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牧物
旅立ちのウタ(マルチェ)
「マルクくん」


さざ波と共に俺を呼ぶ、その声はまるで揺りかごのように優しく全てを包み込んだ。


旅立ちのウタ


振り返るその動作さえ叶わないほどに、動揺している俺の心。


「マルクくん!」


今度こそはっきりと呼ばれた名前が、もう俺には振り返らないという選択肢など残されていないコトを静かに諭していた。


「……チェルシーさん」


ゆっくりと身体を返す。移した視線の先では赤いバンダナをした一人の少女が哀しそうな眼差しで俺を見つめていた。


どうして。
彼女はここへ来てしまったのだろうか。出来ることなら、君の顔を見る事無く去ってしまおう、そう思っていたのに。


「……有難う、見送りに来てもらえるなんて思ってもみなかったから嬉しいよ」


口から飛び出した言葉は矛盾だらけの本音。そんな俺の言葉を素直に受け取ったらしく彼女が安堵したように浮かべる。その柔らかい笑みがまた俺の心をジワジワと蝕んでいく。

どうか笑いかけないで。
さもないと俺の最後の決意だっていとも簡単に大きな波の中へとさらわれてしまうんだ。ほら、声を聞いただけで抱き締めたい衝動が沸き上がってくるのに。そんなを顔して笑われたらせっかく君から離れようとする俺の決断が無に還ってしまうから。
だから、そのまま何も言わずにこの島から旅立つ愚かな旅人を送り出してほしかった、いい人の俺のまま君の思い出に居続けたかったのに。
そんな俺の願いなど何も知るはずもない君は残酷にも揺れる俺の心を更に掻き乱してゆく。


「少しだけ話があるの」


(駆け落ちのお願い?)

喉元まで出かかったくだらない戯言をぐっ、と飲み込む。
駆け落ちだなんて万が一、否、千が一にもありえはしない。そんなもの、帰るべき場所がある彼女には必要のない選択肢だ。


「話?」


冷静を装って、あくまで淡々と話を切り返す俺。けれど、その声が微かに震えていたことに彼女は気付いただろうか。

――否、きっと彼女は永遠に気付きはしないのだろう。


「どうしてもマルクくんにお礼を言いたくて」


いきなり紡がれたチェルシーさんの突拍子もない言葉。その中身よりも、彼女の口から出たのがくだらない戯言じゃなかったコトに落胆している俺自身に、一番驚いた。まさか、この期に及んでまだ諦められていないなんて。自分がこんなにも諦めの悪い人間だったなんて知らなかった。知りたくもなかった。
いよいよ動揺を隠せなくなってきた俺はとっさにリュックの肩紐ごと震える指先を握り締める。しかし助かったことにチェルシーさんはくるりときびすを返して海と眺め始めたので、少なくとも俺の変化には気付かなかったようだった。


「有難う、マルクくん!!」


俺にじゃなく目の前に広がる水平線に向かって叫んだ。その姿が、声が、俺の心を締め付けて離そうとしない。


「私、マルクくんの優しい笑顔にたくさん助けられたんだよ!」


ぐらり、ぐらり。
安定感をなくした俺のちっぽけな心はもはや限界を迎えようとしていた。


「だから……」

「違うよ、チェルシーさん」

「えっ?」


ふいうちの声に振り返った彼女の瞳はひどく驚きの色を帯びていて。それでも、俺の気持ちのストッパーなんてものはもう既に壊れて“ない”に等しかった。


「違うんだ、俺は優しい人なんかじゃない」


このまま俺が勝手にこの気持ちを諦めきれずに、彼女を困らせるくらいならこの際嫌われたって構わない。いや、いっそ嫌いだと言って突き放してほしかった。そうすればきっと全て上手くいくはずだったから。


「俺の優しさは上手く生きていく為の嘘でしかないんだよ」


チェルシーさんのひどく驚いた顔を目に焼き付けて、あぁ、これでもう全て終わったんだと自嘲気味に笑ってみせる。

もう忘れよう。
この島のコトも。俺のどうしようもない恋心も。全てこの地に置いて旅立とう。


帽子をかぶり直して再び船へ向かって歩きだす。今更後悔なんてしてないし、そんなものはしてはいけないんだ。


(さよなら、チェルシーさん)


「……嘘」


ふいに先を急ぐ足が止まった。
それは本当に本当に小さな音だった。だけど確かに、俺の耳にはそんな彼女の声が届いていた。


「嘘なんかじゃ…」

「ううん、嘘だよ」


随分キッパリと言い切るものだから、驚いてその場を振り返れば、そこでは大好きな人が優しい瞳で俺を見つめていて。


「マルクくんは本当に優しい人だって私、知ってるもん」

「……根拠は?」

「ないよ」


“でもわかるの”

なんてついには楽しそうに笑いだしたチェルシーさんに、あんなにも躍起になって反発していた心がけ、今度はだんだんと丸く和らいでいくのを感じる。嗚呼、本当に。彼女には最後までかないそうにない。


「………有難う」


こんな俺の事を信じてくれて。


「有難う、チェルシーさん」


本音を言うと、少なくとも君へと向けていた笑顔だけは紛れもない俺の“本当”だった。それだけは胸を張って言える。だから…。

(俺の想いを信じてくれて本当に有難う)



「また、遊びに来てくれるよね?」

「もちろん。そのときは是非ともチェルシーさんのお家に泊めてもらおうかな?」

「……私の旦那様に怒られちゃうよ?」

「もちろん、承知済み」


くすくすと2人で笑いあう、そのすぐ近くで大きな汽笛が出航を告げるように島中に鳴り響く。


「……行っちゃうんだね」


寂しそうに笑ったチェルシーさんの前にそっと右手を差し出して見せる。すると案の定、不思議そうに首を傾げてみせた彼女に口元から思わず柔らかい笑みが零れた。


「握手、してほしいんだ」


これが俺なりのケジメのつもり。
やっぱりチェルシーさんへの恋心は今すぐなんて捨てられそうにないから。いつか想い出として笑って話せるようになるその日のために、彼女とは笑ってさよならを言いたいんだ。
チェルシーさんは最初、少し戸惑いを見せたけれど、深く深呼吸したのち小さな右手で俺の右手を握り締めてくれた。


「さよなら、チェルシーさん」

「違うよ、マルクくん。“またね”でしょ?」


真面目な顔して俺を咎めるチェルシーさんに面食らったように固まってしまった。その後、胸の奥から沸き上がってくる温かい気持ちと愛しさに、俺は堪え切れずに優しく笑いだしていたのだった。


(またね、俺の愛した唯一の人)

(次に会うときにはきっと最高の笑顔で)


END




ついにやってしまいました、マルク悲恋なお話。
悲恋な割には最後爽やかに終われたかと…!

補足を付けると、カミングアウト後も嫌う事無く自分を信じてくれたチェルシーに心打たれ?たマルクは彼女の幸せを想うことにした、という感じでしょうか。
補足なしでもわかるお話がかけるようになりたい…。


2012.2.5 加筆・修正

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