[携帯モード] [URL送信]

月に咲く (完結)
光に晒す

ソファに座り、読んでいるのかいないのか、何の表情も浮かべず本に目を落としていた笹塚の足元に、洗い物を終えた名前がぺたりと座りこんできた。
何も言わずに笹塚のその太腿に頬を付け、頭を預ける。
笹塚からは笹塚と同じ方を向いて座る名前の表情は見えないが、構って欲しいという合図なのだろう。

最近の名前は、相変わらずとんちんかんなところがあるものの、
付き合い始めの遠慮したような照れ隠しのようなぎこちなさが薄れ、素直に甘えてくるようになった。
さらりと太腿に落ちる名前の長い髪の毛と、小さく見える綺麗な形をした後頭部に、笹塚は黙ったまま小さな笑みを浮かべて手を伸ばす。
名前が柔らかく笑う気配に、笹塚は頭に置いた手を頬の方へと移動させる。
滑らかなさわり心地の名前の頬に指を滑らせるたび、その柔らかさに驚く。

「くすぐったい」

くすくすと笑いながら、名前がようやく笹塚の方を向いてくれた。
座ったままの笹塚の開いた脚の間に身体を滑り込ませ、膝立ちをして瞼を閉じ、唇を求めてくる。
軽いものを求めていたのだろうが、笹塚がしたのはとびきり濃厚な口付けだった。
驚いたのか、反射的に顔を引こうとする動きを見せたが、笹塚の手が名前の後頭部を優しく強引に引き寄せ、吐息ごと奪い取るように唇を深く重ねる。

このまま口付けだけで濃密なやりとりを楽しむか、その先へなだれ込むか、
甘い名前の唇にゆらゆらとたゆたう思考の片隅で、笹塚は以前、無精ヒゲがチクチクする、と名前に言われたことを思い出す。
その時の表情はくらりとするほど男心を刺激した。

「何考えてるの?」
「……何も。今は何も考えてないな、名前のこと以外は」

そう言って名前に向かって微笑めば、名前は何故か頬を膨らませ唇を尖らせる。

「衛士っていつも真顔で凄いこと言うよね」
「そう?」
「嬉しいんだけど、そんな私を嬉しがらせることばっかり言わないで」
「なんで」
「ますます衛士から離れられなくなるじゃない」

帰っちゃうのがさみしくなるー、と名前は時計を見上げてあどけない顔で翌朝までの時間を計算しだした。
そんな名前を呆然と見つめながら、数秒間名前の言った言葉を頭の中で反芻した後、ようやく笹塚が口を開く。

「…………ああ、」

そういうことか、と笹塚は一人合点がいったようにうんうんと頷く。ずっと心に引っかかっていた謎が解けたかのような気分だった。

「何? 何一人で笑ってるの? 私また変なこと言った?」
「いや……俺、自分の気持ちを言葉にするのって面倒だし、その必要はないと思ってたけど、名前に対しては違ったみてーだな、ってさ」
「意味がわかんない」
「悪い、こっちの話」

ますます意味がわからない、といった風に名前が眉を寄せて首を捻る。
わからなくていいと笹塚は笑う。
いまだ終わっていない復讐と、今腕の中に居る恋人と、心を占めているのはどちらが大きいのかまるでわからなくなってしまっている自分に、
今何か聞かれても上手くこたえられない。
自分の復讐心とは恋人の存在で揺らいでしまうくらいちっぽけなものだったのかと、思ったこともあったが、それは違った。
名前の存在は、笹塚の考えている以上に深く大きすぎたのだ。

傍にいて欲しいと願い、口にして、両手で抱きしめる。
それは名前に離れてほしくないからで、自分がそうしたいと思うからだ。

何よりも望むものが変化しつつある。
家族を殺され、殺した相手に復讐をする。そんな自分の決心は一生揺るがないと思っていた。
これから何をすべきなのか、常に考えを張り巡らせ、小さなきっかけすら逃すものかと生きてきた。
ちっとも大切にしてくれないと、過去の恋人達は次々に去っていった。それを引き止めようともしなかった。
むしろ、ホッとしていた。感情を揺らされない自信はあったが、束縛されるのも疲れてしまう。
恋愛というのは一時的な感情の昂ぶりだと思っていた。一時のガス抜き程度のものだと。
けれど、違った。名前に出会ってわかったのだ。人を愛するということを。

「自分勝手だとは思うよ。……でも、離したくねーんんだ、名前」

自分のまわりは真っ暗で、周囲には弥子やネウロや笛吹や筑紫、無数の光が散らばっている。
その中で、もっとも強く、焦がれる光。それが名前だ。
ぬかるんだ足元を、後悔しない方向へ導いてくれるような、そんな気がする。
名前の光のおかげで周りの光にも目を向ける余裕もできた。自分の心を光に晒せば、一人でできることの限界も見える。
家族の仇は必ず討つ。しかし、ずっと考えていたのとは違う方法になりそうだ。
自分の命すら投げ出すように復讐という暗い沼に足を踏み入れていくよりも、名前と生きていく為に前向きな方法でケジメをつけたい。
そんな方法が果たしてあるのかわからない。
しかし、魔人という人間ではない存在と協力関係になれたことで、今後かなり色々なものが大きく動くのではないだろうか。
悪くない方向へいければいい。

名前を見つめそんなことをぼうっと考えていたら、

「うん、離れないよ、衛士」

そう言って、少し照れたように名前が微笑み、笹塚は目を細める。
離れられない。決して離さない。
そう思いながら、名前の身体を強く強く抱きしめた。




[*前へ][次へ#]

13/20ページ

[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!