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リクエスト・記念品
get drunk


「吉井さん、これお願いします」
「んー」

間延びした声にまで、くらくらする。
とても耳に心地いい声をしているんだこの人は。高すぎず低すぎない、素敵な声を。
人を落ち着かせる作用でもあるんじゃないかな。

「んじゃあ、宮本ちゃんはこれお願い」
「わかりました」

28歳の吉井さんは年相応の、いや、そこらはよくわからないけれど、見るとこっちに安心感を与えてくれる笑顔を向けてくれた。向けた拍子にさらっとミディアムの茶髪が揺れて、ああ、美人さん。目の保養だ。

毎日こんなことを思いながら仕事をしている私は、けど、仕事はそこそこ出来るので先輩たちに気に入られている。
この職場に初めて入ったとき、案内をしてくれた吉井さんに一瞬で、視線も、意識も、心とやらも、全部奪われたまま私は、1年ここに居る。
私が吉井さんと出会ったとき、吉井さんには違う部署に恋人が居た。もちろん、男性だった。
だから、私は最初から、これが叶うことのない恋だとわかっている。
わかっていても、私は彼女の何もかもに惹かれて止まない。
その彼と別れたと聞いたのは、吉井さん本人からだった。私は2人きりで飲みに行けるぐらいに、吉井さんに近付くことに成功していた。

「宮本」
「ひゃわっ」

書類の束が机の上に、耳に心地よい声が耳元で、至近距離で、私の苗字を囁いた。
ぞくぞくと全身に立った鳥肌。当たり前に叫んでしまった。
今の今まで考えていた人が、突然現れるのだから。仕事中にそこまで考えに耽る私も悪いとは思うんだけ、ど。

「ふ、普通に渡してくださいよ!」
「あははー、宮本ちゃん面白いから、思わず」

ぽんぽんと肩を叩いた吉井さんは、またぐっと顔を私に近付けて、悪戯な顔で、言葉を発した。

「それにしても、ひゃわっ、だって」

くすくすくすくす。
かあっと熱くなる頬を見て、吉井さんはまた笑った。

「もっ、真面目に仕事してください!」
「はいはーい」

からかいがいがある。
それも先輩たちに気に入られている理由のひとつだと、前に吉井さんが言っていた。
全然嬉しくない。



土曜日が休日のこの会社。金曜日である今日は、飲みに行くのが私たちの決まりになっている。
私たちとは、私と、吉井さんのことだ。


「じゃんじゃん飲んでいいから」
「いつもどーり飲みますよ」

本格的に酔うまでは飲まない。
一度、そこまで飲んでしまって、吉井さんと2人のとき、しくじったことがある。あれはひどかった。
というのも、簡単な話。吉井さんが好きなのだと、本人の前で、お酒の勢いで言ってしまったのだ。
あれから、吉井さんは私に対する態度が特に変わることもなく、こんな風に毎週飲みに連れて行ってくれる。ありがたいと思いつつ、これは意識されてないってことだよなあ、と、妙に切なかったり。

「てな訳でねえ…寄りを戻したいらしいんだよ、彼」
「…はあ」

はあ、と、ため息とよく似た生返事をするしかなかった。
だって、ねえ。

「そんな、…あっちが吉井さんのこと…なのに」
「だよねー。はは」

眉毛を八の字にして、吉井さんは乾いた笑いをグラスの中に響かせてから、その中にあったお酒をぐいっと一気に喉に流し込んだ。
はあっと漏れた吉井さんの溜め息は、その形と行方が見えそうなぐらい熱気を含んだ、濃いもので。
ごくりと私の喉が鳴ったのはなかったことにしたい。
薄暗い照明のせいでよく見なければ気付かなかったけど、吉井さん顔が真っ赤だ。

