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月に咲く (完結)
笑顔と笑顔 (最終回)



その日 私達は思い出した
弥子ちゃんに備わる無限の食欲への恐怖を
胃袋の中に山のような食べ物が瞬く間に収められていく光景を



「いやぁっ、美味しーい!」

衛士と私の目の前で、弥子ちゃんは物凄い勢いで食事を平らげていく。

つい一時間前、弥子ちゃんの事務所に私とともに訪れた衛士を見て、目玉が飛び出るかと思うくらい驚いて、
そして怒って、涙を滲ませながら衛士の胸を叩いた弥子ちゃん。
少し落ち着かせてから、衛士の葬儀の後、脳噛さんと何があったか、かいつまんで話してくれた。
私にはよくわからなかった話も、衛士にはちゃんとわかったんだと思う。
ああ、ようやく、本当に終わった。衛士と弥子ちゃんの表情が、そう物語っていた。

「けど、生きてるならすぐ連絡してくれてもよかったのに」

この賢くて勇敢な少女なら、どうして連絡をしなかったかわざわざ聞かなくても察してくれているだろう。
それでもこうして言葉にしてしまうのは、私達にそう言えてしまうくらい気を許してくれているからで、
私は「ごめんね」と言って弥子ちゃんを抱しめるしかできなかった。
衛士も、弥子ちゃんの頭にぽんと手を乗せる。
身体を壊し、療養のため遠くへ行ってしまったばかりだという脳噛さんがいないからか、広い事務所に少し肌寒さを感じた。

そうして、いつも一緒だった相棒と離れ少し寂しそうな様子の弥子ちゃんを引っ張るようにして予約した店へ連れてきた。
好きなだけ食べて、と言うとキャー!と喜んでくれたので、
これで元気になってくれたらと思ったのだけれど、どうやら私は思い違いをしていたらしい。

「弥子ちゃん、ローストビーフ持ってきたよ」
「ありがとう! おかわりあるかな!」
「え、もう食べたの? 一瞬で!?」
「パン食うだろ? 山盛り持ってきたけど」
「登頂成功!」
「………俺、今パンものすげー積み上げてきたんだけど……もう皿が空……」

周囲のお客さんが私達のテーブルを凝視しているのがわかる。
弥子ちゃんとご飯にいくとそんなことはしょっちゅうなので慣れっこだったが、今日はいつも以上の食べっぷりで、
私と衛士は真顔で顔を見合わせた。

衛士が一度死んで生き返ったように、弥子ちゃんも大きな困難を乗り越えて、更に進化したのだ。
さみしさを生きる気力にかえて、食べ物を行動するための力に直結させるかのように。

「今日はとことん食べるぞ〜〜!」

弥子ちゃんの楽しそうな声に、衛士も私も、思わず笑ってしまった。




「凄かったな」

ソファに身体を沈めるようにして座り、どこかホッとしたようにこぼした衛士の前にコーヒーを置く。
弥子ちゃんの食べっぷりに唖然として何も食べられなかった胃に少しでも何か入れておいたほうがいいかもと、
以前作ったジャムとクラッカーもそえた。

「これ、柿のジャム。衛士、前に食べてみたいって言ってくれたの覚えてる?」

私の言葉に、衛士が嬉しそうに表情を崩した。
特に瞳がとても柔らかくて、え、どうしたんだろうと思わず頬に血が上る。

「もちろん覚えてる。……いただくよ」

どうしてか、すごく緊張して衛士を見ていた。
テーブルの横の床にぺたんと座り込み、衛士を見つめる。
そんな私の視線にも動じず、衛士はゆっくりとクラッカーをジャムに沈めるようにしてたっぷりすくい、口をあけてぱくりと頬張った。
じっくり味わうように咀嚼した後、私を真っ直ぐ見て衛士はにっこりと笑う。

「名前、結婚して」

耳から入って来た衛士の言葉をすぐに理解することができず私はかたまった。
なに、今の。聞き違い? だよね、うん、そんな柿のジャム食べた感想が結婚してとかありえない。

「ジャム、美味かった」

ほらね、やっぱりジャムの感想。
結婚してなんて聞き間違うなんて私も疲れてるのかなー。
そんなことを思いながら、綺麗というより可愛らしいオレンジ色した柿のジャムに何となく視線を移すと、また衛士が口を開いた。

「結婚して欲しい」
「そんなにジャムが美味しかったの。柿と結婚したいほど」
「俺が結婚したいのは名前とだけど」
「ああ、そう、結婚」
「結婚」

あはは、そりゃ結構なお話で、って、違う! そうじゃない!

「ええっ、もしかして私にプロポーズしてるの!?」
「また勘違いされるかもと思って、これ以上ねーってくらい直球の言葉で言ったんだけど……」

耐え切れない、というように衛士が口元に手を当てて方を震わせて笑ってる。
聞き間違える私もアホだけど、ジャム食べていきなりプロポーズする衛士も衛士だよね!

「どうして結婚したいって思ったの?」
「名前だから」

衛士がソファから立ち上がると、私と同じように床に座り込み、同じ目線で真剣な眼差しを私に送る。

「それと愛してるから。一緒にいて面白いから。……一番は、俺がこれからの一生をかけて大事にしたいと思ったから」
「一生は、長いねきっと」
「長いほうがいいだろ」
「うん」

すがりつくように煙草の香りのする衛士のシャツに顔を埋めた。
そうしないと、涙でくしゃくしゃになった顔を衛士に見られてしまうから。
鼻が詰まる。淹れたてのコーヒーの香りもわからない。鼻先でかろうじて嗅ぎとれるのは、衛士と、衛士の煙草の香りだけ。それを大きく吸い込んだ。

「隠し事はしないって約束してくれる?」
「約束する」
「絶対?」
「ああ」
「結婚する。私、衛士と結婚したい」

衛士が私をそっと抱き寄せ、長い長い安堵の息を吐く。

「…………ありがとう、名前」

それは聞き逃してしまいそうなほど、小さくかすれた声だった。けれど私の耳にはしっかり届いた。
呼吸で微かに動く衛士の胸に頬ずりすると、鼻の奥がツンとした。
きつく抱き合う。目を閉じると衛士がここに生きて、笑って、私の身体を抱しめてくれていることが夢みたいで、現実ではないみたいに感じる。
こわくなってそっと目を開けると衛士のシャツが見えて安心した。
顔を上げると、穏やかな顔をした衛士が唇を重ねてくれる。
この感触は夢なんかじゃ味わえない。

衛士は家族を奪われた凄惨な記憶を、私は衛士を失いそうになった苦しみを、それぞれ一生抱えて生きていくのだろう。
消えることは無いのだ。不安はいつも付き纏う。
けれど未来は暗いと決まっているわけではない。
衛士とならきっといい方向へ進んでいける、素直にそう思える。

これからも、ずっと。二人でいれば。





ずいぶんと長いことかかってしまった笹塚さんのお話、これにて完結でございます。
読んで下さって本当にありがとうございました!

2014年11月26日 いがぐり

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あきゅろす。
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