[携帯モード] [URL送信]

企画
特別(派出須)
痺れそうになる両手に力を込めて、そろそろと廊下を歩いていた。
月に一度くらいの割合で、生徒一人一人の理解度と弱点を把握し苦手な部分を克服できるようアドバイスする為に生徒達が授業で使ってるノートをチェックしている。
そのノートを両手に持っているのだ。
職員室まで遠いなあ…。
ノート一冊なら軽いものだが、それがクラス全員分ともなると結構な重さになる。
しかも上のほうのノートが滑って落ちたら大変なことになるから、慎重に足を運んでいるのだ。
いつもならこんなとき、誰かしら生徒が近寄ってきて雑談がてら運ぶのを手伝ってくれるのに、今日は誰も来てくれない…。
しかも私の行こうとする方向に居る生徒はみんなサッと道を開け、一定の距離を置こうとする。
まるでハデス先生を見るかのような反応だ。

「苗字先生」

穏やかな声に振り返ると、声と同じく柔らかな表情の逸人が居た。
なるほど、生徒達は私を見て避けたんじゃなくて、後ろからハデス先生が歩いてきたから逃げてたのか。納得納得。
よく見ればこんなに優しい表情してるのに、外観でかなりの損しちゃってるよね。
逸人が遠巻きに私達を見ている女生徒ににっこり笑いかける。
生徒にその笑顔がどう映ったのか、その子はぴゅっと教室へ入ってしまった。逸人はガックリと肩を落とす。
その様子にクスクス笑いを零す私の手が不意に軽くなった。
逸人が私の持っていたノートを全て持ってくれたのだ。

「わ、すいませんありがとうございます」
「いえ…当然ですよ……」

足取りが危なっかしくて、と小声で楽しげに余計なことを付け加える逸人の腕を小突いてやりたかったが、ここは学校なのでぐっと堪える。
でも、嬉しさに顔がニヤついてしまう。小さな特別が嬉しい。
談笑しつつ廊下の曲がり角に差し掛かった時、丁度同じように両手いっぱいの教材を重そうに抱えた才崎先生と逸人がぶつかりそうになった。

「きゃっ!」
「すいません…大丈夫ですか才崎先生…お怪我などは……」
「大丈夫ですっ、このくらいなんともありませんわ」

才崎先生…悲鳴も驚いた顔もなんて可愛いんだ。両手の荷物がすごく重そう。
よし、と私が口を開きかけるより先に逸人が才崎先生へ話しかける。

「よろしければその荷物…、僕がお持ちしましょうか」
「結構です」

逸人の申し出をスパッと断る才崎先生。
きっともう逸人がノートを持ってるから遠慮したのだろう。
逸人が才崎先生に申し訳ないなって顔してる。
誰にでも優しい手を指し伸べる親切なハデス先生らしい。

「才崎先生、半分持たせて下さいな」
「え、苗字先生っ」

返事を待たず、才崎先生の持ってる教材を半分ほど勝手に奪う。
最初からそうするつもりでいたから。
ホッとした顔の逸人と慌ててる才崎先生の顔を見てニッコリ笑うと二人とも笑みを返してくれた。
そこから私と才崎先生、後ろから逸人がついてくるような形で三人雑談などして廊下を歩いた。

てっきり三人とも目的地は職員室なのかと思ったら、戻るのは私だけだった。
才崎先生は職員室ではなく体育準備室へ向かい、逸人は保健室へ戻るらしい。

「ありがとうございました、助かりましたわ」
「いえいえ、とんでもない」

丁寧におじぎをされ豊かな胸元に釘付けになった…うらやましい……。
逸人に素早く“見ちゃダメ”と視線を送ると、“見てない見てない”と小さく首を振り困ったように目を細めて微笑む。
職員室の前で才崎先生へ教材を返し、逸人からノートを受け取った。

「ハデス先生、ありがとうございました」
「では…また後で、苗字先生。才崎先生、行きましょうか」
「っ、ハイ、それでは苗字先生、失礼いたしますわね」

私が半分持ってあげていたぶんの教材を、逸人はごく自然に才崎先生の手から持っていく。
今度はその親切を素直に受け入れ、頬を染めて嬉しそうに逸人にお礼を言う才崎先生。
返してくださいなんて言われず安心して笑う逸人。
その光景を見て、ちょっとだけ心がチクリとなった。
さっき逸人が私のノートを持ってくれたのは、私だからじゃない。困ってる同僚を助けただけのごく当たり前の行動だ。
自分だけが特別、だなんて恥ずかしい。だってここは学校なのだから。
駄目だなあ。こういうことにはもう慣れたはずなのに。
学校では恋人同士である前に教員同士なんだから、こんな風に感じるなんてみっともない。
頭を切り替えろ苗字名前。
さっきより重く感じるノートの重みに顔をしかめつつ職員室へ入ったところで、持ってもらったノートの一番下にノートと違う感触の紙があることに気付く。
一枚のプリントはやはり私ものではなく、校内の設備のチェック用紙だった。
このプリント、逸人が元々持っていたものをうっかりノートと一緒に私に渡しちゃったんだ。
すぐに後を追いかけようとプリントを手に職員室を出ると、近くの角でまだ二人は歩き出さず立ち話をしていた。
声を掛けようとするより先に、耳がその会話の内容に反応してしまって私はその場で立ち尽くす。