「もうそろそろ、吉井さん止めときましょう」
「ん? あ、もしかして真っ赤? やだなあ…」

この話題が嫌だった、というのもある。
もしもこの瞬間、少しでもあの人と寄りを戻すなんて吉井さんが考えていたら、そんな想像をしてしまって。

「でも、今日は飲んでたいんだよねえ…宮本を隣に置いて、ただ愚痴ってたい」

なんて、自分勝手な話だよね。
確かにそうだと、私は思った。早く吉井さんを家に帰さないと、とも。なのに、私がすぐに口を開いて、発した言葉は。


「ふふ、悪いね」
「いえ」
「でも、構わないです、とか、宮本が言うから」
「…………」

構わないです、と言ってしまった。
限界まで飲むから、私の家で飲もうと吉井さんが言ったので、お店を出てすぐにタクシーを捕まえて、彼女の家へ。

素敵なマンションの一室に、私はお邪魔していた。
適当に座ってと言われたので、私はソファーの端に座った。吉井さんは冷蔵庫から、お酒のビンを二本抱えてきた。それも、キツそうなお酒を。

「本当に、とことん飲む気なんですね…」
「うん」

ソファーに吉井さんも座って、2人ともたくさんたくさん、飲んでしまって、数時間もすれば見事に酔っ払いが2人出来上がった。

「うーん…でさあ…どうしよう。いい加減、私も年だし」
「吉井さんはまだまだ若いですよ」
「そ?」

嬉しいー。と、私よりも若々しい声で呟いたあと、吉井さんは私の肩に頭を乗せた。
微妙に話題を逸らし逸らし、彼の話はしないでと、頭が色んな意味で沸騰しそうで、触れる温度も愛しすぎて。
手を伸ばしてしまいますよ、なんて、とても言えない。私は、弱い。こんな気持ち、吉井さんにとっては迷惑なだけだから、だから、触れないんだ。私の気持ちの核心を突くような言葉を、動揺と痛みだけを生み出す言葉たちだけを、悪戯にこの人は吐く。

「…宮本」
「なんです」
「宮本は、まだ、好きなの?」

熱い吐息が掠めた喉元、私が男だったら今以上に喉仏の上下を確認されてしまっただろう。
というか、私の考えてることでも見えているのだろうか。そうだとしたら、この人はなんて酷いんだろう。
あるわけがない空想で、私はこの人を悪者扱い。本当に憎める訳ないけど。

「好きですよ。今だって、本当は吉井さん、いつ襲われたっておかしくないんですからね」
「…うん、だよね」

余裕だなあ吉井さん。わかってもらえてないんじゃないかな、これ。
どん引きされる言葉たちを羅列して、逃げ出してみようかと思ったけど、私はやっぱりそんな大胆なこと出来ない。
お酒を飲んだ拍子に喉がごきゅりと鳴った。
何か話題をと思って、選択を誤った。

「吉井さんは、…あの人と、やり直したいんですか」
「宮本はどう思う?」

試すような口調で、吉井さんは囁くようにそう聞いた。

「どう、て……私が何か言ったところで、…何かが変わる訳、ないんでしょう」
「そうだね」

みっともなく2、3粒涙を落としてみても、吉井さんは言い切った。
わあわあ子供のように泣きそうなのをこらえて、私はゆっくり瞳を閉じる。
途端、真正面から抱かれる感覚。きっと待ち望んだ体温を、私はいま感じている。

「宮本、私…わからないんだよ…いま、隣に居てほしい人は、あの人じゃなくて…私、」
「へ?」

べったりと耳元で、息継ぎをしっかりしながら、好きな声が、私に居て欲しい、と言った。混乱していた。彼女も、私だって混乱していた。

「宮本を、好きなのかも…ごめんね、曖昧で」
「えと…あの人は」
「正直いまどうでもいい。宮本以外、どうだっていい」

お酒だ。甘え酒、とでも言うのだろうか。
擦りよる温度が心地よすぎる。危ないなと思いながら、離れられない。なかなかに私は自分の欲に忠実で、できるだけ好きな人に近付きたいというのは誰でも抱えたことのある欲、だと。
飄々と人をからかいながら仕事をきっちりこなす吉井さんは、そこに居なかった。
でも。

「時間を、ちょうだい」
「いくらでも、あげます」

急な展開にもなんとか応対できた私は、お酒のせいで明日、いまのことは忘れました、なんて王道な展開にならないことを祈るばかりだった。




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あきゅろす。
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