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月に咲く (完結)
月に咲く・前編

何を考えているんだろう、と横を歩く笹塚さんを横目で盗み見しながら考える。
笹塚さんは読めない表情のまま、スーツのポケットをごそっと探り、少しその動作を止めた後でポケットから何も持ってない手を出した。
私が煙草を吸わないから気を使ってくれてるのかな。
そういえば弥子ちゃんの事務所でもいつもそんなに吸っていない気がする。

「煙草なら遠慮せず吸って下さいね」
「いや…………。あー、やっぱちょっといい?」
「どうぞどうぞ」

弥子ちゃんの事務所からこうして一緒に歩くのはこれで何回目だろう。
以前、ちょっとした悩み事を相談しに訪れた桂木弥子魔界探偵事務所で、私はとっても可愛く頼もしくそして食欲がすごい弥子ちゃんと、人間離れした雰囲気を持つ脳噛さんと出会った。
胸の奥に引っかかってもやもやしていた悩み事をいとも呆気なく解決してもらった後も、そのままさよならという出会いではなかったと互いに確信していた弥子ちゃんと私は、
外で一緒にご飯を食べたり、事務所へ差し入れを持って行ったりして仲を深めてきた。
私の方がかなり年上だけど、弥子ちゃんがしっかりしてるから、年下の友達ができたような可愛い妹ができたような、とにかくとても弥子ちゃんのことが好きになったのだ。

とまあ、こんな調子でいつものように私が事務所へ遊びにきていた時、たまたま事務所へ顔を出した笹塚さんとこうして肩を並べて歩くようになった。
会えば事務所から歩いて5分の私の家までこの刑事さんが送ってくれるようになったのだけれど、笹塚さんが何を考えているのか私には本当にわからない。

一度目はごくごく近所なのに送ってくれるなんて紳士だなあと思った。なんだか緊張してしまって会話はそんなに弾まなかった。
二度三度と二人きりで歩く時間を重ねるにつれ、笹塚さんの静かな優しさにドキドキしている自分に驚いた。
弥子ちゃん交えてする会話は平気なのに二人きりだと途端に心臓がうるさくなる。
そうなってくると少しだけわくわくした。もしかしてこうして送ってくれるのは私に気があるからじゃ…、なんてときめいた。胸の奥で熱が疼いて、久々に恋の予感に心が高揚した。
そしてその高揚感に突き動かされるように、勇気を出し笹塚さんを食事に誘ってみた。しかし“これから仕事だから”とつれない返事にテンションが下降した。
それでも、私の中の熱は無くならなかった。
むしろ、予感でもなんでもなく、すでに笹塚さんのことが好きになっていたんだなと確信した。



煙草を手にした笹塚さんの「座ろうか」という静かな言葉に促されるように公園のベンチに並んで腰を下ろす。
公園のどこかに植わっているのだろうか、微かな金木犀の香りに心がゆるむ。
秋だなあ、としみじみしている私の横で、笹塚さんが手馴れた仕草で煙草に火をつけた。
その煙草の香りに、笹塚さんの隣に居ることを改めて意識した。

「コーヒーと紅茶、どっちが好き?」
「どちらも好きです」

私の返事に笹塚さんがふっと笑った。
苗字さんて弥子ちゃんみたいだな、と愉快そうに私を見つめてくる。

「待ってて」

そう言って笹塚さんは腰をあげ設置されている灰皿に煙草を押し付けると、ふらりと近くの自動販売機へ向かう。
その後姿にハッと気付く。さっきの言葉は飲み物奢るよって意味だったのか!
あー私って本当にバカだな。笹塚さんに気を使わせてしまった。しかもどっちもって何!どっちも好きなんて大人のする返事じゃないよね!
男性に対してもっとスマートに対応できたらいいのに……うあああと一人項垂れる私に、すっと缶の紅茶とコーヒーが差し出される。
見上げた笹塚さんの表情は、とても柔らかなものだった。

「飲みたいほう取りな」
「すみません、ありがとうございます」

スマートに!女らしく!
大人の女はどっちを飲もうかなーどっちも美味しそうだなーなんて迷ったりしないのよ名前!
しかし私の素直な手は、笹塚さんの持つ二つの缶を行ったりきたり。
だ、だってこの缶コーヒーは新発売の“秋のカフェオレ〜地獄の釜よりあっつあつ〜”で、弥子ちゃんが絶賛していたものだし、
紅茶の方は“贅を極めたロイヤルミルクティー(王室御用達茶葉使用)”だって!弥子ちゃん飲んだことあるかなあ、飲んでみたい!
…と、私が真剣に悩んでいると、笹塚さんは肩をふるふると震わせて笑い出した。