「あ…あの、以前、お食事をご一緒したことがありましたでしょ、二度ともなんだかおかしなことになってきちんとお話が出来ずじまいで…」
「そういえばそうでしたね…」

…ふーん。二人で食事したこと、あったんだ。しかも二度も。
才崎先生がしどろもどろに言葉を続けるのに対して、逸人は落ち着いて答えてる。
知らなかったな。この二人が学校以外で会ってたなんて。
ドキンドキンと心臓が鳴る。
逸人のことだから、完全に同僚として会っていたんだろうけど…才崎先生の方はどうなんだろう。
この会話の流れからして、また逸人を誘うつもりみたいで胸の中がモヤモヤしはじめる。
逸人は私という恋人が居ても、誘いを断らないかもしれない。
それは裏切りだとか浮気などではなく、あくまで同僚としても付き合いだから。
逸人らしいといえば逸人らしい。複雑だけど。
逸人の顔が見えないから、今どんな表情をしているのかわからない。
綺麗な同僚から好意を示されて悪い気は起きないだろうな。
こんな時、どうしていいかわからない。もうこれ以上二人のこんな会話なんて聞きたくない。
そろりそろりとその場を離れ、もう二人に気づかれないなというところで一気に駆け出す。
今は放課後だし。生徒達もまばらだし。
なんて教師にあるまじき言い訳をグルグル頭の中で考えながら保健室まで走った。

「失礼します…」

逸人が居ないとわかっていても、一応声を掛けてから保健室へと入る。
くるりと見渡し保健室に誰も居ないことを確認すると、胸の中に渦巻く苦しさを吐き出すように長い溜息をついた。
手に持っていたプリントに少し皺が寄ってしまっていることに気付く。
机の上に乗せ手で伸ばしたら少しだけマシになった。
そこへぽとりと涙が落ちる。

「あれ…」

なんで私、涙なんて。
逸人と才崎先生が親しげに二人で食事したことを話してたから?
逸人が才崎先生に心を移してしまうんじゃないかと不安だから?
私だけが特別だと思い上がって、ごく当たり前の小さな親切に醜く嫉妬してしまう自分の小ささが情けない。
コントロール不能になってしまった涙腺をせき止めようと、ハンカチで目を押さえる。
早く行かないと逸人が戻ってきてしまう。
だけどこんな状態で廊下に出られない。
焦れば焦るほど涙は流れ止まってくれそうになかった。

「…、名前…どうしたの、泣いてるの?」

そしてそんな時に、一番最悪なタイミングで逸人が保健室に戻ってきてしまった。
私はここが職場ということも忘れ、感情のままに逸人に体当たりする。
「名前!?」驚く逸人に構わず薄い胸に顔を埋め、ハンカチの代わりに黒いシャツに涙を吸い取ってもらう。

「この…浮気者……」

頭では違うとわかっていても言わずには居られなかった。
そんなことしてないとハッキリ言って欲しくて。

「浮気なんてするわけがないじゃないか」

逸人は何のことだかわからないといった焦った様子で私の肩に手を置く。
そして落ち着かせるように私の肩を撫でた。
抱きしめようか迷っているようなそのぎこちない手の動きにもどかしくなる。

「恋人に黙って素敵な同僚と二人きりで食事した」
「一体突然何の話?」
「さっき才崎先生としてた話、聞いたんだから」
「ああ…」

驚いた、そのことか。と頭の上で空気が緩む気配がして、私の肩に乗せられていた手がようやく背中に回ってぎゅうと抱きしめられた。
そうされてようやく涙が止まる。大きな安心に包まれ目を閉じた。

「才崎先生と食事したことは確かにあるけど、それは二回とも名前と付き合う前の話だよ」
「………ほんと?」
「うん」

なんだ。そうだったんだ。ホッとして気が抜ける。
浮気者なんて言ってごめんなさいと胸に顔をつけたまま小さな声で謝ると、いいんだよと更に強く抱きしめられた。

「さっき…また、誘われたりした?」
「…誘われはしたけれど、みんなで一緒に行きましょうと返事したよ。同僚とはいえ女性と二人きりで出かけて君に誤解されたくないからね」

もうされてたけど、なんてからかわれ恥ずかしくて顔が上げられなくなった。
逸人はそんな私を抱きしめつつ、高い背を折り曲げるようにして耳元に唇を這わす。
少しかすれた低く優しい声で「好きだよ」と耳に直接囁かれ、さっきまで渦巻いていた色々なことが全部綺麗サッパリ跡形も無く吹き飛んだ。

言葉に出来ない不安も、逸人にはお見通しだったんだろうか。
私がわかりやすいだけなのか。
ぐるぐる苦しい感情に飲み込まれそうになっても、いつでも寸前のところで逸人が颯爽と救い上げてくれる。
欲しい言葉を言ってくれる。あったかな気持ちで満たしてくれる。
白衣に染み付いた消毒液のにおいをこんな間近で吸い込めるのは私だけ。
これだけは本当に私だけ特別のことだ。




-----------------
あやめ様リクエスト、甘い言葉をストレートに言うハデス先生でした!
甘さを一言に凝縮したつもりでございます。
浮気者疑惑を持たれた無実のハデス先生ドントマインド。
あやめ様、素敵なリクエストをどうもありがとうございました!!

[*前へ][次へ#]

4/5ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!