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明晰夢



明晰夢という言葉と出会ったのは、辞書をぱらぱらと流し読みした、ついさっきのことだ。
幼なじみに、ともちゃんって見た目は優等生だけど本当に馬鹿だよね、と何度も何度も言われ続け、何か難しい言葉のひとつでも覚えて驚かせてやろう、というのが、流し読みに至った経緯である。
ひとつ、難しい言葉と認識し、なおかつ何故か目についたのが、明晰夢という言葉、事象だった。

「ねえ、明晰夢って知ってる?」
「ん?」

図書室で、文庫本をぱらぱらとめくっている彼女に、私は堪えきれずに尋ねた。
彼女が本を読むために残っているここに、なんだかんだ彼女が好きな私は毎日一緒に残っている。

「だから、めいせきむ」

ふふーん、と、どうやらこの言葉を知らないらしい彼女を、私は腕を組んで見下ろした。いや、身長的には見上げている訳だが。彼女は私より18センチも背の高い、169センチという女子にしては高身長の持ち主だ。いくら彼女が足の長い長身でもこの身長差では座高でも差が出てしまう。

「ああ、あれでしょ。これは夢だ、て、自覚しながら見る夢。かなり感覚がリアルらしいね」

彼女は空中をぼーっと見つめながら、記憶の棚から丁寧に明晰夢についての事柄を引っ張り出し、私にわかりやすいような優しい言葉たちで、私が知っている以上の明晰夢についてを語ってくれた。
それよりも、と、文庫本を閉じ、右手の人差し指で空気をかき混ぜながら、彼女は続ける。

「知希がま行まで辞書を眺められたことに、私は感動してるよ」

空気を纏った指先が私の額を小突いた。
至って大真面目にそう言うのだから、彼女はとってもひどいと思う。

「で?」
「へ?」
「明晰夢が、どうしたの?」

ああ、と、固まる私。知っているかと聞いたのだから、何か続きがあるはず。普通はそう思うだろう。
けれど、そんな期待を裏切るのが私だ。何も考えてなどいない。ただ、彼女に披露したかっただけだ。
そんな私を首を傾げて彼女は見つめる。耳元にある派手なピアスがちゃらりと揺れて、微かに部屋に侵入していた夕日の光がそれを照らした。
脱色された白に近い金髪に、耳とお臍をピアスで飾った彼女は、この学校で一番本を読んでいる文学少女で、一番とは言わないまでも、学年で上位20名には食い込む頭の持ち主である。
そして、こんな見た目でもカンニングを疑われない誠実さすら持ち合わせている。そんな彼女はもちろん校内の有名人で、そして私もそんな彼女が随分執着している人として有名だ。

「…強いて言うなら、」
「……言うなら?」
「亮ちゃんに、…褒められたくて」
「…………」

ぽかん、と、彼女にしては珍し、…くもない間抜け面をさらしていた。
あほらしさに呆れられたのかとか、あと急に恥ずかしくなってきて、私は机に突っ伏した。
ああ、夢ということにしたい。感覚のリアルな、明晰夢ということに。だけど、これを現実だと私が認識している限り、例えこれが本当の夢だとしても明晰夢にはならない。
おお、珍しく頭の回転が速いぞ知希、と自分を褒めたとき、頭に何かが乗っかった。

「ともちゃんさあ、馬鹿だけど、本当に可愛いよね」
「…馬鹿馬鹿言うなぁ…あと可愛くなんかないし」
「だって馬鹿なんだもん、仕方ないじゃん。だから、知希の将来がすごく心配だよ、私。可愛くて馬鹿な人ほど、危険にあいやすい人居ないと思うんだ」

あと小さいし。
可愛くないという私の言葉は簡単に流されている。
こんな物好きな人は、彼女以外に居ない。小さいときから、こんな私を可愛い可愛いと言ってくれて、馬鹿だ馬鹿だと毎日言いながらも、愛情いっぱいに頭を撫でたり褒めたり、私を精一杯の力で支えてくれる人。
そっと顔を上げて彼女の方に顔を向ければ、優しい顔で笑っていたりするので、私はまた顔を伏せた。

「私、たくさん勉強するよ」
「もう十分だと思うよ」
「ううん、もっと頭を良くして、良い仕事に就く」
「どうして…?」
「ともちゃんと暮らしたいから」

思わずばっと再び顔を上げて亮ちゃんの方を見た。
これは珍しく、緊張した顔をしている。

「好きだよ、知希」

ずるいなあ、亮ちゃん。
迷わずに伸びてきた右手が、私の髪を優しく梳く。
小さなとき、冗談のように一緒に暮らそうとか、好きだとか、たくさん言っていたけど、久しく聞いた台詞は重みがずっと違う。
もう私たちは、高校生だった。
長い目で見ればまだまだ幼いけれど、もうたくさんのことを1人で出来て、誰かと支え合うことが出来る年になっていた。

「…正直、今日改めて言うつもりじゃなかったんだけど…あんまりにともちゃんが可愛いから、つい口が滑っちゃった」

すくっと私は立ち上がって、鞄を掴むと出口に向かった。亮ちゃんもゆっくり帰る支度をすると、あの長いコンパスであっという間に私の隣をキープし、歩幅を私に合わせる。

私を家まできっちり送る彼女の習慣は、小学校のときからあるものなので、今さら私は何も言わない。そもそも、家が近いし。
特に会話はしないけど、不安になったりはせず、逆に彼女の隣は世界で一番安心出来る場所だと私は言える。

「亮ちゃん」
「うん?」

いつもなら私の家の前でまた明日、とか言って別れるけど、今日は図書室でのことも有ったし、私も言いたいことが有ったので亮ちゃんを引き止めた。

「まずはさ、暮らそうじゃなくて、付き合ってください、だと思うよ」

帰りながら、火照った頭を必死に冷まして考えついた、どこかずれた言葉だった。

「あ、…ああ、うん、そうだね。…そうだそうだ」

照れたようにがしがしと綺麗な髪をかき乱して、それから亮ちゃんは私の目にしっかり焦点を合わせた。
では、改めて。

「私と、付き合ってください」



その夜、夢を見た。
明晰夢、ではなかったけれど、とても幸せそうに笑いながら一緒に暮らしている、亮ちゃんと私の夢だった。




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あきゅろす。
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