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泣きながらでも笑って


背中にヒヤリと冷たい感触。続けて頬にも冷たい、唇の柔らかさ。それは、俗にいう死人の冷たさと呼ばれるもので、いま私に触れているのは、…まぁ、幽霊、といわれるものな訳です。

「寒い。少しだけでも離れてくれませんか」

「ダメです。死ぬ気がします」

もう死んでるのに。
頭の中でそんな言葉が飛んだけど、失礼かな、と思い、喉まで上がっていたそれは唾液と一緒に飲み込んだ。

「…あ、いま失礼なこと考えたでしょう?」

「考えてませんよ」

「…知ってます? あなた、嘘をつくときに癖があるんですよ」

「ありませんよ癖なんて」

「もー…つまんないです」

「つまんなくていいです」

つまんないなどとアホらしい事を言う彼女は幽霊のくせに怖さを感じさせない。私と彼女は彼女が生前のときからの知り合いで、とは言っても、それほど親しい訳でもなかった。彼女が事故で死んだと大学の友達に聞かされたときはさすがに驚いたけど。

「…なーんで、私のとこにきたの」

「あなたと話したかったんです」

「成仏しなくていいの? つらいとかないですか?」

「ないですね」

あなたに会わずに逝く方がつらいですから。そう言って少しだけ寂しそうな顔をした。


そこで私は目を覚ます。ベッドの上で目を覚まして、私は落胆を味わいながら泣きそうになる。最後のは私の願望か。
中途半端な夢を見せるなと私の脳に怒りをぶつけたい。私と彼女はそんなに親しくなかったなんて、そんな訳なかった。大学で偶然出逢って、気が合うものだから毎日一度は顔を合わせて、食事を一緒に取ったりして、私と彼女は友達だった筈だ。友達だ。敬語なんて使っていたのは最初だけだった。この夢の私たちは、まるで出逢ったばかりの頃じゃないか。本当に中途半端な夢だ。

現実の私は彼女が死んだと聞かされた時、涙も流さないような奴で。だけど、葬式になって、彼女、恵美の顔を見た瞬間、涙が次から次へと流れてきて、それから後悔するような馬鹿だ。私は恵美が好きだった。恵美が死んでからの大きな喪失感で気付いた訳じゃなくて、恵美が生きているときから私は自覚していた。顔を見る度にそう思っていたのに。1人のときに不意に考え込んでは涙を流してしまうぐらいに、私は彼女が好きだった。いや、まだ好きだから、現在進行形で私は後悔ばかりだ。

「こんなことなら、好きだって言っておけばよかった」

こんなことなら、と思うのもおかしな話だが、やはりそう思うのだ。こんなことなら…。涙が溢れる。私は片腕で両方の瞼を押した。
彼女が死んで十日が経った今でも、私はこんな有り様だ。夢のように私が幽霊を見る事が出来る人なら、何か違うかもしれないけど、どうせ私は泣いてばかりで話もまともに出来ないのだろう。私はこんなに泣き虫だったっけ。
すずっと、私は鼻水を啜った。


それからひと月経った。
私は相変わらず彼女のことを考えて、自分勝手に泣く夜があった。
彼女が一人暮らししていた家を荒らされたくない彼女の両親は、自分達で彼女の遺品を整理し、彼女の日記帳を発見したそうだ。日記帳というより、忘れたくないことや感情を書き留めたと思われるメモだった。良くお世話になった彼女の両親が、私にそれを手渡しに来たときは、私は状況が全く理解出来なかった。

読んでやって

私はそれを受け取った。
そこに有ったのは、恵美から周りの人への思いだったり、周りの人のことだったりまちまちだった。

人の感情に興味があるので、このノートに自分の考えとか書き込んでいこうと思います。

そんな前書きがあったノートは、小学生の高学年から始めたらしく、最初はのら猫と遊んだときに思ったことや、友達の考えや感情を想像してみたり、はたまた自分の友人への感情、好きか嫌いかと単純なものだったり細分化されていたり。まめに書いていた訳ではないようだし、詰めて書いてあったのでその量はノート一冊の終わり間際までだった。
その内容が途中からある人への恋情一色に染まる。好きがたくさん散りばめられたその文は、中学生か高校生の女の子の日記帳そのままだった。
大学で偶然出逢って気が良く合うその人は女だそうで、たぶん、いや、きっとそれは私のことなのだろう。私と一緒に居たときのことばかりだった。私は、本当に後悔ばかりだ。

一字一句逃さず、全てを読み切った後、タオルを取って目に押し当てた。
たくさんの好きとか、切ないとか、そんなのを見たからかな。熱いよ、目の奥が。
ねぇ、あと一度でいいから、晃って、名前を呼んでよ。本当にあと一度でいいから。とことん甘えた声で呼んでよ。あぁ出来たら、好きだって、付けてほしいな。無理かな。無理だろうな。恵美恥ずかしがり屋さんだもんね。…本当に無理、なんだよね。
また涙が溢れてくる。ずずっとまた鼻水を啜る。汚いな、ひどい顔をしてるんだろうな、今の私は。恵美が見たら手を叩いて笑うだろうか。それとも優しく抱き締めて、一緒に泣いてくれるかな。
水分と塩分を吸ったタオルを取って自分の部屋の天井を見た。
天井に向けて手を伸ばして、指先を緩く閉じる。

「…なんで、死んだんだよぉ…」

さよならを言いたかったはずはないよ。けれど、こんなことならって思うんだ。最後に何を話したっけ。最後に一緒に食べたのなんだっけ。最後に誤魔化した好きを伝えたのはいつだっけ。最後最後最後、本当にもう会えないんだね。
私がいつまでもこんな感じだと、私を好きだった恵美は呆れてるかな。もしかしたら、馬鹿だなぁって今額を叩いているのかも。そうだったらいいな。ところで、恵美は今どこに居るんだろう。
あの世があるのかどうか知らないけど、もし在るんだったら、成仏出来たかな。
恵美と私がお互いに好き合っていたことを私は知ったけど、恵美は知らないまま逝っちゃったんだろうか。もし、まだ成仏していなくて、もし、今私の隣に居るのなら。そんな馬鹿みたいなことを考えて

好きです

私はたくさんの感情を乗せて、口からこの言葉を一度だけ。最後の過ぎた、今最後にするこの瞬間に。恵美への感情をぽつりと零した。

脱力してベッドの上に投げ出した腕に、一瞬温かいような冷たいような、風か何かが触れた気がして。腕を見たけど、何もないように見えた。注意深く見てみたら、左手の中指に小さな傷が出来ていた。

「…恥ずかしがり屋め。早く成仏しろ」


なんとなく、恵美のような気がして。薬指にしない辺りが恵美らしい気もして。だって、絆創膏を貼ったら、まるで指輪のようじゃないか。中指に唇を寄せて、私は笑いながら泣いてしまった。外でも雨が降り出して、恵美も泣いているような気がして。
恵美の誕生日に、指輪を供えに行こうなんて、考えてる私は一生あなたが好きなのかな。それでもいいな。そうがいい。



いつかは泣き止んで、笑いながらあなたに会えますように。




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あきゅろす。
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