「えーっと、さ、笹塚さんはどっち飲みたいですか?」
「どっちでも。苗字さんが選ばなかった方を飲むかな」
「選べないので笹塚さんから選んで下さい」
「そう? んー……、わかった」

そう言って笹塚さんは私の方に紅茶の方を差し出してきたので、反射的にそれを受け取った。
笹塚さんの手には地獄の釜よりあっつあつらしいカフェオレが……。

「やっぱこっち飲みてーの?」
「いえいえ、そんな、コーヒーも好きですが紅茶も大好きですし!」
「じゃ、冷めないうちに飲んじまいな」

缶をカシっと開けて口を付けた笹塚さんをじいっと見ていたら、ふいに視線が向けられてドキッとする。
この動揺を誤魔化すように、いただきますと言って私も紅茶を一口。
秋も深まってきた夜の気温の中飲むあたたかな紅茶はすごくすごく美味しくて、私の顔に自然と微笑が浮かぶ。
さすが王室御用達茶葉。香りが違う!……気がする。
リーフで淹れるきちんとした紅茶には敵わないかもしれないけれど、缶の紅茶ならではの美味しさというのもある。これはとても美味しい。
一緒に飲んでいる人だとか、状況とか、そういうものでも味は違ってくるものね。
あの缶コーヒーは今度自分で買ってみよう。弥子ちゃんの分も一緒に。

「どう?」
「とってもおいしいです」

そ、と呟いた笹塚さんが、ベンチの脇にコンと空になった缶を置く。

「もう飲んだんですか、早いですね」
「苗字さんはゆっくり飲んでていーよ」
「あ、すいません」
「全然」

優しい声。私の手のひらはあたたかな紅茶の熱でポカポカしている。笹塚さんの指先はどうなのかな。
飲み終わってしまったコーヒーの缶に無意識に視線を送ると、中身が無くなった缶は役目を終えて疲れきってしまったかのように、ひっそりそこに佇んでいた。

「弥子ちゃんとよく食い歩きしてるんだって?」
「そうなんですよー。弥子ちゃんいっぱい食べるからビュッフェやってるお店中心に」
「今度俺とも行かない?」
「いいですね、もちろん大歓迎ですよ。弥子ちゃんにも伝えておきますね」
「いや違う、俺は苗字さんと二人でって言ってんだけど」

ひゅう、と冷たい秋風が頬を撫でていった。
風は濃い金木犀の香りを運んできてくれたけど、今の私はそんな甘い香りをとても遠くに、はるか遠くの月から香っているくらいに感じてぽかんと笹塚さんの顔を見る。

「私と二人で、ですか」
「そう。考えといて」
「いえ考えるまでも無いです、ぜひご一緒させてください」
「よかった」

驚きの余り瞬きも忘れている私を見て、笹塚さんは楽しそうに口元を緩めてる。

「この前は仕事が立て込んでてさ、折角苗字さんが飯に誘ってくれたっつーのに断っちまうことになって悔しかった」
「あはは、悔しかったんですか。そんな顔には見えなかったような」

茶化すように言葉を返した私を見つめ、笹塚さんは意外そうな顔をする。

「そう? ……俺さ、苗字さんに次いつ会えるかとか、会ったらどう切り出すかってずっと考えてた」
「へえ……なるほど」

私からの誘いを断ってしまったことを気にしていてくれたのかな。笹塚さんって本当に優しいんだな。
口を閉じた笹塚さんは、ゆるく開かれたその瞳で私をしっかりと見つめてくる。
その視線は逸らすこともできないくらい、真っ直ぐで、熱かった。

「あんたの前だと、なんつーか、今まで頑なに守ってきたモンが呆気なく崩れそうで調子が狂う」
「……あの、それはどういう意味でしょうか」
「こんな感情久しぶりで自分でも制御できてんだかできてねーんだかってこと」

はあ、と笹塚さんが大きく息を吐く。
さっきから、私の心臓はどくんどくんとうるさいくらいに脈打っていた。



「月に咲く」はルピシアの紅茶の名前です。
ブレンドされた金木犀の花がとてもいい香りで美味しかった!

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あきゅろす。
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