企画 海に行きましょう・後編 (藤) 「……名前、名前ッ、さっさと起きなさい!」 うるさいなー、今日は何も予定ないんだから寝かせてよ。 そんなことをごにょごにょと上手く回らない口で言う私を無視し母親がタオルケットを引っ張ってくる。 そんなストロングな母親に抵抗し、綱引き勝負に突入した。 「朝寝坊できるのも今日で終わりなんだからー」 「なにアホ言ってるの! あんた、下で藤くん待ってるんだから早く支度しなさい! 海に行くんでしょ」 「は? 海に行く約束したのは昨日……」 タオルケットを引っ張る力が緩んだ隙に、がばっと全部持っていかれた。 くっ…負けた…。 「ゴタゴタ言うならお母さんが藤くんと海に行ってくるからね!」 「ちょ、アホなこと言わないでよ」 渋々起き上がり、頭をかく。 麓介が家に来てるって? 宿題写させてもらうつもりじゃないだろうな…。 それとも私に謝ろうって思ってるのかな、ひょっとして。 げー。面倒くさい。 せっかく別れるって決意したのに、麓介の顔見たらその決意が揺らいでしまうじゃないか。 適当に髪を梳き、もそもそと何も可愛くない服に着替える。 着飾る気力だって使いたくない。 「…………おはよー」 二階から降りると、居間のソファには何の緊張感も抱かずリラックスしきった様子で寛ぐ麓介がいた。 私の姿を見て、安心したような嬉しそうな、そんな表情を浮かべる。 そんな表情見たくない。 「帰れって言われたらどうしようかと思ったぜ」 「そんなこと言ったってお母さんが麓介を帰すわけないし」 麓介と目を合わせず向かいのソファに座る。 お母さんが「藤くーん、コーヒーのおかわりは?」なんて超ご機嫌で聞いてくる。 「あ、大丈夫です」なんて麓介がモデル笑いで愛想よくお母さんと接してる。 私のコーヒーは無しかい。ちょっとイライラしてきたぞ。 「で、なに」 「これから海行こうぜ」 「やだ暑いもん」 「毎年行ってるじゃねーか」 「日中は嫌。水着にもなりたくない」 麓介のいつも言う言葉を嫌味ったらしく言って、ふんとそっぽを向く。 何もかももう遅いんだから。 今この場で別れを切り出そうと思ったけど、お母さん居るしやめておこう。 でも、早くしないと本当に別れることができなくなっちゃう。 だって麓介の優しい眼差しがさっきからすごく心臓に痛い。 「メール読んでねェの?」 「読みたくなかったから読んでない」 「そんなこったろーと思った」 ふっと素の笑顔を見せ、おもむろに麓介が立ち上がる。 そして「行くぞ」と私の手を取った。 「どこに」 「だから海だっての」 「もーいいよ、私のことなんて気にせずバイトでも宿題でもなんでもやればいじゃない」 「何言ってんだ、名前が一番に決まってんだろ」 当たり前のことのようにさらっと言ってのける麓介に「ずるい」としか言い返せず、引っ張られるように家を出た。 ▽▽▽▽▽ 財布も持たずに出てきた私に、麓介が海までの電車の切符とミネラルウォーターを買ってくれた。 ゆっくりいくか、と乗った各駅停車の電車はのんびりと私たちを乗せて海へと運んでいく。 電車内はガラガラで、横に長い座席に並んで座る。 少し離れて座ろうかと思ったけど、麓介がその気配に気付いてわざと距離を詰めて座ってきたのだ。 「人、少ないね」 これで女子高生でも乗ってたら、麓介はたちまち囲まれてしまっていたに違いない。 「昨日は悪かったな」 「……もういいよ。麓介は私に構わず好きなことしてなよ」 ああ可愛くない。麓介が謝ってるのにこんな態度しか取れないなんて。 腿の上できゅっと握った私の手に麓介の男らしく骨ばった大きな手が被せられてドキリとした。 指の動きにあわせて力を抜くと、指の間に麓介の指が通される。 「お前さ、昔、留学してみたいとか言ってたよな」 「なに突然」 藪から棒に何を言い出すんだか。 中学の頃、確かにそんなことを言ったような気もするけれど、今の今まで忘れていたよ。 「あれ、本気でやってみてくんねーか?」 「意味がわからん」 「お前が行くとこに俺も行こうかと思って」 麓介がニカッと笑う。 はにかんだその笑顔は中学の頃から変わらない、少し幼い私にだけ見せる藤麓介の顔。 そんな顔で麓介は、ずっと考えていたということを話してくれた。 バイトに精を出していたのは、卒業と同時に家出しようと渡航費用やしばらくの生活費を稼いでいたから。 外国にでも逃げればさすがに追って来れないだろう。 でも私と離れたくない。だから私に留学しろという。 わあ、なんて自分勝手! 「このまま家に居たら婚約する羽目になっちまう」 麓介は繋ぎあう私たちの手をじっと見つめて言った。 まあ、嫌だよね。うん、わかる。 「だから名前、これから猛勉強してくれよ。留学する為にさ。なあ、一生のお願い」 「麓介の一生は何回あるの。っていうかさあ、そんな簡単に行くと思う?」 「行ってくんなきゃ困っちまう」 「…そんなに私と居たいの?」 「この俺が真面目にバイトしてんのは何の為だと思ってんだよ」 私が麓介が相手してくれないとやきもきしている間ずっと、麓介は私と一緒に居るために頑張ってきたんだ。 う、と泣きそうになってしまった。 私って本当にバカ。 「知らなかった。もっと早くに言ってくれてもいいのに」 「ある程度実現が見えてくるまで貯めてねえと、お前信用してくんなさそうだったしさ」 「ちなみにいくら貯まったの」 聞いて驚け、と麓介が私の耳に触れるか触れないかくらいまで顔を寄せ、その貯金額を囁く。 その金額に私は驚きの余り「ええええーっ!」なんて叫んでしまった。 よかった、周りに誰も居なくて。 私の反応に満足したのか、すげーだろ、と目を細めて笑う。 「昨日のバイトでその金額達成した」 「すご、すごい麓介」 「安心したか? 俺、数年は向こうで遊んで暮らせるぜ」 かたんかたんと電車は走り続ける。 日差しが強くて、麓介の髪の毛が綺麗に光って眩しい。 「やっぱ好きだなぁ」 思わず零れ落ちた言葉に麓介は「なんだよ今更」と照れたように微笑む。 そんな麓介の肩に甘えるように頭を乗せた。 その私の頭を、麓介が繋いでない方の手でぐしゃぐしゃと乱暴に撫でてくる。 「勉強、本気で頑張らなきゃ」 「ま、万が一留学できなくても連れてくけどな……おっ、外、見てみろよ名前」 窓の外を見ると目の前に海が広がっていた。 一年ぶりの海は私たちを変わらぬ姿で迎えてくれる。 「来年は違う海に行こうな」 屈託無く笑う麓介に、私もとびきりの笑顔でうんと明るく頷いた。 梦乃様リクエスト「やっぱ好きだなぁとお互いが"好き"っていう気持ちを再確認するような出来事が起こるお話」でした! ごめんなさい、お互いでなくヒロインのみの確認となってしまいました。 だって藤くん名前さんにゾッコンのようで…確認せずとも大好きらしくてですねハハハ。 ルンルンで書いているうちに長くなってしまい、前後編にわかれてしまったのもすみません。 誰か纏める力を私に下さい…。 梦乃さん、素敵なリクエストをどうもありがとうございました! これからもどうぞよろしくお願いいたします。 いがぐり [*前へ] [戻る] |