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企画
1.聞かせて

おそらく日付を越えてすぐだろう、もう眠りに落ちていた沖田の耳元で、名前に短く囁かれた言葉。

『総悟、―――』

夜風にふっとさらわれてしまいそうな小さな声だったからか、
翌朝、というより昼近くに起床すると、もうその言葉はすっかり太陽の光に溶け、曖昧にしか沖田の記憶に残っていなかった。
その言葉は夢だったのか現実だったのか境目もわからないくらいおぼろげで、
耳に残っている微かな甘い吐息だけはかろうじて現実のものだったと思い出すことができる。

きっと、名前は言ってくれたのだろう。7月8日になってすぐ去年のように、お誕生日おめでとう、と。
夢うつつで言葉を耳に通しはしたが、しっかりと受け取っていなかった。
目覚めた時にでも名前をすぐさま腕の中に閉じ込めて、甘えるようにその言葉をもらえばいいと、
そう考えたことだけは覚えている。

けれど、目覚めたら名前は横にいなかった。
寝ぼけ眼のまま上半身を起こした沖田が頭をかきながら名前がいつも眠っている方へ視線を投げると、
敷いていた布団すらなく、その空間にはぽっかりと畳が見えていた。
気配が完全に残っていないところからして、沖田より一時間は前に目覚めたのだろう。
そして沖田をそのままにしてどこかへ行ってしまったらしい。

今日は沖田の誕生日だ。特にどこかへ行く予定などは立ててはいなかったが、
たまたま今日休みだった沖田にあわせて名前も休みを取っていたというのに。

どうしていないんでィ。沖田は面白くなさげに軽く唇を噛んだ。



「あっ沖田隊長、お誕生日おめでとうございます」

廊下を歩いていくと、隊士たちから次々とあたたかな言葉がかけられた。
それに片手をふって気だるげに礼を言う。屯所はいつもより人が少なかった。
けれどすれ違う隊士や女中はみんな沖田に声を掛けてくれる。そうされる度、沖田の口元は自然と綻んでいた。
名前からももう一度、おめでとうと言われたい。

沖田はふらりと厨房を覗く。
大なべに湯をわかしてる女中や忙しそうに揚げ物をしている女中がいるだけで名前は居ない。

誕生日に浮かれるような性格ではないが、惚れ抜いている恋人に祝ってもらえる特別な日だ。
たった一人の姉を亡くした沖田にとって、広い意味では真選組も自分の所属する組織というよりどこか家族のような身近なものに感じていて、
そして名前は沖田の心の最も近くにいる存在だ。
今は恋人だが、いつかは妻にと願うまでに深い愛情を全て注いでいる相手。
だからこそ、もう一度おめでとうという言葉が欲しいし、一緒にいたい。
そわそわとした気持ちであてもなく屯所内を彷徨っていると、ようやく名前の姿を見つけることができた。

「総悟」

沖田に気付いた名前が、ほんの少し息を切らし、汗を額に滲ませながら廊下の向こうから沖田の方へ小走りで近寄ってくる。
目の前まできた名前は見慣れた真選組女中の着物をきて、髪の毛もしっかり結わえていた。

「名前さん、急な仕事でも入りやした? なんでそんな格好してるんでィ」
「仕事っていうか、急は急だったね、近藤さんがいきなり近所の広場を借りたからそこで流しそうめん大会をやろうって言い出して」
「はァ?」
「今日は総悟のお誕生日だからって。あと例の愛しのあの人を誘いたいから盛大にやりたいみたい」
「近藤さんにも困ったモンだ」
「私もお休みだったけど、総悟のお誕生日のお祝いっていうから、これは手伝わなきゃって思って朝から走り回ってたの」

そう言って、名前は女中の顔ではなく、沖田総悟の恋人の顔でとても嬉しそうに笑う。
正直、先ほどまで沖田は自分の誕生日に放っておかれたと、顔に出したりはしなかったが少々面白くない気持ちだった。
しかし、名前の曇りない晴れ晴れしい笑顔に、自分の誕生日を祝う為に朝から頑張ってくれていたことに、
胸の中のもやもやとした感情が綺麗に晴れ渡っていくように感じる。

「名前、夜中に
「ごめん総悟、私いま立ち話してる暇ないの、後で聞いてもいい?」
「あ、ああ、そりゃ構いやせんが」

昨日の言葉をもう一度聞こうとして遮られてしまった。途端に沖田の表情が切なげに揺らぐ。
名前が夜中、おめでとうと沖田の耳元で囁いた時、本人が眠っていたことは知っていたはずだ。
ならどうしてもう一度きちんと言ってくれないのだろう。
沖田の心は名前が絡むとこんな何でもないことで苦しくなる。

「じゃあ後でね」
「いや、ダメでィ」

厨房へ向かおうとする名前の腕を、沖田が強く掴んで止めた。

「総悟?」

驚いた顔をして、名前が沖田の顔を見上げてくる。
その華奢な腕を引けば呆気なく自分の胸の中に閉じ込めることができた。

「まだしっかり言ってくれてねぇだろィ。俺に、あんたのその綺麗な声で、今日でなけりゃ意味がねェあの言葉を下せェ」

沖田の腕の中、その言葉に微かに顔を上げた名前をぎゅうと抱きしめると、ほんのりと汗の浮かぶ肌のたまらない香りがした。
それは甘くじわりと沖田の本能をくすぐってくる。
抱きしめるだけでは飽き足らず、沖田はべろりと名前の白い首筋を舌で舐め上げた。

「そ、うご、それって、誕生日おめでとうって言葉のこと?」
「………それでィ」

無言の数秒の後、ふいに頬に柔らかな唇が押し当てられた。
黙ったまま少し身体を離す。名前が沖田の腰に両手を回しながら、頬を上気させて心から嬉しそうな笑顔で沖田の顔を見上げた。

「お誕生日おめでとう、総悟」

胸に、喜びが満ちていくのがはっきりとわかった。
昔、この日を、沖田の誕生を喜んでくれた親は、姉は、もう居ない。
けれど孤独ではない。おめでとうと言ってくれる仲間が、そして名前が居る。

「……起きてからずっと、名前のその言葉が聞きたかった」

そう安堵と共に言葉をこぼすと、沖田は目を閉じて一番柔らかさを堪能できる角度で名前に唇を重ね合わせた。




「夜言ったのやっぱり聞いてなかったんだ」
「すいやせん完全に寝ぼけてやした」
「朝も言ったんだけど」
「え、そうだったんですかい。全ッ然聞こえてなかった」

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■朝からたくさんの人に「おめでとう」を言われるけれど彼女からは何もなし!
 え、忘れられてる?いやいやそんなまさか、な『そわそわする沖田さん』

という素敵リクエストで書かせていただきました!
ちょこっと内容ずれてしまってすみませんんん!
言って欲しくてソワソワしている沖田さんを書くのはとっても楽しかったです!リクエストどうもありがとうございました!

2015/07/03 いがぐり


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あきゅろす。
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