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笛を吹いて出会ったのは
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ここからじゃ手も届きませんね。
少し残念そうにそう言ってから、彼女はそれじゃあ、と部屋に戻って行った。洗濯物を抱えて。
私の頭を撫でるのが日課になりつつある、とかだったら、恥ずかしいな。
しばらく空を眺めて漏れた、訳のわからないため息。わかるのは、どんどん、1秒ごとに彼女にのめり込んでいるということ。微かに吹いた風が私の熱い頬を撫でた。


その次の日の月曜日は、いつもより1時間も早く目が覚めた。
にも関わらず、隣の部屋からは何かを調理する音。京のほうだ。一応言っておきますが、聞き耳なんて立ててないです。断じて断じて、けど、どうしてかその音ひとつひとつに集中しちゃう。
あ、何か焼いてる。この匂いはなんだろう、と。
…ああやだやだ。これじゃあ、なんというか…ストーカーだよ。もしもこの音を作っているのがタカだったら、そんなに気にしない。ああいまお肉炒めてるんだなあとか思うだけで。それが彼女のことになると、私は動揺する、らしい。こんなに意識するのは、私が、彼女のことを好きだからで、そんな気持ちを抱えたまま、彼女の生活を覗いてしまっているような気持ちになる。
意識し過ぎなんだよね、いくら好きだからって。
…うう、かなり子供みたいな恋をしていると、思う。
くだらないようで私にとってはとてもとても重要なことをそのあと30分は考えた。
…もう、今日は起きよう。さっさと準備をして、早めに出よう。
朝から料理なんてする気のない私は、食パンを朝食にした。焼いて、マーガリンを塗って、そんな簡単な作業。
服を着替えて簡単に化粧をして、私は家を出た。ひったくりにあってから私は自転車通勤をしている。ショルダーバックにして、ひったくりするなんて意志を少しでも削ぐようにもした。おかげであれからひったくりにあわなかった。そうそうあうものじゃないとは思うけど…。


「おはよう笹川」

会社に着いて一番に挨拶をしてきたのは、上司の赤石さんという人。茶色く短い髪に高い身長。女の人だけど、かなり男前な顔付きをしている。初めて会ったとき、私は男の人だと勘違いしてしまったくらいだ。

「おはようございます」

そんな上司の赤石さんに、使われていない部屋に連れ込まれたのは先週金曜日、仕事が終わってからのことだった。
にやにやしながら迫ってくる姿にはとても緊張したし、恐怖を感じた。

「笹川、最近ご機嫌だな?」

良いことでもあったのか?と、下手な鼻歌を突然始めた訳を聞きたかったらしい。下手ですみませんね。
訳は、思い当たるけど。京のことしかないと。その日のお昼休みに、京から土曜日の話があったのだ。

「まあ、私にだってありますよ、良いことぐらい」

入社時から何かとちょっかいをかけてくるけど、でも、よく面倒を見てくれた人だから、嫌いじゃない。頼りがいがある良い人だし。そのときはやんわりとこの話を流して、私はすぐに帰るつもりでいた。
ふーん、と言った赤石さんは、そのまま私を残して帰ってしまった。勝手な人だ。

「今日は早いんだな」

時間軸は現在に戻って、あいさつをしたあと、ちらりと掛け時計を見ながら赤石さんは言った。

「今週の金曜日、仕事のあと暇か?」

赤石さんはたぶん、食事か、お酒を飲みに誘おうとしているんだと思う。たびたび誘われて、よくくだらない話をしている。たまに、真面目な話もするけど、それはごく稀な話。

「暇ですけど?」
「飲みに行こう」

人懐っこい笑みとは、こういうの。タカと似ているなあ、と、不意に思った。

「赤石さんの奢りならいいですよ」
「もちろんもちろん」

笑いながら冗談で言ったつもりなのに、赤石さんは真面目に受け取ったらしい。いつもは割り勘なのに。たまに奢ってもらったりはしてたけど。嫌みなく淀みなく向けられたら眩しい笑顔に眩みそうになった。




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あきゅろす。
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