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企画
あなたはあなた(笹塚)

「ここはどこ」
「温泉宿」

上品な和室に、見知らぬ男と二人きり。

「あなたはどなた様?」
「笹塚衛士。あー、その態度、冗談でも何でもなさそうだな。……ふうん、俺のこと忘れちまってんだ」

だけど私は目の前の男性のことを何一つ知らない。
どうやってここへきたのかさえ、わからない。

「俺のことって、私達初対面じゃ」
「俺達付き合って二年になるんだけど」

ドッドッドっと心臓が緊張で暴れだす。
付き合って二年。二年て相当長い。
この人の言うことが真実なら、付き合いの長い彼女がいきなり自分のこと初対面と言い出して相当びっくりしてるはず。
だというのにこの男性の落ち着いてること。一ミリも動揺してない。

「あやしい……警察に……」
「あ、俺刑事ね」

ぺらりと目の前に突き出された警察手帳とやらを両手で受け取り凝視する。
がしかし、悲しいかな私にはこの手帳が本物か偽者かさえ見分けがつかなかった。

「あーもしもし、あ、弥子ちゃん? 笹塚だけど。そーそー、あのさ、ヤツに代わってくんない?」

私が手帳を見てる間、ささづかさんとやらは私にくるりと背を向けて誰かに電話をかけだした。
私は落ち着きたくて、何か一つでも私がおぼえてるものが無いか周囲を見回す。
見覚えの無い女性物のかばんに旅行バッグ。これ、私のなのかなあ。
ささづかさんが言うには、数分前に旅館に到着し、二人で話してる途中でいきなり私はこの記憶の無い状態になってしまったらしい。
そう、たった数分前のことだって、私は何をやってたかなんて全く思い出せない。
自分の名前、勤務先なんかは、まあぼんやりと私の記憶にかろうじて残ってるけど、
そこに置いてある女性物のバッグが私のものかすら、わからない状態なのだ。

テーブルの上に、飲みかけの缶コーヒーとミネラルウォーターらしきペットボトルがある。
私は缶コーヒーが苦手だから、きっとペットボトルの方が私のものだろう。
少し喉を潤そう。何気なく手を伸ばすと、その手首がおもむろにひんやりした大きな手で掴まれた。
ひゃっと驚いて見上げると、ささづかさんは耳に携帯をあてたまま、どこか強い眼差しで私に小さく首を振る。

え? 飲むなってこと?

私が声を出さずに思った疑問に、ささづかさんはびっくりするほど優しい瞳でにこって笑う。
ひゃあああ、このひと、ちょっと素敵かも!

「あー俺。ちょっと聞きたいことあるんだけど。……あー、なるほどね。身体に害は? ……わかった」

ささづかさんが通話を終えて私を見る。
感情の読めない瞳に、私は口を真一文字に結び言葉を待った。

「名前の記憶、一時間くらいで戻るって」
「え? え? いまの、お医者さんとお話してたんですか?」
「いや違う、元凶と話してた。弥子ちゃん、あー、最初に電話かけた子ね、に飲ませようと助手の男が事務所の机に置いてた原料不明のペットボトルを
 名前が間違えて持ってきちまったらしい」
「………う、その、じゃあ、この記憶がない原因は、私のうっかりってやつですか」
「いや変なモンペットボトルに入れたやつが一番悪いんだけどな」

弥子ちゃんて子と助手さんとは、一体どういう人なんだろうか。
助手さんは、弥子ちゃんに変なものを飲ませようとしてたってこと?
おまわりさん、逮捕しなくていいの!?
あわわ、でもそれを間違えて持ってきてしまって、こうして迷惑をかけてしまった私。謝らなければ!

「すみません、ささ、ささづかさんにご迷惑を」
「別に。命に危険は無いらしいし、記憶もすぐ戻るなら問題ないよ」
「……優しいんですね」
「そう?」

目を細めて私を見るささづかさんに、ほうっと身体中から息を吐くように力を抜いた。

「あのさ」
「はい」
「衛士って呼んでくれる? 笹塚さんとか呼ばれると背筋がこそばゆい」
「えいし……」
「うん」

笹塚衛士さんはペットボトルをポケットから出したハンカチで包む様にして持ち上げる。
そっか、何か外側にも変なものがついてて、衛士さんまで記憶喪失になっちゃったらヤバいもんね。刑事さんっぽい!
そのまま洗面所にいき中身を捨てた衛士さん、ペットボトルとハンカチをゴミ箱へ捨てると念入りに手を洗って戻ってきた。

「さて、と」
「あ、ありがとうございます。処分までしてくださって」
「疲れたろ」
「はい、まあ」
「温泉入ってこれば?」
「ここ温泉宿なんだ」
「最初に言ったろ」
「はは、すいません」
「部屋に露天風呂ついてるけど一緒に入る?」
「ええっ!?」
「……じょーだん」

