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月に咲く (完結)
朝に笑む

ひどく変わり果てていた街もその爪あとを奥深くに隠し、表面上は穏やかな日々が戻ってきていた。

季節が変わり、クリスマスや正月という誰もが少しは気分が上向きになる境目を超えるごとに危機感が薄れていった市民は、
今度はバレンタインという活気のあるイベント事を楽しむ余裕と平和を喜び、すっかり過去のことを忘れようとしていた。
しかし警察は逆に、笛吹の見事な指揮と鼓舞により、今まで以上の忙しさと危機感で常に空気に活気があり、少々空気が張り詰めてもいる。

そんな中、バレンタインに乗じて外交戦略を計画した弥子は、今後も世話になるであろう面々にチョコを渡すため手始めに警察へと訪れていた。
皆がそれぞれ忙しそうに動き回る署内を弥子が顔見知りがいないかときょろと見回していると、前方からふいに声がかけられる。

「よー、弥子ちゃん」

相変わらず常に疲れているような読めない表情で弥子の前に現れた笹塚と、疲れも見せずにキリリとしている等々力が現れた。
目の下のクマは相変わらず濃いが、笹塚の雰囲気には不思議とどこか穏やかなものがあった。
考えなくてもわかる。それはきっと笹塚が苦戦の末に見事捕まえた恋人である名前の影響だろう。
弥子はこっそり微笑みつつ軽く雑談を交わし、二人に作ってきたチョコを渡した。

「そういえば、名前さんにももらったんですか? チョコレート。まだだったらすいません、私なんかが先に渡しちゃって」

弥子の問いに、笹塚はしばし瞬きもせず動きを止めた後、少しだけ口元を緩ませた。

「…………あーそうか、夜食にやたらチョコがかかってたの、そーいうことだったのか」
「へ?」

珍しい笹塚の表情に等々力が黙ったまま瞳を細める。
笹塚が恋人のことを思い浮かべてのことだとすぐさま察し、心がほんのり穏やかな気持ちになったのだろう。

「夜中に顔だけ見に名前の家に寄った時、ちょっとでもいいから食べてって、チョコがかかったホットケーキやらアイスやらが出てきてさ、二人で食ったんだ」
「チョコがかかったホットケーキ……アイス……いいなあ……」
「いつもなら茶漬けとか出してくれるのに珍しいなと思ってたんだけど、どうやらあれがバレンタインのチョコだったらしいな」

相手に告白するきっかけにしたり見返りを期待してだったり親交を深める為にチョコレートを贈るのではなく、
名前はお返しのことを笹塚に気にさせないよう、でもやはり女性だからバレンタインには好きな相手にチョコをという気持ちもあって、夜食でチョコをさりげなく(?)笹塚に食べてもらったのだろう。
名前さんって大人だなあと、いつものほほんとした名前のいつもと違う一面に感心する。

「良かった。笹塚さん最近は事務所に顔出させないくらい忙しそうだから、なかなか名前さんとも会えてないんじゃないかなと思ってました」
「会ってるよ。睡眠時間20分位削って」
「何それ!」
「40分眠れるところを半分削って名前に会いに行ってる」
「寝ろよ!」

弥子の突っ込みに対し「そのうちな」としれっと返事する笹塚に、弥子はハアと溜息を吐き、笹塚の表情を見て力なく笑う。
普段、笑うということを知らないかのように笹塚の表情はいつも淡々としていた。
笹塚と出会ってそれなりに経つが、驚いた顔や眉を寄せている顔は見たことがあっても、笑うところだけは見たことが無かった。
それがどうだろう。笹塚は名前の前や、名前の話をしている時にだけ、うっすらと口元を緩ませるのだ。
自然でいいな、と弥子は思う。

頑張ってくださいね、と声をかけ弥子は笹塚達と別れ、小走りで石垣にチョコを渡しに駐車場へ向かった。




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あきゅろす。
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