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笛を吹いて出会ったのは
7

「あの、平井さん、顔が近いです」
「見えないんです、これぐらい近付かないと」

目の前には細められた垂れ目。赤い頬。お酒の匂い。
肩を掴んで距離を取ると、綺麗な鎖骨が目に入って、これはよろしくない、と私の頭のどこかが警鐘を鳴らす。

「ほんとに可愛いですよね、笹川さんって」
「へ?」
「可愛い」

ぐっと近付いてきた平井さんに腰を引き寄せられる。左の肩口に彼女の頭が収まって、首筋には柔らかい感触があった。

「あぅ、あのっ…?」

濡れた何かに首筋を撫でられて、背筋がぞくぞくした。気持ち悪い、とは正反対の感覚に私は驚きを隠せなくて、なのに、私は反射的に艶やかな黒髪に指を通して頭を抱く。
頭を引いた彼女の瞳と目が合った。当然のように近付いてくるお酒でしっとりと濡れた、色の良い唇が、私のそれと触れる直前、私は目を覚ました。

「あっ……わっ!?」

目を開いて一番に視界に入ったものに、声を荒げてしまった。その声に目が覚めるかと思ったけど、目の前の人は瞼を閉じたまますやすやと眠り続ける。
どうやらソファーにもたれたまま2人そろって眠ってしまったらしい。何を話していたのか、落ちる直前のことを思い出せないから相当飲んだみたい。
…それにしても。なんて夢を見せるんだ、というか見てるんだろう、私は。自分の頭を右手でつついて、体の熱さに気付く。
とんでもなくリアルな夢だった。触覚も何もかも、現実の物だと信じて疑わなかった。あのまま唇が触れていたら、考えると全身の血液が沸騰してしまいそうになる。なんてったって、平井さんは超絶美人さんなのだ。
そんな美人さんの顔が、何故こんな至近距離にあるのだろう。私の昨日の最後の記憶上、私と彼女の間には子供が1人余裕で収まる距離があったはずだ。なのに今は、…さっきの夢みたいに簡単にキスが出来そうなぐらい、近い。
自然と、柔らかそうな唇に目がいってから、自分の唇に指で触れる。
ああ、ダメだ、夢のせいで意識しちゃう。どうしよう、どうしよう。
キスとか。平井さんの唇に自分の唇を押し付けたい、なんて、とんでもないことが頭の中で。夢の中でもしたように、どんな感触がするのか、想像して。
…酔ってるんだよね。
きっとそうだと思い、私は水を飲むために立ち上がって台所へ。
今は何時なのだろうと掛け時計を見ると、短針は3を少し過ぎた辺りを指している。
…最後にみた時間、覚えてないなあ。

「はぁ」

無意識に出たため息が妙に大きく感じた。喉を通った冷たい水は、体全体に染み込むようで、でも全然落ち着けない。
…起こした方がいいのかな?
でも、まだ3時だしなあ。…このままで、いいか。
私はどうしよう。なんだか、眠気がどこかに行ってしまった。このままだと寝れそうにもない。もう一度あの夢を見てしまいそうで。…だめだめ、違うことに意識を向けなきゃ。
洗い物でもしようかな。…うん、そうしよう。


「平井さーん」

洗い物をして、その後は読書に耽った。適当に本棚から本を選んで。すぐ近くで眠る平井さんが気になって、内容なんてあまり覚えてないけど。
ふと時計を見ると、8時前だった。そろそろ起こそうと、私は声を掛けて肩を揺すった。

「………………」

無言で瞼を開けた平井さんは、完璧に覚醒した様子はなくて、私をじっと見る。

「…ああ、優美さん…おはようございます」
「うん、おはよう。はいお水」

瞬間、呆然としそうになったけど、そういえば、呼び方がどうのこうのと話したな、と思い出した。

「ありがとうございます」

ごくごくと一気にお水を飲み干して、平井さんは伸びをした。

「んー…なんだか、よく寝れました」
「それは良かった。平井さん、朝ご飯食べる?」
「頂いていいなら、食べたいです。けど、また呼び方戻ってる…京で良いですってば」

彼女はどこか愕然としたようにうなだれた。
…京、ねえ。
呼び方ぐらい、意識しなくても良いでしょ、と自分に言い聞かせるけど、さっきから私の目は彼女の唇を忙しなく追っている。どうしちゃったんだろうか、私は。
それでも、彼女の要望に応えようと私は口を開いた。とてもぎこちないけど。

「京、さん」
「さんは要りません」
「京ちゃん」
「ちゃんも要りません」
「…京」
「はい」

素敵な返事がした方には、同じく素敵な笑顔があった。
がらがらと、私の中で何かが崩れる予感がした。




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あきゅろす。
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