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月に咲く (完結)
決意と本音


『はーい』

明け方近く、唐突に鳴らされたチャイムに驚くでもなくいつも通りののんきな声がインターホンから聴こえ、笹塚がふっと笑みを零す。

「あー、突然悪い、俺」
『だと思った。すぐ鍵開けるね』

パタパタと玄関まで走ってくる名前の足音をアパートのドア越しに聞きながら、
さっきまで浸かっていた慎重に綿密に幾重にも織り上げなければならない計画を一旦脇へ置いておく為に、ふうと長く息を吐いた。

「おはよう衛士。突撃ドッキリ早朝訪問?」

少しだけ眠そうに目を擦りながらも、笹塚の訪問に嬉しそうに顔を綻ばせるパジャマ姿の名前に、ようやく笹塚の肩の力が抜ける。

「……なに?」

黙ったまま自分を見つめる笹塚に名前がちょこんと笹塚と同じ角度に首を傾げる。

「いや、名前の顔見てると、今までのこと全部夢みたいに思えてさ」
「今までのこと?」

名前が笹塚の言葉に可愛らしく首をかしげる。

「あー……捜査中だから言えない」
「そっか。まあどうぞおあがりくださいな。あ、そういえば体調はどう?」
「体調? ……んー、普通」
「だいぶよくなったんだね」
「?」
「相変わらずのクマだけど」

くすくす笑う名前を見ているというのに、笹塚の脳裏にここ数日間の記憶が早送りされるように浮かんでくる。
殺戮の舞台となったホテル、空から降ってくる樹木、怪しい暗号、そして新しい血族の手がかりになりそうな大手製薬会社。
本城の日記を確認した後、すぐに署で笛吹にグリーンXの疑惑と、そして早急に捜査する必要があると報告した。
自分ももちろん捜査に加わらなければならない。そうするのが当然だ。警察なのだから。

それなのになぜ、自分は笛吹に体調不良で参加できないと言ってしまったのだろう。

本城の事情徴収をし、偶然知り得た思いがけない情報で、十年間、待ち続けていた復讐を果たす機会が、すぐ目の前にあることを知った。
そのことがどうしようもなく自分の心を再び揺らしはじめたのだ。
自分では止められない激情が、出口を求めるようにあふれ出てくる。
それは笹塚にしか見えない形になり、この手で地獄へ、そう背後から笹塚の耳に囁いてくるのだ。



「衛士、えーいーし!」

名前が立ち尽くす笹塚の目の前で手をひらひらと振る。

「……なに、どーした?」
「どーしたって、衛士がどうしたの」

言われて気付く。ここが玄関だったことに。
強制捜査までの間、限りある時間の中で更なる情報を求める合間にふと、本当にいきなり名前の顔が浮かんだのだ。
無謀で非道な計画に手を染め始めてしまった自分はもう、名前に会わない方がいいと思った。
ぶれてしまうことが恐ろしかった。名前の笑顔に溶かされる心地よさに浸かっては、計画に支障が出る。
けれど足は笹塚を名前の家へと運び、指は勝手にチャイムを押してしまった。
それみたことかと苦笑いした。名前をを目の前にして、大事にしたいと、一緒に歩んでいきたいと思ってしまった自分に。

「悪い、ぼーっとしちまって」
「変な衛士。相当疲れてるのかな。ね、朝ごはん作ろうか。何か食べたいものある?」
「いや、ありがたいけどもう行かなきゃなんねーんだ。毎日忙しくて当分休む暇もねーから、顔見れるときに見とこーと思って」
「あれ、……今日、お休みじゃないんだ。なんか会うたび忙しくなってくね。体調本当に大丈夫なの?」

いつも以上に笹塚の身体を心配する名前が、笹塚の涙袋の下を指でそっとなぞって微笑む。
笹塚は名前の頬にそっと手を当てると、額に唇を押し当てた。

「ああ、体調は……平気」
「吾代さんみたいにいきなり怪我して入院しないでね」

思いがけない人物の名を口にした名前に、笹塚は僅かに目を見開く。

「あいつと知り合いだったっけ」
「たまに弥子ちゃんの事務所で会うから。お見舞いにも行ったし」
「へえ」
「衛士も行ったんだってね、お見舞い」
「ああ」

一瞬、会話が途切れた。
名前の口は笑っている。けれどその唇は少し震えていた。

「私に何か隠してない?」
「……名前?」
「弥子ちゃん、衛士のこと心配してた。かなり体調悪くて仕事も休んでるって聞いたけど」
「…………」
「じゃあ仕事に行ってない衛士は一体何をしてるの? 忙しいって、何が忙しいの?」
「……名前」
「メールの返事はいつも“大丈夫”だったから信じてた、でも何が大丈夫なのか私、よくわからなくなっちゃって」

名前の真剣な眼差しに笹塚は表情にこそ出さないがかなり焦っていた。
さらりと誤魔化す言葉が出るほど名前の存在は軽くない。
しかし全てをさらけ出せる覚悟は無いのだ。

何て答えたものか考え込む笹塚に、名前がハッとした顔で言った。

「もしかして浮気!?」
「それは無い」
「他に好きな人が!?」
「それも無い」

変な誤解はしないでほしいと反射的に返事していると、自然と身体の身体の抜けて顔が綻んできた。
こんな最中でさえ、名前の存在は心を和ませてくれる。
そんな笹塚の顔を見て、名前が寂しげに微笑む。

「……私には言えないこと?」
「ああ…………すまねーな」

キリキリと胸が痛んだ。名前の顔を見ていられず、腕を伸ばして胸の中に名前を抱きしめがむしゃらに唇を奪うと、
目を見ないまま身体を離す。

「また来てくれるよね?」
「名前が迷惑じゃないなら」
「毎日でもいい、夜中だって構わない、だから絶対にまた会いにきて」
「ん……、りょーかい」

こうなるとわかっていたような気がする。
名前なら自分の変化に気付いてしまうだろうと。
それでも会いたい気持ちは止められなかった。

もう会えるのは残り何回なのだろうか。
名前と交わすことのできる口付けは、あと何度だろうか。



車に戻るとすぐ懐から手帳を出し、笹塚は来るべき日に備えトラップを練る。
その表情に、迷いは無かった。





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あきゅろす。
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