[携帯モード] [URL送信]

月に咲く (完結)
腕に残る


“悪い、これから仕事だから”


昨日、勇気を出して食事に誘った笹塚さんから返ってきた一言はとても素っ気無くてアッサリとしていて、ああちっとも私に脈なんてなかったんだなと穴があったら入りたい気持ちで一杯になった。



弥子ちゃんの事務所から笹塚さんに何度も送ってもらってるうちに仲良くなれたと勘違いしてしまったんだよなあ。
もしかしたら私がいつも遅くまで弥子ちゃんの事務所に居るから渋々送ってくれていたのかもしれない。
もっと早くに気付けばよかった。

帰宅途中、弥子ちゃんから入っていた絵文字付きの“今日もくる?”という可愛いメールに、少しの間ジャム作りに精を出すから出来上がったら持って行くねと返信する。
これで一週間くらい行かなくても変に思われないかな。
今までは数日おきに行っていたのだけど、その度に笹塚さんが居たから、もしかしたら今日もくるかもしれないしね。
食事の誘いを断られた昨日の今日で会うなんてきっとお互いとても気まずい。

昨日まではその偶然を喜んでいた。自分でも驚くくらいに。
笹塚さんは私より先に事務所に居ることもあれば後からひょっこりその手に美味しいケーキを持ってきてくれたりすることもあった。
いや、喜んでいるのは笹塚さんが美味しいお土産を持ってきてくれるからだけじゃない。
笹塚さんとおしゃべりするひとときだとか、居心地のよさだとか、そういう心がぬくもるやりとりは一人暮らしの中では貴重な時間なのだ。
時折、無表情の中に滲む笹塚さんらしい優しさを見つけることを密かな楽しみにしていたんだよね。

もっと仲良くなれたらと、笹塚さんのことを人間的に好きなのか男性として好きなのかわからないまま勢いで食事に誘ってしまったのだけれど、
当たって砕けるどころかかわされてしまった。
お忙しい時にごめんなさい、と謝った。
その時から続く胸の痛みに、自覚してなかった笹塚さんへ寄せいたらしき恋心というものにようやく気付くことができたのだけど、
笹塚さんは私が食事に誘ったことを迷惑に思ってたらどうしようと帰ってからもずっと落ち込んでいた。

普通に接することが出来るようになるまで少し時間が必要だ。
一週間、ジャム作りに没頭していればあっという間に過ぎてしまうだろう。
ガサゴソとレジ袋の中で音を立てる、いつもの患者さんにもらったたくさんのカボスに視線を移す。
ひとつ残らずグツグツ煮詰めてジャムにしてあげるからね。
そう心の中でカボスに話しかけたとき、家にジャム作りに欠かせない砂糖が切れ掛かっていたことを思い出した。
少し回り道をして買っていくことにする。
と、少し先にある飲食店に見覚えのある姿を見つけ、足が止まった。

「笹塚さん……?」

私の小さな小さな呟きは、猫背気味でぼんやりと前方を向いているその静かな横顔には届かなかった。
中は禁煙だったのだろうか、ポケットから煙草を出して一本口に銜えたところで「あれ」と笹塚さんが私に気付く。
わー私の馬鹿!なんで気付かれないうちにそっと回れ右して立ち去らなかったんだろう!
銜えた煙草には火をつけずポケットに適当にしまうと、笹塚さんは右手を上げて私の方へ来ようとする。
そんな笹塚さんの後から出てきた、ピシッと背筋の伸びた綺麗な髪の短い女性が
「どうかなさったんですか?」と笹塚さんを見上げ、笹塚さんの視線の先に居る私に視線を向けてきた。

こ、これは思いっきり気まずいね!

頭の中で高速でこの二人の関係について考えてみた。3パターン程浮かんだものがこれだ。
その1、考えたくもないけど思いっきりありえることにこの女性は笹塚さんの恋人でデート中だった。ごめんなさい私は通行人Aです。
その2、希望交じりに考えてみたのだけれど敬語ということは笹塚さんの後輩で、ただ単にお仕事中に休憩してるだけだった。本当にお疲れ様です。
その3、私は幻を見ている。わーよかったー。

って、アホか私は。
ぺこりと高速で会釈して、私はぎこちない笑みを浮かべて回れ右!そして早歩き!

苗字さん、と私を呼ぶ笹塚さんの焦ったような声が聞こえてきた。けれど私はスピードを緩めなかった。
これでも学生時代は競歩の選手と友達だったことがあるんだ!遠くに行っちゃって疎遠になってしまったけど。
元気かなあ、今でも元気に歩いているのかな。
……なんて現実逃避に昔の友達のことを思い出していたら、ちょっと冗談でしょう、笹塚さんが小走りで追いかけてきてる!

「ちょっと待って苗字さん、どーして逃げんの」
「いえ、逃げてないです、用事が。カボスがジャムにして欲しいと言っていて」
「へえ、今度はカボス」

あ、声が柔らかい。
そう思ったのと同時に、カボスの入った重い袋を持つ方の腕が笹塚さんに掴まれた。
私の腕を掴む笹塚さんのその手に力は入ってない。
だけど心まで一緒に掴まれたように思えた。

「まさか逮捕なんてしませんよね!?」
「あー、……悪い」

するりと呆気なく、腕から笹塚さんの手が離れる。
突然腕を掴まれてビックリして立ち止まった私の顔はよっぽど間抜けな顔をしていたらしく、笹塚さんが楽しそうに笑っていた。

「今日は苗字さん、ジャム作るから弥子ちゃんの事務所にこねーって教えてもらったんだけど、本当だったんだな」
「え、弥子ちゃんそんなこと笹塚さんに連絡してるんですか」
「いや、俺から聞いてんの」

笹塚さんの灰色を連想させる薄い色の瞳が、私のことを穴が開くほど見つめている。

「ああ、お土産の数だとかそういうことの確認ですね。細やかな心配りですね。私も見習いたいです」
「…………そう」

なんか一瞬ガックリしたように見えたけど気のせいだよね。

「あの、あの女性がお待ちなのでは……」
「女性?……ああ、あいつらは後輩」

後輩さん!ホッとして後輩さんの方を向く。
あ、もう一人男の人が増えてる。なんか二人して口喧嘩始めてるけど。

「石垣、等々力、俺この人送ってくから先戻ってろ」

それだけ声を掛けると、笹塚さんは私の手からカボスの入った袋を自然に奪い、私の家の方角へ歩き出した。
数歩先を行ったところで、ポカンとしたままの私を振り返る。
「こねーの?」と悪戯っぽく小首を傾げて微笑む笹塚さんに、ついついつられて笑ってしまった。




[*前へ][次へ#]

4/20ページ

[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!