ふ、と俯き気味に衛士さんが笑う。
私この人とお付き合いしてるんだ。
なんか、なんだか、ちっとも好みの顔じゃないけど私って見る目ある!
と、記憶のある頃の自分を褒めてみる。
ほんとなら、二人で露天風呂に入るために、この部屋にしたんだろうなあ。
もしかして衛士さんも、楽しみにしてきたんじゃないだろうか。
それなのにこんなことになってしまってとても申し訳ない気分。

「あのっ、一時間後にします!」
「え?」
「記憶が戻ったら、衛士さんの彼女として一緒に入りたいなって!」

衛士さんが目を見開き、そしてさっきより格段に明るい顔をして笑う。
大きな手が私のあたまをわしゃわしゃと撫ぜて、そして広い胸に抱きこまれた。
煙草の香りと胸の音に、ひどく安心してる自分がいる。

「こんなにすぐ俺のこと信じていーの?」
「え!? 付き合ってるとかって嘘だったの!?」
「いや嘘じゃねーけど……名前がかわいくて俺我慢できそうにねーっつーか……」
「かわいい、なんて初めて言われた」
「いつもそう思ってるよ」
「でも衛士はいつも言葉がたりな、……あ、あれ?」

その時、私の頭の中にはどんどん二人の楽しかった思い出、涙を流して引き止めた過去、
出会ったばかりの頃の距離感、告白された言葉、色んな過去が時系列ばらばらにどんどん蘇ってきていた。
まるでシャボン玉に閉じ込められていた記憶が、パチンパチンと次々に弾けるように。

「思い出した! 思い出した! やだ私、衛士のことどうして忘れていられたの!?」
「ペットボトルのせいだから仕方ねーよ」
「ネウロのやつ! 絶対お土産買っていってやんない!」

ぐぐぐと怒りのあまり握りこぶしを上下させながら怒る。
だいたい、弥子ちゃんになんてもの飲ませようとしてんのよ!
自分のペットボトルを間違えて持ってきちゃった私も私だけど!

「名前」

怒りの持って行き所がわからず、無意識にむぎゅっと噛み締めいた私の唇に、不意に衛士の唇が重なってきた。
私を落ち着かせるように、慈しむように、ゆっくり唇を割り開き、舌を絡ませてくる。
熱を孕んだ優しい口付け。
衛士は私が記憶を失ってから今まで、一度も取り乱したりはせず冷静でいてくれたけど、でも顔には出さなくてもちゃんと心配してくれてた。

「……衛士はすごいね」
「そう思うなら一緒に露天風呂はいって」
「ふふ。そうだね、折角きたんだもん。一緒にはいろ」



熱いお風呂に顔色一つ変えずにつかる衛士の身体に寄り添えば、
細く見えるけどきちんと筋肉の付いた腕に肩を抱かれる。
ちょっとだけネウロに感謝したいかも。
記憶喪失になる前も知ってたけど、改めて衛士がいかに私を大事にしてくれてるかわかったから。

「そういえば、一時間もかからず記憶が戻ったのって、どうしてだと思う?」
「飲んだのが少量だったからじゃねーの?」

見も蓋もない。現実的な刑事さんの意見。

「それはそうなんだろうけど、ほら、愛の力とか、そういう、……ちょっと、何笑ってるの」
「照れる名前もかわいい」
「やめて! なんか衛士にそんなこと言われると調子狂う!」
「俺は言葉が足りねーみたいだから。これからは言うよ、思ったこと」
「別にいい!」
「顔赤くして色っぽい」
「言わなくていいってば!」

旅行に来てるからか、いつもより衛士のテンションが高いのかと思ったけど、
会話が自然に途切れた時にさらっと「結婚しよう」といわれて、
もしかして衛士はプロポーズしようとしててテンションが高めだったのかなと思ったら心の底から笑えてきて、
首を傾げてじっと私の返事を待つ衛士に、私はお腹を抱えながらOKの返事をしたのだった。




りり様リクエスト

・ゆっくり1泊デートで甘いお話し(できれば夜はいちゃいちゃしてほしい)
もしくは
 ・ヒロインが記憶喪失になり、笹塚さんとの交流のなかで記憶を取り戻していく(最後はやっぱりいちゃいちゃ)

こちらの内容で書かせていただきました〜!!
ものっすごい駆け足でシリアスさの欠片もない記憶喪失ものですが、
笹塚産の揺ぎ無い愛だとか、落ち着いた感じだとか、想像して大変楽しませていただきました!
素敵なリクエスト、本当にありがとうございました♪

2017/10/07 いがぐり

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