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月に咲く (完結)
無言の背中

「衛士が無断欠勤?」

弥子ちゃんからの電話に、携帯電話を思わず落としそうになった。

『そうなんです、家にも居ないみたいでみんな心配して探してるんだけど、名前さんなら何か心当たりがあるんじゃないかと思って』
「…………衛士が、」
『名前さん?』

衛士の恋人である私なら、無断欠勤と行方不明について何か知っているのではないかと思っての電話だったのだろう。
しかし私は知らなかった。
取り乱しはしなかったものの、かなり驚いた私の様子に、電話越しからも弥子ちゃんの心配が伝わってくる。

「あ、……えっと、ごめんね、動揺しちゃって。私からも衛士に連絡してみる。弥子ちゃんも何かわかったらすぐ教えてくれるかな」
『もちろん! じゃあ私、これから笹塚さんの職場に様子見にいってくるんで』

笹塚さんのことだから、きっと心配いりませんよ!
切り際に明るく励ましてくれた弥子ちゃんとの電話が終わり、心を落ち着けるために大きく息を吸ってから振り返る。
そこには「弥子ちゃん何だって?」とソファに座って首を傾げる衛士が居た。

「あなたが居なくなったって」
「あー、等々力達、弥子ちゃんの事務所まで行ったのか」
「私、衛士はてっきり今日休みだと思ってた。どうして無断欠勤なんて」
「やることがあるから」
「何をしようとしてるの? なんだかあんまり楽しいことじゃなさそうだよね」
「その内わかる」
「衛士の口から教えて」
「これ以上巻き込んじまったら名前が危ねーから」
「大丈夫だよ、私、運がいいから」

私の言葉に衛士は黙ってソファから立ち上がると、私の真正面にゆっくり足を進めてきた。
無表情のように見えるけど、とても優しい眼差しを私に注いでくれていて、なんだか泣きそうになる。
私を想ってくれていると自惚れていていいのだろうか。

「ごめんな」

後頭部をそっと引き寄せられ、衛士の胸に顔を押し付けられる。
両腕でぎゅっと衛士の身体を抱しめた。
弥子ちゃんからの電話の時、衛士がここに居るって言ったら、電話が終わって振り返ったとき、衛士は消えていたかもしれない。
なんとなく、そう思ったから弥子ちゃんに本当のことを言えなかった。

「ねえ」
「ん?」
「みんなで行った釣り、楽しかったね」
「ああ」
「今度行く時は勝負なんてやめようね。ついつい熱中しちゃって衛士とちっとも一緒に居られなかったし」
「悪い、つい釣りに夢中になっちまって」
「そういえばあの時、脳噛さんと二人きりで何を話してたの?」
「色々」
「私もつい最近脳噛さんと二人きりで話したんだ」
「へえ、弥子ちゃん抜きでか、珍しい。何話したんだ?」
「色々」

嫌な予感と、それが当たらないで欲しいという思いからくるどこか楽観的な奇妙な気持ちが、胸の奥で気持ち悪くまざりあっている。

「…………名前」
「ねえ、好きだよ衛士」
「俺は名前のこと愛してるよ」

ごく普通の調子でそんなこと言うものだから、私は笑ってしまった。
だってこれで最後みたいな真剣な言い方。
やだな、私これからもっと衛士と色々やりたいことがあるのに。
ジャムだって、まだ衛士に食べてもらったことの無いさくらんぼやプラムや、季節ごとにいろんな種類の果物があるんだよ。
でも、そんなものじゃ今の衛士を引き止めることはできないらしい。



「行ってくる」と言って私に背を向けた衛士の背中。
気だるげで、常に疲労がのしかかってて、スーツもどこかよれっとしている。でも、愛しい。
その背中になんとなく「頑張ってね」と声をかけたら、
衛士はゆっくりと振り返って優しく微笑んでくれた。




その言葉は無言の背中に吸い込まれ、期待した言葉は返されることなくドアが閉じた。

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