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牧物
*君にハッピー・バースデイ(ヴァルチェ)
『今夜、一緒に夕食を食べないか?』
朝一に出会うや否や、彼から告げられたのはそんな言葉。

素直に嬉しいと思った。
だって彼は私が出会った頃からずっと想いを寄せている人、初恋の相手。嬉しいに決まっている。嬉しくないわけがない。

けれど実は、理由はそれだけじゃない。
今日は私の特別な日。この世に生を授かった大切な記念日。要するに今日は私の誕生日なのだ。もしかしたら、彼の言葉には何の意図もないのかもしれない。今日が何の日かは知らず、単純に食事に誘ってくれただけなのかもしれない。
けれどやはり、少し期待してしまう。故意に今日という日を選んでくれたんじゃないかしら、とか。彼からの祝いの言葉が聞けるかもしれない、とか。

恋する乙女。一人、尽きない想像に胸を踊らせる。しかし、それでもこれは私の願望。あくまで希望の域を出るわけではない。

そう、だから私が悪いのだ。
勝手に期待を募らせて、浮かれていた私が…。




「ふふふ〜、ヴァルツしゃぁ〜ん」

「……飲み過ぎだ、チェルシー」


彼の腕にスルリと身体を絡ませれば、耳元で呆れたような声色が響く。盛大なため息。いつもなら慌てて自分の言動の粗相をすぐさま謝るのだけれど。否、むしろいつもならこんなことはしないのだけれど。
生憎、今の私にはそんな気遣いのサービスは“ない”に等しい状態だった。そう、お酒の力とは人が思っている以上にずっと偉大なのだ。


「何か、あったのか?」

「べつにぃ、何にもないれすよー?」


(貴方が私の誕生日を知らない以外は、別に何も)

舌ったらずなまま、からかうように語尾を上げて答える。

大いなる期待を寄せてレストランへと向かい、彼と合流したその後。今か、今かと彼からの祝いの言葉を待ち続けた私を待っていたのはなんてコトはない、至って普通の会話のみ。
ダニーくんが大物を釣っただとか。マセルさんが新しいレシピを開発しただとか。本当に他愛もない話ばかりだった。
最初は弾むような返事を返していたけれど、夕食の天ぷらうどんを完食する頃にはさすがに私も気付き始めるわけで。


(もしかして、)

(ヴァルツさんは知らない…?)

時間が過ぎ行くほどに疑問が確信にかわる。彼の誘いには深い理由などないのだと。そうだと分かった瞬間、私の中の何かが音を立てて崩れ落ちた。

落胆。
絶望。
そんなものでは言い表わせないほどの深い虚無感。

まさか、自ら“今日が誕生日なんです!”だなんて言えるはずもなく。かといってこの想いを消し去る術を持つわけでもなく。ふと気が付けば、私はこうしてお酒に溺れていたのだ。

(そう、ただ哀しかったのよ)



「家に着いたぞ」

「やだぁ〜、帰らないー!!」

「我儘を言うな。明日も牧場仕事があるんだろう?」

「でもっ、帰りたく、ない…」


こんなの、我儘だって分かってる。ヴァルツさんを困らせるだけなのも、十分理解している。
でも、それでも。私はどうしても彼の腕を離すことができなかった。離せば、ヴァルツさんは帰ってしまう。誕生日のリミットはあと少ししかないのに。一番欲しかった彼からの言葉を聞かないまま、今日という日が終わってしまう。


「チェルシー」

「帰らない、です」

「……もういい」

「っ、きゃあ?!」


突然、身体がフワリと宙に浮いた。慌てて足をバタつかせるけれど、必死の抵抗も虚しく更に制されて身動きがとれなくなった。


「あの、ヴァルツさん…?」

「運んでやるから、おとなしくしていろ」


ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、私を抱き抱えるそのぬくもりは優しい。これは、まさか。俗に言うお姫さま抱っこではないのだろうか。今現在の自身の状況に気が付いて自然と頬が熱くなる。そして、すぐ傍に見える彼の耳もほんのりと赤く染まっているのを見つけて、また更に身体が熱を帯びる。
女の子なら誰でも一度は夢見るシチュエーション。今、私は世界中で一番幸せな女の子。

その、はずなのだけれども。


「っ…、ヴァルツさん、のばかぁ…」

「おい、チェルシー?」


頬を幾数も流れ落ちるのは嬉しさじゃなく悲しみのナミダ。何が哀しいのかわからない。何が苦しいのかわからない。けれど、確かにそのとき、私は哀しくてたまらなかったのだ。


「人参嫌いなくせに!ツンデレなくせに!」

「ツン…?!おい、何を…」




「私の誕生日も忘れるくせに…!!」



我儘ばかり、子供な私。
だけどそんな私を見捨てないで、嫌いにならないで、ずっと傍に居てくれるヴァルツさん。


「どうして、そんなにも優しいんですか…」


本当は。誕生日を祝ってもらえなかったことなんてどうでもよかったのかもしれない。彼を困らせないような、そんな大人になりたいのに。ただ、年を一つ重ねても変わらないままの自身が悔しかった。
こんな我儘な私なんて突き放してしまえばいいのに。不器用ながらも確かに答えてくれる彼の優しさが苦しかった。

早く、ヴァルツさんに似合う人になりたかった。


「ヴァルツさんがそんなにも優しいから、私は…」



(貴方のことがこんなにも好きになったんです)



薄れゆく意識の中、伝えようと必死に手を伸ばす。辿り着いた彼の頬のぬくもり。その心地よさにひどく安堵した瞬間、一気に眠りの中へと引き込まれてゆく。


「……忘れるはずがないだろう」


遠退く世界、彼のぬくもり。ほとんどぼんやりとしたものだったけれど、確かに私はその声を聞いたのだ。


「誕生日おめでとう、チェルシー」


(鳴呼、ヴァルツさん、貴方は…)


待ち続けた言葉。たった一言が、胸の内を支配していた嫌な感情を全て消しさってゆく。嬉しさを告げようとするも、結局すぐに幸せな夢の中へと堕ちてしまった。


だから、まだそのときの私は知らないのだ。
次の日、彼の腕の中からベッドへと移動していること。二日酔いでひどい頭痛に襲われること。

そして、自身の手に握られていた青い羽根という更なる幸福が待ち構えていることを…。


君にハッピー・バースデイ

(ごめんなさい、ありがとう、大好きです)

(次に彼に会ったとき、どれを一番に紡ごうかしら?)


END




大変遅くなってしまってすいません。
親愛なるさおとめ様へ、管理人より愛を込めた相互記念な小話。

ヴァルツからのプロポーズネタが二回目なのは、どうか見逃してやってください。
うちのチェルシーは一応お酒飲める年齢に設定なのでぐびぐび飲酒してますが、未成年の方は絶対に真似しちゃダメですよ。

さおとめ様からのみ、書きなおしのご要望を受け付けたいと思います。

さおとめ様ありがとうございました!


2012.2.5 加筆・修正

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あきゅろす。
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