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月に咲く (完結)
煮込む果実

仕事帰りにいつものように弥子ちゃんの事務所へ顔を出すと、弥子ちゃんと脳噛さんと、今日は笹塚さんも居た。
私の顔を見て、あ、と煙草から唇を離した時の、その落ち着いた大人の表情にドキリと小さく心臓が動く。

みんなに向かって「こんばんは」と挨拶すると脳噛さんはそれはもう爽やか過ぎてビクッとなってしまうような笑顔で「ようこそいらっしゃいました」と挨拶を返してくれて、
弥子ちゃんは「こんばんはー!」と可愛い笑顔で駆け寄ってきてきてくれて、笹塚さんは「ども」と短く言って微かに口元を緩めてくれた。
この勝手に動く心臓は何なの一体。超絶美形スマイルなら脳噛さんで見慣れてるのに、笹塚さんの前に来るとおかしくなる。
気のせい気のせい!きっと気のせい!

「ねえ弥子ちゃん、柿って好き?」
「好きーッ!柿でも牡蠣でもバケツ一杯だってへっちゃらです!」

月に一度、定期的に歯のお掃除に来る患者さんに季節ごとにたくさんの果物をいただく。
袋にどっさり詰められた果物を、勤め先の歯科医院の先生がひとつふたつひょいととっていき、後は私のものになるのだが一人暮らしには量が多すぎる。
美味しいもの好きで底なしの胃袋を持つ弥子ちゃんにあげたら喜んでもらえるかなと思ってそのまま持ってきたのだ。

「苗字さん、先生は最近柿を丸ごと食べることに目覚めたんですよ! 僕はいつも先生に命令されて食べるのを手伝わされて大変なんです」

女子高生探偵をやってる弥子ちゃんの助手、脳噛ネウロさんが黒の皮手袋を付けた手で袋の中の柿をひとつ掴むと、
「な、何言ってんのネウロ……!」と後ずさりする弥子ちゃんの口にそれを無理やりねじ込んだ。
んぐぐぐぐ!と弥子ちゃんが唸っているにも関わらず脳噛さんはニコニコととてもいい笑顔。

「脳噛さん脳噛さん、弥子ちゃん白目むいてるけど」
「おや、醜いモノをお見せしてしまってすみません。きっと余りの美味しさに失神してしまったんでしょう。先生!せんせーい!」

口の中に柿を突っ込まれて白目を剥いている弥子ちゃんの頬を笑顔で往復ビンタする。
頬を真っ赤に腫らしハッと目を開いた弥子ちゃんは「この柿美味しい!!」と本当に皮ごとポリポリ柿を食べだした。
そうそう、歯ごたえがある柿って美味しいよね。
美味しそうに柿を食べる弥子ちゃんに思わず笑みを零した時、ソファに座って煙草を吸う笹塚さんと目が合った。

「笹塚さんもおひとついかがですか?」

私の言葉に笹塚さんは黙って小さく首を振る。
その時の表情に、柿は嫌いではなさそうだなと気付いてすぐに質問を重ねてみる。

「剥いたものだったら?」
「いただくよ」

即答され、なんだか飛び跳ねたい気分になった。やっぱりね!
笹塚さんも小さく微笑んで悪戯っぽい視線を私に飛ばすと、しれっとした顔で煙草を灰皿に押し付ける。

「それにしてもたっくさんもらったんですねー!」
「よくいただくんだ。食べきれないくらいだから毎回私も大変で」

「毎回食べてたんだ。苗字さんて実は弥子ちゃん並に食う人だったりすんの?」笹塚さんが私をからかうようにそんなことを言ってくる。
慌てて「まさかそんなとんでもない!」と両手を振って否定した。

「フハハハハ、先生は飢えたら生ゴミだって見境無く口に入れるお方ですよ、ここまで食に執着するいやしさを持つ方は世界広しといえど先生しかおりません!」
そんな脳噛さんの言葉に「なにその酷い言われよう!」と、柿の蔕まで食べ終えてから弥子ちゃんは私と笹塚さんに向かって助けを求めるように大きな瞳を向けてくる。

「弥子ちゃん、さすがに生ゴミは止めた方がいいぜ」
「そうだよ、弥子ちゃんでもお腹壊しちゃうからね」
「笹塚さんと名前さんまで!」

かわいい反応に、思わず笹塚さんと目と目をあわせてニッと笑ってしまった。
楽しいな、すごく楽しい。仕事の疲れなんて忘れてしまうくらい穏やかで楽しい空気が見えないけれど確実にここにある。
そんな楽しい雰囲気の中、柿を剥いたら笹塚さんはどんな表情で食べてくれるかなと袋の中から柿を3つ出し、剥いてきますねーと給湯室へ向かった。


▽▽▽▽▽


柿を剥く間、事務所の方ではキャーだのギャーだのという弥子ちゃんの悲鳴が聞こえてきた。
脳噛さんの弥子ちゃんに対する行き過ぎた愛情表現はもはや見慣れたものだ。
弥子ちゃんの気持ちもわかっているから、よほどのことが無い限り見守ることにしている。

「はーい剥けましたよー」

人数分の爪楊枝を刺して事務所へ戻れば、あれっ弥子ちゃんと脳噛さんが居ない。

「あいつらならさっき用事が出来たとかでどっかいっちまったぜ」
「そうなんですか。せっかく三個も剥いたのに」
「俺が食うよ」
「無理につめこまなくてもいいですからね、帰ってきたら弥子ちゃんが食べるでしょうし」
「でも俺、今日昼飯食ってねーからこんくらい楽勝だけど」
「食べてないんですか!」
「あの時間忙しくてね」

刑事さんて大変なんだな……。
柿を乗せた皿とお茶を笹塚さんの前に置くと、もくもくとそれを食べ始める笹塚さんを瞳に映しながら一緒にいれてきたお茶を飲む。

「……さっきの話だけどさ」
「え、はい、なんでしょう」
「食いきれないほどの果物、どうしてたの。誰かにあげてたり一緒に食ったりしてたの?」
「タイミングが合えば友達にあげたりしますけど、大抵はお菓子に使ってました」
「へえ、お菓子。林檎ならアップルパイ……とか?」
「いえ、ジャムにしてました」
「ジャムっつったらイチゴくらいしか思いつかなかったな」
「ああ、イチゴでも作りましたね。果物だったらだいたいなんでもジャムにできますよ」
「まさか柿でも」
「ええ去年作りました。美味しいですよ柿ジャム」
「……要するに菓子っつーよりジャム作ってるワケね」
「お砂糖入れて煮るだけですから簡単なんです」

笹塚さんは私の言葉に何故かくつくつと笑い出した。
私は今の会話のどこら辺に笹塚さんの笑いのツボに入るようなものがあったか数秒考えてみる。
けれどもわからなかったから一緒に笑った。

「今度食ってみてーな、苗字さんの作るジャム」

きっと社交辞令で言ってくれたんだろうけど、また私の心臓が大きく跳ねた。





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