友達がいないからすごく羨ましいな」
南は父親の仕事の関係上、転校が多かった。この学校へ転校してきたのも約一年前のことだ。各所を転々とし、新しい地で友達が出来てもすぐに別れは訪れてしまう。友達が欲しいという願望の反面、友達の存在は意味がないという冷たい考えも心の隅で巡った。別れの悲しさを皮肉なほど知っている彼女故の冷静な思考だった。
「南ちゃんはすごいよ。勉強もすごくって、優しくって、お姉さんみたいで…みんな南ちゃんのこと大好きだよ…羨ましいのは僕だよ」
南は困ったような笑顔をみせた。
「春ちゃん、さっき言った大事な話しなんだけどね」
春の肩がびくりと跳ねる。鼓動が少しずつ速くなる。南は少しためらったあと、大きく息を吸い言葉を続けた。
「来週、引越しするの」
南の声に、春の時間が一瞬止まった。理解する前に、心臓がバクバクと音を立てて春の体全身を支配する。
「春ちゃんにだけ一番に教えるんだよ。ごめんね、いきなりで…。だから、歌の発表会も、もう出れないの」
春は南が何を言っているのか、途端にわからなくなる。頭が混乱し、何から先に聞けばいいのか、言葉がうまく出てこない。
「アメリカだって。日本だったら、遠くでも通って歌の発表会だけでもしたかったのに。あんなに一生懸命したんだもん」
南の声がふるえる。先に涙を流したのは、南ではなく春だった。日本だったら、その言葉が曖昧ながら春に現実を理解させた。
「いや、いやだよ、南ちゃ…どこにも行かないで。発表会もしなくていいから、どこにも…」
「ごめんね。春ちゃん…。私も行きたくないんだけど、お父さんの仕事の都合で突然決まったの」
春は何も聞きたくなかった。過去に何度かクラスメイトのお別れ会を経験した。その生徒と親しい子は決まって泣いていた。お別れ会で別れた子たちが戻ってこないことも、それが悲しいことだということも、鈍感な春でも理解していた。涙は次から次へと流れ、嗚咽は段々と激しさを増していった。南は初めは春を宥めていたが、ついに涙を堪えることができず、一緒に声を上げて泣いた。

春は南と別れたあと、慶介の家へ駆け足で向かった。チャイムを何度も何度も押す。出てきたのは優しい慶介の母親ではなく、慶介本人だった。
「どうしたんだよ…!その顔っ」
腫れ上がった瞼に充血した真っ赤な目。慶介は目を丸くさせ春の肩を掴んだ。
「南と何かあったのか?」
返事の代わりに、春は再び涙を流した。呼吸が過剰に乱れはじめる。慶介は春の肩を抱き寄せ、落ち着かせるように手のひらで背中を優しく撫でた。
「み、みなみちゃ…アメリカに…いくって…」
嗚咽に交えて声が途切れる。慶介の動きが一瞬ぴたりと止まる。途切れ途切れの単語は、慶介にすぐにその意味を伝えた。
「そうなんだ…。だから今日、南のやつ…。とりあえず、中入って落ち着けよ。な?」
優しい慶介の口調に、春は肩を震わせながらも頷いた。慶介の部屋で、春は言葉を発することもなくただ泣いた。普段から泣き虫で甘ったれだが、これほどまでぐしゃぐしゃになる彼を慶介は今まで見たことがなかった。春の南への気持ちの大きさが現れている。春が悲しむと慶介も苦しかった。慶介は春の上下する体を抱き寄せながら、春の泣き声をただ無言で聞いていた。



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